ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

JA7AO氏逝く

2011年08月19日 | アマチュア無線
お空のコンデションも何となく秋の気配が感じられて、今朝22:40zには5T0JL(Mauritania)と17mCWでQSO出来た。夏期休業明け初のQSOでもあり、これを聴き付けたJA7GYPさんから早速電話の激励かと受話器を取ると、数年前から自宅療養中のJA7AOさんの訃報だった。
昨年9月19日のADXA秋のミーテング(秋の宮温泉)では体調があまり良くないので宿泊は出来ないと福祉タクシーで駆けつけてくれたのに、こんなに早く逝ってしまうとは驚きだった。
  
                     
25年前JARL総会福島大会に参加された時我家での記念撮影の一コマ、自分がDXCC Honor Roll入りしたばかりの頃。皆ADXAの仲間で左からJA7ZF,PL,AGO,BWT,ZP,AO。この頃は当然ながらみんな若くて血気盛んにDXに夢中だった。
AOさんとは自分の開局当時に40mA3でお逢いしていたが、本格的にお付合いを願う事になったのは、自分が秋田へ転勤して3年後の1968年に本格的にDXを始めた頃からだった。当時からAOさんはTOP BAND(160m)のパイオニアとして活躍されて、1974年2月には160mWACを完成されたと同時に世界初の6 BAND WACも受賞されて、以後「TOP BANDの神様」と世界中から認められていた。生き神様を失い何とも残念だが、今後は真の神様として世界のアマチュア無線史にJA7AOのコールサインは永久に残ると思う。
自分が東京へ再び戻り、また福島に落着いてからも青春時代を過した秋田は自分の故郷と錯覚するほどで、ミーテング等には頻繁に通い、AOさん宅へも何度もお邪魔して図々しくも泊めていただいた事もあった。本当にお世話になり、朝のコーヒーの味も忘れる事は出来ない。自分の貴重なお宝、QSLカードと贈呈していただいたAOさんが実質執筆した379ページ1994年発行の「秋田県アマチュア無線史」である。AOさん安らかにお休み下さい。合掌!

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