忘れていた親の愛情があったことを思う。
今月1日から孫が札幌に来ていた。
まだ1歳を少し超えた小さな孫だ。
歩けもしないのに「一升餅」を背負わせて泣かせてしまった。
その姿を見ながら、この子のこれからを憂う。
自分の1歳のころの記憶などない。
ただ、人づてに聞くのは、近所の旅館の物置小屋を借りて住んでいたらしい。
父は流しの時計の修理屋で、部屋の中ではいつも時計の修理をしていたのを、物心がついたころに覚えている。
かなり貧乏だったらしい。
時計屋のくせに店がない。
私には姉がいる。
姉は2つ歳上だ。
育てるのは大変だったんじゃないかと思う。
小さなころの記憶で、父親が時計の修理をしているそばに近づくと手で突き飛ばされた。
部品が無くなると大変だからだ。
孫の世話をしながら、意外にも子育ては大変だと気付かされる。
自分の子供には何もしてこなかった。
泣くと「うるさい」と機嫌を悪くしていたように思う。
私には3人の子供がいる。
今の親は愛情豊かだ。
そんな姿を見ていて、自分も親に面倒をかけていたんだと思う。
今さらながらに親の愛情に感謝する。
我が家では自分たちを“じじ”“ばば”と言っている。
いい響きだと思う。
そんな”じじ“がふと思う。
この孫とお酒が飲めるのは19年も先だ。
私は87歳になる。
そのころには飲める自信がなくなっていそうだ。
それよりもいるかいないかもわからない。
そんな先のことを考えても仕方がない。
今、思うのは平和な世の中で、災害などにも遭遇しない平穏な生活が出来ることを願っている。
その前に、息子のことも心配だ。
私が食い散らかした仕事の後は”兵どもが夢のあと”みたいな状態だ。
そんな孫が昨日、東京に帰っていった。
今日は両親の「月命日」である。
あらためて両親を偲び、今の幸せに感謝する。