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萩往還14年間の遍歴

2016年06月29日 09時13分06秒 | 日記

これまでに「萩往還マラニック大会」に14回参加してきました。毎年のできごとを思い出して書いてみました。14年前と今では、かなり違ってきました。

●第15回(2003年): 萩往還に初参加(70km)。間寛平さんと一緒だったが、負けた。

●第16回(2004年): 萩往還250kmに初参加。この時は140kmの参加条件はなく、だれでも250kmに出れた。結果は大雨でリタイア。

●第17回(2005年): 

・萩往還250kmに2回目挑戦したが、仙崎でリタイア。

・昨年まで定員はなかった、というか定員数も集まらなかった。昨年は他のウルトラ大会が中止になったため、参加者が400名になった。そのため、この年から定員を定め、350名となった。

●第18回(2006年): 3回目にして萩往還250kmやっと完踏。

●第19回(2007年): 

●第20回(2008年): 

・「シーブリーズ」エイドが廃止になった

・千畳敷への道が、これまで山中の遊歩道だったが、新しくできた超急な上りの車道になった・・・・この変更はそこに行くまで、選手には知らされてなかった。

●第21回(2009年):

・みどりちゃん初完踏

・バスをチャーターして行くようになった。

小野会長退任。新会長に代わる。

・「豊田湖石切亭エイド」は豊田公園内(59km)へ移動し、CPになる。

・「笠山CP(206km)」が廃止。

・「西坂本集会所中学生エイド(127km)」が2km先の現在の位置に移動。

・萩往還道の駅にあったエイドが廃止。

・240kmの「おばちゃんよもぎエイド」が公認に。

・歩け歩け60kmが廃止。

・てれっとバッチ完成。

・岩本さん最高年齢完踏者。みどりちゃん最小年齢完踏者。

・この年まで参加賞に手袋があった。翌年から手袋は廃止。

・大会前に完踏セミナー開催するようになる。

●第22回(2010年):

・萩市内の椿大橋がコースに。

・地図がきれいに製本された。

・参加賞のTシャツが廃止、タオルになった。

・完踏賞の木のオブジェが小さくなった。大不評。

●第23回(2011年):

・「豊田湖畔CP」が駐車場から食堂へ移転。

・「東光寺(215km)CP」が正門前からお店の方に移動。

・35kmマラニックが廃止。

・みどりちゃんがポスターのモデルに。

・完踏賞が木製からメダルに変わった。

・点滅ライトが百均物からオリジナルに変わった

●第24回(2012年):

・陶芸の村(216km)、浜崎緑地公園(198km)、油谷中学校(87km)がCPになった。

・立石観音のCPがお店の前に移動。

・仙崎の関門時間が20:30から18:30と2時間も短縮された。

・収容バスがコース内を巡回するようになった。

・OBS、木村さんが青海島を走行中、ライトが二人とも切れ、真っ暗な中、点滅バッチの光だけで戻ってきた。

・トップの選手がショートカットで失格。

●第25回(2013年): 

・大坊ダム周辺の道路ができて、新コースになった。

・定員が500名に。

・マイコップが必須に。

●第26回(2014年): 

・参加賞の反射板が2枚になった。

・杖を荷物に入れてはいけなくなった。

・仙崎での荷物預けは禁止された。

・小野元会長、83歳で他界された。

・250km、500名超える。

●第27回(2015年):

・参加費が3万円から3万8千円へアップ。

・申し込みに「確認テスト」が導入され、全問正解しないと参加できなくなった。

・受付は当日14時半までと短縮。

・「鯨墓CP(164km)」が廃止。

・「静ヶ浦キャンプ場(158km)」がCPに。

・「湯本交差点(144km)」がCP新設。

・スタート前の説明会(15時)に参加しないとスタートできなくなった。

・点滅ライトが薄型になった。

・10年連続完踏達成。

●第28回(2016年):

・暴風雨で青海島コースが中止になり、距離が10km短くなった。

・エントリーが4日で定員になった。来年から抽選に?

以上です。来年もまたいろいろ変わりそうです。そして、2年後・・・何かが起こる?

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