いにしえの教えから変わらないものは変わらない。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」
ご存知のように鴨長明の「方丈記」の始まりである。
何となく奥が深いと感じる。
同じように見えるが同じではない。
「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし」
生きやすい環境だと、そこの留まりたくなるが、なかなかそうはさせてくれない。
ただ、同じ様に見える水の泡は常に新しくなっている。
専門家じゃないので詳しい解説など出来ないが、今を生きることとは何かを教えてくれるような気がする。
会社を辞めて思ったのは、自分の力なんてちっぽけなものだってことを知らされた事かもしれない。
独立してひとりになると何でも自分でやらなきゃならない。
時間がいくらあっても足りない。
焦れば焦るほどミスも起きてくる。
たまたま葬儀に参列した時に聞いたお坊さんの「説教」に中に、「生かされている」の話があった。
なぜかしら、この言葉が心に引っかかった。
自分は生きてきたのではなく生かされてきたんだと、妙な納得感が心に生まれた。
それから嫌いな人が嫌いじゃなくなった。
嫌いな人からも教えられていると素直になれた。
不思議だ。
生かされている自分に気付いてから感謝できるようになった。
それまでは「俺がやったんだから感謝しれ」みたいな態度だったかもしれない。
仲間はありがたい。
どれだけ助けられているだろうか。
どれだけ癒されているだろうか。
感謝、感謝だ。
私には宗教心はない。
お化けは信じるが神も仏もいるとは思っていない。
亡くなった両親の命日には必ず地元お墓参りに帰る。
今があるのは両親への感謝である。
貧乏な家だったのによく大学にまで行かせてくれたものだと感謝している。
自宅の仏壇に向かって「般若心経でも諳んじられたらいいな」と思いながら、その写しを読んでいたら、いつの間にか覚えてしまった。
正確にはどこか違っているかもしれないが、今さら直しようもない。
今、生きている。
そして、生かされている。