経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

経済学における「重力」の発見

2015年09月07日 | シリーズ経済思想
 理論がないと、データから意味を引き出せないとされる。裏返せば、妙な理論を持ってしまうと、現実を認識できなくなることもある。経済学で言えば、ヒトは利益を最大化するという信念を持っていると、社会的なムダである余資も失業も、この世には存在しないものに思えてくる。あっても、それは調整されるまでの一時的なものだから、論ずるに足らないというわけだ。

 しかし、均衡へ向かわせる力が存在するからと言って、均衡点へ円滑に接近できて、安定的な状態が保たれるとは限らない。この二つは別物である。こうした物理学の観点から、旧時代の理論に留まり続ける経済学を鋭く批判するのが、マーク・ブキャナン著『市場は物理法則で動く』である。副題のとおり、物理学や計測学などの自然科学がもたらした成果を教えてくれる。

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 ブキャナンは、第1章の概説と、第2章の経済学史の概観の後、第3章で、ソネンシャインの証明を引き、アロー=ドブリュー型の経済の一般均衡は安定均衡ではないとし、これが発見された当時の経済学者に与えた衝撃に言及する。さらに、市場の安定性が研究対象にされないという経済学の側面こそが注目点だとする。

 理論的に安定でないなら、実際はどうか。安定を担う裁定取引の雄のLTCMは、奇しくも不確実性の理論が出された1年後に、破綻してしまう。また、市場は情報のみによって動かされているのではない証拠として、ニュースと関係のない事象の後の乱高下の方が長引くというプショーらの研究を示す。

 そして、第4章では、市場のベキ乗則に触れ、自己相関を強調する。すなわち、効率的市場仮説ではゼロであるはずの「予測可能性」が、ディンらの研究によって、市場変動の量については存在することが示され、こうした過去がその先に影響を及ぼす「記憶」は、エネルギーの流れや絶え間ない競争などが存在する「非平衡系」の自然科学において共通するものと位置づける。

 続いて、第5章では、ゲーム理論のナッシュ均衡を取り上げ、ガーラとファーマーのシミュレーションによれば、戦略がわずかしかなければ、学習アルゴリズムは均衡に達するものの、50ともなると挙動は安定しないとする。ナッシュ均衡の存在証明は、到達の可能性を示すだけで、高次元ゲームではカオスを示し、将来的な展開は本質的に予測不能になる。

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 第6章は、アーサーの市場モデルの成果を紹介し、そこでは、トレーダーの予測は行き来して、合理的な均衡に収束せず、暴落のような突発的な変動が起こりやすいとする。現在では、改良により、実際の市場の価格変動と区別できないほどの再現も可能らしい。また、マイノリティーゲームを発展させた張=シャレーの研究では、市場には二つの異なる種類の挙動があり、突然切り替わる傾向が突き止められたとしている。

 第7章以下では、市場の効率性と安定性のジレンマが課題となる。要は、効率的であるほど、破綻や崩壊の可能性は高まるということだ。ターナーらのモデルでは、レバレッジを高めるせめぎあいが起こり、価格のボラティリティは着実に減少する一方、変動はファットテールに近づき、暴落が起こりやすくなる。

 そして、第8章は、市場の瞬時の激しい変動であるフラッシュ・クラッシュを解き明かす。この背景には、コンピューターによる超高速のアルゴリズム取引がある。ネットワークの広がりにより、爆発的な正のフィードバックが生じるようになり、大きな変動の頻度は40年前の4倍になったとしつつ、ネットワーク社会の危険性を明らかにする。

 第9章においては、ミクロ的基礎付けをひととおり批判した上で、物理学者のプライスらの発見を提示する。市場の弱気や強気のモメンタムの向きの転換には普遍的パターンがあり、これは、多くの人はトレンドに従っていて、幾人かの警戒して取った行動が伝播することで逆方向のトレンドが始まるためである。要は、一人ひとりの合理性に基礎があるのではないことを意味する。

 最後の第10章で、ブキャナンは、経済学やファイナンス論では、可能なことや起こりそうなことを予測するだけでも有益であり、それは大規模シミュレーションで検証可能だとする。そして、ダイナミクスを自然のシステムについて考える中で、皮相的な前提を乗り越えてきたのであり、これは経済学も同じで、その時期にあるのだとして、締め括っている。

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 ブキャナンの主張のさわりは以上であるが、物理学の手法によって得られたデータ解析の結果を受け入れ、現実によく当てはまるシミュレーションモデルを尊重することは、ある意味、当たり前である。もし、それができなければ、経済学は、もはや科学とは呼べず、宗教とは言わないまでも、政治哲学の一種になってしまうだろう。たとえ、それが一般均衡、利益最大化、合理的期待といった奥義を捨てることになるとしても。

 こうして、経済学が物理学の手法に支配されると、学問としての存在価値が失われるように感じられるかもしれないが、そうではあるまい。物理学者のファインマンが否定するところの「なぜ、そうなっているか」を考究すれば良いのである。意図を聞けない物質とは異なり、人間を観察対象にしているのだから、それは可能だろう。

 その際、重要なのは、利益を求める「力」とは反対向きの、限られた人生において大損害を受けるリスクを避けるために敢えて小さい利益を捨てるという「第二の力」を発見することである。二つの力がせめぎあうことが複雑な挙動をもたらすのであり、現象の理解と理論の応用が高まるはずである。第二の力は、保険などで日常的に目にするものだが、リンゴが落ちることを知っていることが、重力を理解しているのとは違うことと同様である。

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 経済物理学の短所は、ビッグデータがないと本領を発揮できないところにある。したがって、金融についてはともかく、人々が一番知りたい景気や雇用を解析するには距離がある。本コラムでは、鉱工業生産指数で設備投資を解析して見せたことがあるが、マクロデータは良くて月次である。対数順位分布であることは確認できても、時系列で新たなデータを入手するだけでは、それがベキ分布に発展するのかは、可能性を指摘するにとどまる。ベキ分布であれば、平均も分散もないので、合理的期待は成り立たないとなるのだが。

 他方、「第二の力」を発見できれば、政策的な知見は広がる。緊縮財政をやめて、需要を安定させれば、リスクは薄れ、「第二の力」は働かず、従来から経済学が蓄積してきたシンプルな知見が活きる。相対性理論は物理学を拡張したが、ニュートン力学が役立たなくなったわけではない。適用範囲をわきまえれば、十分に有用だ。あとは、そのような現実が見えない人たちが経済の舵取りをしていることが課題になる。

 昨日の日経が報じるように、消費増税のショックで成長が折れてしまったのに、再増税では、ショックをやわらげる軽減税率を年度末になってからの還付で対処しようとしている。日本のエリートは、経験に学ぶことさえできないらしく、「増税は成長に影響しない」という理論が現実を見えなくしているようだ。物理学の手法も取り入れ、真実を明らかにするのは、経済学の重要な役割であるが、物理学とは違って、現実をより良く変えるという役割もある。これもまた存在意義であろう。


(昨日の日経)
 酒除く食品を消費税軽減、所得別に還付金。米雇用は17万人に鈍化。7月毎勤・賃金上昇は中小弱く。東北復興、初動の重み。鶏肉に需要シフト。

(今日の日経)
 新産業創世紀1。中間配当が最高の3.7兆円。


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