デジブック 『カタクリ鑑賞ツアー』
日帰りバスツアーを利用して、「カタクリの花群生地」を巡ってきました。
北の国もようやく本格的な春が訪れて、気分もうきうきしてきます。
GW.の連休も今日で終わりです。
デジブック 『カタクリ鑑賞ツアー』
日帰りバスツアーを利用して、「カタクリの花群生地」を巡ってきました。
北の国もようやく本格的な春が訪れて、気分もうきうきしてきます。
GW.の連休も今日で終わりです。
――作家、渡辺淳一の死――
病を抱えていたようで、4月30日に亡くなられたとのことです。享年80歳。
札幌の名門進学高校から「札幌医科大学」へ入学、整形外科医の道をすすまれたのち、作家へ転身しました。
デビュー作「ダブルハート」を皮切りに、たくさんの作品を残しました。
1970年(昭和45年)「光と影」で第63回直木賞を受賞しています。
作家になる2年前、在籍する「札幌医科大学」で心臓移植が行われ、のちに「和田心臓移植事件」として世間を大きく騒がせました。大学を離れたのはこの事件が大きな理由だったと言われています。
氏はこの事件を「小説心臓移植」という作品で、ある種の自身の見解を書いています。
「リラ冷えの街」で北の国での男女の愛を巧みに描き、恋の街札幌の名をいやが上に高めました。
氏の全盛期、1995年(平成7年)から「日本経済新聞」に掲載された「失楽園」は前後で300万部も売れ、その後映画やTVドラマにもなって、「失われた20年時代」の象徴的作品となりました。
伝記作品では「花埋み」で荻野吟子を見事に描き、「冬の花」では戦後の代表的女性歌人・中城ふみ子(北海道出身)を表現してくれました。
晩年はどこか飄々として「ご意見番的存在」を演じ、あの艶っぽい、妖しさが漂う作品が、ほんとうにこの人のものだったのかな?と思わせる韜晦ぶりだったように思われるのです。
「和田心臓移植事件」から45年を経たこの1月6日、45年ぶりに「北海道での心臓移植」が北海道大学で実施され、成功しました。
成功を待ち望んだあげく、成功に安堵しての旅立ちだったのでしょうか・・・・
「静かにお眠りくださいますように・・・合掌」
先の雑記で「テンプレがいつの間にか変わっていた・・」と泣き言めいた内容を書きました。
元テンプレは、OCNのテンプレ一覧表に載っていまして、どうやらこちらの見落としだったようです。
で、元に戻そうと四苦八苦しましたが、これがなかなか・・・涙です。
ブログ人仲間のHさんが、同じようにテンプレを変えようとして、ご苦労の上「方法を会得」されていました。
『Ctrl+F5』を押せばよろしいとのこと。さっそく相乗りさせていただき、自分のブログに実行してみましたところ・・・・一発で成功で~す。
Hさんは、自分がネットを始めた頃の遠い昔から、たくさんのことを教えていただいていて、いまも「貴重なお師匠さん」です。
これからも、まだまだ教えていただくことがありそうです。
末永くお元気でおつき合いいただきたいと、切に願うところです。
<画像はきょうの我が家の庭に咲いている花々の一部です>