kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

指導とは何かを考えていく

2013-12-20 | 陸上競技
このblogに色々と書くとその部分的な事だけがクローズアップされます。全てのことを書いているわけではないので。それならすべてを書くという話にはなりません。逆に「全く書かない」というのも難しい。blogを書くことは想像以上にエネルギーを使います。もちろん頭も。短文で終わるだけのblogとは違い内容を確認しながらも更新することになります。

例えば書こうかどうか悩んだという記事。「体調不良で指導した」と読み取られるかもしれません。さすがの私も「風を引いた」だけで厳しい指導をすることはありません。その前の段階でかなりのことが続いていてその延長線上に今回の指導が存在するのです。一部分を切り取ってみてしまうと「過度な指導ではないか」と思われるでしょう。マスコミの報道などは全体の中の一部分を抜き出して自分の都合の良い内容に編集をすることで相手のイメージを大きく左右することができます。良いようにも悪いようにも情報を左右できます。ある意味恐ろしいことだと思いますね。

このことは逆に私自身にも言えることかなと思っています。どの立場に立ってこのBlogを書くかによって大きく変わって来ます。私の都合の悪いことを書かずに自分を正当化するとその内容は大きく変わって来ます。そういう意味でも考えながら客観的な視点で見ながら書いていかなければいけないと思っています。

ただ確実に言えることは様々な指導の内容を書くことでかならず何処かで誰かが不快な気持ちになる可能性があるのいうことです。私の感情を抑えて書いたとしても、感情を全面に出したとしても誰かが嫌だなと思うことは十分に考えられるのです。情報発信というのは常にその部分と背中合わせになります。事実だから全て書いて良いわけではない。そこに関しては理解しているつもりですが難しい部分がかなりあります。

先日からの指導に関してあれこれ思うことがありました。指導の続けていて「残念なこと」が分かりました。これまでの全ての指導が全否定されるような出来事でした。情けないと思う以外に何も残らない。自分の行動を正当化するつもりはありません。が、さすがにそれはないだろうと思う出来事です。日常生活をしっかりとやろうと言い続けて来て、それでも約束事を守れないというのは自分の無力さを感じるしかありません。

一部分の指導がやはり全体の指導につながっていかなければいけない。それができないのであれば指導にはなりません。あくまでこのBlogに書いているのは指導の一部分。それ以外にも多くの指導をしています。私の性格や生徒との関わり方をこのBlogだけで分かってもらうのは不可能だと思います。多くのエネルギーを注いでいます。見返りを求めるからいけないのかもしれません。が、あれこれありすぎてさすがにしんどいなと感じる部分はあります。

まとまりのない文章かもしれません。思うことをつらつらと書きました。お許しを。
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どこに目を向けるか

2013-12-20 | 陸上競技
以前から思っていることがあります。これも書くのはどうかと思うのですが、「一般論」として読んでもらえたらと思います。

何か行動を起こす。それは非常に大事なことだと思います。行動を起こせばその「結果」は自分自身に返ってくる。それが良い「結果」なのか悪い「結果」なのかは誰も分かりません。その「結果」に対する責任は他の誰でもなく自分自身のものです。ここの感覚は必要不可欠だと考えています。行動を起こすのを避ければ何もない日々の繰り返しです。惰性でやっているだけ。自分の行動の中に工夫を取り入れたり、先を見越して行動をするという部分は大事なことだと思いますね。

例えば部活動を辞める。これは「自由意思」だと思います。基本的に「辞める」と言った者を引き留めるつもりはありません。「辞める」と言ってきた時点で向かう方向が間違いなく違うのですから。人間関係に悩んでいるのであればそこを解決しなければいけない。それは普段の活動の中から見ていたら分かる。できればそうなる前に対応するというのが我々の役割だと考えています。が、向かう方向が全く違うのであればそこを引き留めることで様々な部分にマイナスになると思います。冷たいようですが。

辞める理由。それは人それぞれだと思います。しかし、「他人に責任転嫁」してしまうのは問題が全く異なるものではないか。極端なことを言えば「練習がきついから嫌だ」というのは辞める正当な理由だと思います。自分の性格的に厳しい練習ができないから辞める。または、「先生に注意を受けるのが嫌だから辞める」というのも同様。指導する側としては「今後のことを考えて」指導しますが、指導を受ける当人にとっては「また怒られた」というレベルで終わり。社会に出て云々よりも「目の前」のことが最優先となってしまう。当然あり得ることだと思います。だからと言ってそれがどうなのか?言い方は悪いですが高校生にとっては「嫌なことから逃げる」ことが一番簡単な解決策なのです。

が、「みんなに迷惑をかけるから辞める」「自分はやりたいけど先生が許してくれないから辞める」という理由は正当なのでしょうか?これは実際にこれまで部活を辞める時に言われた理由です。「辞める」のも自分自身の意志ではなく「他の人の責任」という考え方。継続的に指導してきても結局この部分の考え方が伝わらないから同じようなことを繰り返す。通常の行動でも「自分だけ」しか見ていない行動が多い者は特にこの辺りの「自己理解」ができません。悪いのは全て他の人、周りの環境という考え方。自分の行動を改善しなければいけないという考え方が不足しているのです。この状態でどれだけ話をしても100%入りません。

「強くなりたい」「最後までやり抜きたい」という部分と「他人に迷惑をかけるから辞める」というのは真反対に存在する考え方だと思います。かなり前に授業中にゲームをしていた者を指導した時に「他人に迷惑をかけるから辞める」と言われたことがあります。「チームに迷惑をかける」という言い分なのでしょう。「綺麗な言い訳」です。自分はやりたいのだけど自分が部活をすることでチームに迷惑をかける可能性がある。それなら部活を辞めるほうが迷惑をかけることがなくて済む。いやー立派なことですね。本当にそれが理由なのでしょうか。結局は「やりたくない」という部分があってそれを言うと自分自身が「逃げた」と感じるのかもしれません。だから「理由」は別にあって「仕方なく辞める」という状況を自分の中で作り出し自分自身を正当化する。

これで本当に良いのかは分かりません。ある子が「部活をしているときには分からない部分があったが、引退してみて先生が話していた内容がわかることがたくさんある」と言っていました。そんなものなのでしょうね。

書きたいことはありますがこれくらいで。考え方ですから批難されることもあるでしょうね。こういう記事を書く事に対しては考えることがあります。書く必要があるのかどうかは分かりません。それでも「記録」として頭の整理として残しておきたいと思います。前の記事と同じように削除する可能性はありますが・・・。
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考えさせられる

2013-12-20 | 陸上競技
色々と考えさせられることがあります。こちらが伝えたいことを感じ取れるようになるためにはどれくらいのエネルギーを必要とするのでしょうか。約1か月前に「これは厳しいな」と思うことが複数重なりました。競技指導ではなく「生活指導」となっている。この状況が続くようでは指導する意味は全くないと感じていました。自分の中から出てくるエネルギーが尽きてしまった感じでしょうか。それから1か月、細かい部分は多々ありますが少しずつ良くはなってきたかなと感じています。

それでいて合宿の遅刻。これに関しては指導をしています。今後の成長を期待するしかないのでしょうか。が、他に気になることがあります。「人任せ」という部分が抜け出せない。また、「責任」というものを感じ取れなければいけない。ここは常々話をしてきたと思うのですが上手く伝わっていない、感じ取れないという部分があります。ここに関してどれだけのエネルギーを使えばいいのか。任せられないという状況では困るのですが。

与えられた責任を果たさない。このことに関して指導しました。選手に責任を与えるというのはどうなのか?と批判されるかもしれません。私が不在の時には「選手主導」でやっていくことになります。危険な練習はさせませんがどうしても不在の時には自分たちで練習を進めていくことになります。その中で「責任者」を作ることは必要不可欠だと思います。怪我をした時の責任を取れと言っているわけではありません。全体を動かすときの責任です。練習が終わったらその状況を報告する。誰かの様子が普段と違えばそれを報告する。当然のことだと思っています。できないというのは「自覚のなさ」が原因ではないでしょうか。

その状況で「体調不良」になる。「遅刻」と同様です。ある程度緊張感を持っていれば免疫力も高まりますし、自発的に目が覚めます。細心の注意を払っても怪我をすること病気になることはあります。それはそれで仕方ないと思う部分もありますが気が張っていれば違ってくるのではないかと思います。「報告不十分」な状態に加えて「体調不良」です。自分の行動に責任を持つという感覚が不足しているのではないかと思います。

「体調不良」で学校を欠席した者がいました。これまでの記憶では学校を欠席するという者はほとんどいませんでした。「報告不十分」だった者と同一人物。ここはつながっていると思います。自己責任の部分があるのですがそこについて真剣に感じることができていない。考えさせる必要があると思いました。「体調が悪いようなので練習に参加しなくてよい」と連絡をしたのですが普通に参加。こちらが意図している意味が分かりません。午後も通常通り練習に参加しようという感じだったので「問題点を明らかにする」という意味でミーティングを実施。先日の「遅刻」の話と含めて「体調不良」「故障」について話をしました。

最後に「体調不良」だった者に「一緒に練習することはできないから帰りなさい」と言うと「失礼します」とトレーニングルームを出ていってしまいました。こちらが伝えていることの意味がわかってもらえません。私の話し方が下手なのかもしれませんが「自分の置かれている状況」を把握する必要がります。「インフルエンザなどが移ったら困る」という話をしたので「他の者に移さないように」と考えたのかもしれませんが・・・。話の流れが少し違う気がします。自分の「責任」の放棄と「自己管理」の部分がつながっていることに気づけないというのでは困るのですが。

これも私の視点から見たときの話なので私自身の考え方が間違っている危険性はあります。しかし、集団行動をするのですから大切なモノとは何かを感じ取れるようにならないと周囲に迷惑をかけることになります。どうすれば伝わるのかを考えていかなければいけません。たとえ伝わらないとしても今後のことを考えると対応を必要とすると思います。

色々考えました。この記事を書くかどうか・・・。このような内容を書くというのは批判される可能性を十分に含んでいます。それを承知の上で書くのかどうか。ひとまず書いておきますがひょっとしたら削除することになるかもしれません。
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