JO7TCX アマチュア無線局

せんだいSD550  山岳移動運用 

栗駒山 再訪

2010年06月01日 | 奥山 移動運用

標高1627m 宮城県栗原市


 2年前の6月14日朝8時43分、土曜日でしたが、この日は出勤日で仙台市内の路上を歩いていました。突然、轟音が鳴って、突風でも吹いたのかなと思ったら激しい揺れに見舞われました。最大震度6強の岩手宮城内陸地震で、この地鳴りは経験のないものでした。職場に着いて、テレビを見ると、栗駒山周辺の地形が大きく変わっている姿が映っていました。その後、山屋には馴染みの深い駒の湯や湯の倉温泉が濁流に呑まれ、水没していく姿を刻々とテレビを通して見守ることとなりました。

 あれから2年、登山口のいわかがみ平まで車道が復旧し、宮城県側の山開きが行われたことをニュースで知りました。登山ができるようになるまではもう少し時間がかかると聞いていたので、思いがけない知らせで、さっそく数年ぶりに登ってみることにしました。

 朝、目を覚ますと快晴とはいかないまでも、まずまずの天気。8時に自宅を出発、以前の記憶を辿りながらいわかがみ平までの車道を進むと、途中、テレビで見た山の崩落地は、車道のすぐ脇にありました。というよりも、車道のみを残して、すべて崩れてしまったという感じです。

 10時にいわかがみ平に到着。駐車場の半分は残雪で止められません。出遅れたこともあって、すでに7割程の駐車スペースが埋まっていました。


いわかがみ平


 解禁されている中央コースは、以前と変わらず、何事もなかったかのような風景がありました。コンクリートで固めた悪名高い登山道もそのままです。山頂直下の雪原を登り詰め、午前11時20分、数年ぶりの頂きを踏むことができました。登山自体はあっけないものですが、なにか感慨深いものがありました。崩落で山肌が痛々しいと思っていた荒砥沢ダム周辺は、上からは緑に覆われつつあるように見えます。視界も開け、北に焼石連峰、西は鬼首禿岳、新庄神室、そして鳥海山・・・。


東栗駒山方面


山頂直下


秣岳方面


 にぎわう山頂を避けて、尾根筋を進んだところで無線の準備を始めました。運用場所は広いというわけでもないので少し気を使います。目立たないようにJ型アンテナを持参しました。リグはいつものアルインコDJ-S17(4W エネループ電池)。




 電源を入れてVFOを回してすぐ「J・8・・・」のコールが聞こえてきました。さらに「/8」と聞こえました。こちらは電源を入れたばかりで、まだ体勢も整わない状態です。意表をつかれたまま応答したところ、「/7の局、再度どうぞ」とのうれしいコールバック。こちらが栗駒山山頂であることを告げて55のレポートを送りました。相手局は、なんと北海道様似郡様似町の移動局で、先方からも55のレポートをいただきました。「さまにまち」と言われてもよくわからないので、聞いてみたところ、「襟裳岬の近く、アポイ岳590m地点」とのことでした。Wikipediaによると、アポイ岳は日高山脈の南端にある山で、標高810.5m。地名の由来はアイヌ語の「アペ・オ・イ」(火のあるところ)だそうです。当局にとって、145MHzFMハンディ機による8エリアとの記念すべき初交信となりました。相手局は、10エレのヘンテナとのこと、QSBもなく、終止安定して交信できました。交信距離約400Km。そろそろ撤収を考えて最後のCQだったそうで、こちらがあと少しでも山頂到着が遅れたり、別のアンテナを持ってきて設営に手間取っていたら、出会うことはなかったと思います。相手局のFBな設備+双方のロケーション+偶然のベストマッチング。それにしても当局の貧弱なJ型アンテナからの信号がどうしてアポイ岳まで届くのか、不思議な感覚にとらわれました。

 一呼吸おいて、今度は、こちらからCQを出してみました。Xを待たしての運用なので1時間が限度です。北は青森県三沢市の固定局と59-55。秋田県横手市固定局と59-59。岩手県葛巻町移動局とは58-59。よく飛んでくれているようです。西は新庄神室の山々など複雑な反射があるようで、鶴岡市温海町の摩耶山(標高1019m)ハンディ局と52-54。同じ鶴岡市固定局とは51-59。こちらの信号は「カスカスでなんとか」とのことでした。酒田市固定局とは59-59。南は二本松市、標高877mの麓山ハンディ局と59-59。ロケの相性が良いようで、ハンディ機とは思えない強力な信号でした。距離約200Km。この他、岩手、山形、宮城、福島各局に呼んでいただき、後ろ髪惹かれる思いでタイムオーバー、QRTとなりました。ここは、北と南に通りが良く、すばらしいロケーションと思いました。やっと登れるようになった栗駒山。機会をみて、今度はゆっくりQRVしてみたくなりました。





  帰途、濁流に押し流された駒の湯温泉跡まで徒歩で行ってみました。駒の湯に下っていく道は以前のままで、ツツジが見ごろとなっていました。いつもの温泉宿が迎えてくれそうな錯覚にとらわれるのですが、行き着いた先には一面の土砂が広がっているのみでした。緑の山々も自然なら、この荒涼たる姿を作り出したのも自然なのでしょう。いわかがみ平まで車道ができる前までは、駒の湯は登山基地でもありました。Xは学生時代、生物部の合宿で二夜を過ごし、ここから山頂をめざしたそうです。ちょうど宿があったあたりには、立ち枯れの唐松2本が、寂しげに残っておりました。









コメント (11)
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