経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

平成金融史の背景と教訓

2019年05月05日 | 経済
 西野智彦さんの本は、すべて読んでいて、話の筋は承知しているはずなのに、『平成金融史』(中公新書)では、臨場感ある展開に引き込まれ、読む手が止まらなかった。金融危機の当時は、目くるめく出来事の中で、どんな事態になっているのか、正直、分かっていたとは言えず、後にして思えばということばかりである。そして、改めて西野さんの新著を読んで思うのは、繰り返えされることが起こっていたに過ぎないということである。

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 平成の金融にとって最大の課題は、バブル崩壊後にできた不良債権をいかに処理するかだった。ただし、それは、会計的には自明でも、マクロ的にどんな意味を持つかは別である。なぜなら、融資で買った土地が半値に落ちて不良債権になった側がいる一方、土地を売って濡れ手でアワの利益を現金で確定させた側もあるからだ。不良債権の処理は、これに充てる銀行の資産を減らすが、地主の資産はバブル前より増えているので、いわば、銀行から地主への資産の移転であり、マクロ的に資産が失われるわけではない。

 問題になるのは、銀行が資本を減らすことで、これを基にしている融資が縮小してしまうことである。したがって、銀行が毎年の利益の範囲内で不良債権を処理し、資本に食い込まないようにするか、資本に食い込む一気の処理をするのなら、新たに資本を注入しなければならない。つまり、バブル崩壊後も、それなりの経済成長があれば、利益を確保して、あまり問題なく処理できるということであり、本当に困るのは、利益が確保し難い経済状況に陥る中で、なおかつ処理に迫られたときとなる。

 西野さんは平成の金融を描いているので、ある意味、経済状況は所与のものとなっている。しかし、他の道がなかったわけではない。まず、指摘しておきたいのは、バブル時には、行き過ぎた資産投資があっただけでなく、実物の設備投資も過大になされていたということである。これが元の水準に戻る過程では、強いデフレ圧力がかかるため、軟着陸させるには、使われなくなる貯蓄を財政出動で吸収し、GDPを支える必要があった。これに何とか成功したのが、1992,93年であった。

 この両年のこそ、GDPは、ほぼ横バイにとどまったが、消費は、着実に増加し、バブル崩壊後にも、生活水準は向上し続けた。そうして、設備投資は、1994年に底を打ち、95年は増加に転じ、96年で加速する。これで、実体経済は正常化を果たしたのである。むろん、この間、財政赤字は嵩んだものの、徐々に縮めて行けば済むことだった。しかも、年金保険が黒字を出していて、政府全体では中立くらいであり、財政赤字に焦る必要は、まったくなかった。

 ところが、1997年に、橋本政権は、消費増税を主軸とする野心的な緊縮財政を打ち、経済に需要ショックを与えてしまう。さらに、不安定化させかねない金融ビックバンまで仕掛ける。成長率が墜落すれば、不良債権を処理する利益は得難くなり、資産価格は更に下がって、不良債権が拡大する。金融危機に陥るのも当然で、その後の不良債権の処理は困難を極めた。こうした財政の失敗で生じた重荷まで、金融機関は背負わされ、呻吟することになる。これが西野さんが描く悲痛な物語である。

(図)


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 バブルが崩壊し、不良債権が生じると、政府が公的資金で金融機関を救済せざるを得ない場合がある。決裁システムを守り、貸し渋りをさけるには、やむを得ない仕儀だが、世論からは激しい批判を浴びる。そして、金融危機の恐怖を世間が目の当たりにして初めて、許されるようになる。大事にならないうちに早く対処すべきでも、後手に回る失敗は、繰り返されてしまうというのが、『平成金融史』の主題の一つである。

 住専問題では、昭和恐慌の教訓を分かっていたにもかかわらず、対処し切れなかったし、1997年以降の金融危機への対処は、大型金融破綻を経験してからである。さらに、小泉政権期に入ると、緊縮財政で景気を悪化させた上に、経済構造改革として不良債権処理を強要するという倒錯した状況に至る。バブルの後始末には付きものの「清算主義」の蔓延を思わざるを得ない。似た様な顛末は、リーマンショック後の欧米でも見られる。

 不良債権の発生では、金融機関にも非はあるが、バブルで利益は上げていても、最後はツケを払わされる。他方、バブルで売り抜けた人たちの金融資産は、そのままなことに留意したい。本当は、これを政府が回収できれば、資産は一巡する。また、不良債権の処理より、財政赤字の縮小を優先しがちなことは、深刻な問題になる。これは、景気の二番底を招き、一層、不良債権を深刻化させるからだ。

 こうして見れば、政府がバブルの後始末に使う公的資金には工夫が必要で、預金に対する保険料なり、一定水準以上になった際の利子への課税によって、長期的に回収する形を整えるべきであろう。それらも「税金」ではあるが、預金を保全するための、ある種の目的税として認知されれば、金融機関の「救済」という抵抗感は薄まるし、バブルで膨らんだマネーを収めつつ、財政赤字の利払いへの不安を鎮めることにもなる。

………
 おそらく、令和金融史の最大の課題は、異次元緩和の後始末になる。その隠された狙いが円安であった以上、いかに急激に上げずに行うかが焦点である。その点では、米国の景気が好調で、2017~18年のようなFRBが利上げしているときが好都合であったが、この間も、日本は、金融緩和に頼り、財政再建に注力し、その機会を逸してしまった。米国が利下げに移り、円高に見舞われる前に、内需による成長を実現しておかねばならない。もはや、円高は金融緩和で防ぎ得ないし、円高になれば、財政出動を余儀なくされる。しかし、後手に回る失敗は、繰り返されるのだろうね。

(今日までの日経)
 子ども人口 38年連続減。米失業率、49年ぶり低水準。5G特許出願 中国が最大。


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2019-05-06 00:26:49
橋龍はほーーーんとに罪深いなぁ。。。
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