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1 その日の夕方6時から通夜が行われ,私と事務員1人が参列した。遺族は数名しか集まることができていなかった。事務所名他数個の生け花が飾られていて,ほっとした。
2 通夜の後で,喪主となる孫と翌日の葬儀の予定などを打ち合わせた。あす住職へのお礼を用意しておくので,喪主から住職へ渡してもらうことにした。領収書を求めないことも説明した。私は火葬場へは行かないが,その後に行われる初七日の法要には参列すると伝えた。
3 翌日午後1時から葬儀がしめやかに行われた。孫夫婦やその子供なども関東から駆けつけていた。最後のお別れに,棺の蓋を開けて合掌し,冥福を祈った。花を沢山入れてあげ,棺が花で一杯になった。確か夏目漱石の俳句に,「ある花を みな投げ入れよ 棺の中」というのがあるが,このような状況を詠んだものだろうと思った。安らかで美しい顔だったので,嬉しかった。
4 葬儀が終わり,遺体と遺族が火葬場に向かうのを見送って,事務所に帰った。私は,事務員にお婆さんの公正証書遺言と半年前に作成していた会計報告書を,相続人の数だけコピーして貰った。
 そして初七日の法要が,大体午後6時ころからだが,正確な時間は連絡をもらうことになっていたが,連絡がないので,少し遅れて出かけたところ,すでに初七日の法要は終わっていた。火葬場の職員の話として,頭部に出血の痕跡があったということだったそうである。
5 翌日老人ホームに午前11時に集まることになり,遺品の整理などを行うことになった。私は相続人全員に遺言書と会計報告書のコピーを渡し,翌日私が遺産について説明するので,読んでおくように伝えた。
6 翌日老人ホームに出かけた。重要そうな書類を私が預かることにし,遺言執行者である私の報酬や,相続人が取得することになるおおよその金額を説明し,預金の解約その他の手続きへの協力を求めた。
 その後年が明けて49日の法要にも参列した。今遺言執行者としての手続きをしているところであるが,間もなく終わるだろう。
7 結局おばあさんは意思能力が不十分となる前に亡くなられたので,家庭裁判所が任意後見監督人を選任することがなかったため,法律の規定により任意後見契約は効力を生ずることなく終了した。
8 半年近くの余裕がある筈だったが,できるだけ万一に備えて準備を急いでおこうと思っていたのに,その心づもりよりもずっと早く事態が急展開した。一時期一体どうなることかと心配もしたが,運よく何とかこれまで職務を遂行できたと思ってホッとしている。事務員2人も大活躍してくれて,本当に助かった。
 それにしても,おばあさんは少し前まであんなに元気だったのにと,人生のはかなさを実感した。私は二人目の母を失ったような淋しさの中にいるが,気を取り直して元気を出そうと思っている(完 ムサシ)。


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