かるさんのgooブログ <北国たより>

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「平家物語」と「平成の物語」・・・比喩として  

2009-08-26 21:03:00 | インポート
《祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響あり、沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす。
奢(おご)れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし、猛き者(たけきもの)も遂には亡びぬ。偏(ひとへ)に風の前の塵(ちり)におなじ。・・・・・》

平家物語の最終章「壇ノ浦の戦い」での平家一族の滅亡は、800有余年を経た現代でも読む者の涙を誘います。

1156年の保元の乱で平清盛が頭角を現してから、1185年の平家滅亡までの約30年間は、いわゆる「平家であらずんば人であらず」言われるほど驕りに驕り高ぶりました。(宋貿易などの経済的貢献など見るべきものもありましたが)

清盛亡き後、けっきょく「木曽義仲」に都を追われ、播磨の国一ノ谷や讃岐屋島で「源義経」に破れ、長門壇ノ浦まで逃れて行きました。
平家得意の舟戦で、乾坤一擲の戦いを挑みましたが利非ず、幼帝もろとも一族は海の藻屑と消えました。

冒頭に書きました「平家物語」の書き出しは、後世に残した名文と言ってよいかと思います。
それは平家の悲劇に心寄せることもさることながら、人の生きざまや社会のありようへの警告として受け取るべきかな?と思ったりします。

この源平の闘争を、今の政治現象に置き換えて見るのも興味あるところです。

* 4年前の郵政選挙で大勝・・・平治、保元の乱で平家の独走始まる

* 2年前の参院選で敗北・・・駿河の国富士川の戦いで平家大敗北

* 2代にわたる首相の投げ出し・・・越中倶利伽羅峠で木曽義仲に大敗北、天皇を奉じして西海へ逃れる

* 主要都市市長選連続敗北・・・一ノ谷、屋島の戦いで源義経に大敗北

* 4日後の衆院選挙は???・・・壇ノ浦の戦いのごとく、平家一族の滅亡 があるのかどうか?

平家よりも長い年月政権を握った現世の「かの党」、驕りと澱みにまみれるのは自然の成り行きかもしれません。

ですが、庶民の生活をないがしろにし、己の栄耀栄華のみにうつつを抜かす権力者は、けっきょくのところ「哀れな末路」を辿らざるを得ないことは、歴史が証明しています。

平氏を倒し、初めて武家政治を行った「源氏政権」も、骨肉相争そって短命に終わりました。

目下優勢を伝えられる「どこかの党」も、仮に政権を獲ったにしても「かの党」からのエゲツ無い攻撃と内部抗争から、短命に終わるような予感もします。

それにしても亜米利加に見られる「二大政党制」による政権交代が、この国でもしっかりと根付くようにと、心から願わずには居れません。

戦い<北竜町のモニュメントから>
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