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 159国会の衆議院・参議院各法務委員会議事録を開いて、文字が小さすぎるので、コピーペーストしてから拡大して、ざっと目を通してみた。
 探したのは、なぜ陪審員制度ではなく、裁判員制度を選ぶのか、被告人の意思にかかわらず、裁判員裁判を一律に強制するのは、なぜか、憲法違反の疑いはないのか、なぜ、この範囲に対象事件を限定するのか、裁判員の誰にとっても、被告人が身近な存在ではなく、「排除すべき他者」に対するまなざしのみが予想される種類の事件に、裁判員の参加が、どんな効果をもたらすのか、量刑についても裁判員の判断を求めることの意義はどこにあるのか、さらに、そもそもこの法案は、実施可能なのか・・・
 そういう議論が、まさか、すっ飛ばされてしまったわけではあるまいと思って、それらしい部分を探したのだが、ほとんど見つからなかった。
 裁判員の選び方とか、守秘義務の範囲とか、そういう議論は、むろん、あったが、それで守秘義務がどこまで及ぶのか、答弁者自身にも、具体的には全然わかっていないことが、よくわかった。
 しかし、そんなことよりも、なぜ陪審員ではだめなのかという議論が、どこにも見つからなかったのは、衝撃的だった。
 それはないはずはない、ここにあるよと指摘できる方、どうぞ教えてください。
 陪審員がだめだという理由は、およそ想像がつく。
 裁判官が事実上コントロールできるとは言え、やはり建前として、事実認定を陪審員だけに任せてしまうのが、不安だったに違いない。
 しかし、被告人に選ばない自由があるはずの陪審員ではなく、その選択ができない制度にした理由はどこにあるのか。
 被告人の選択を許さない結果、対象事件の範囲が大幅に広がっても、裁判員の選任が、それほど困難ではなく、その「やる気」を維持するにも大きな障害はないと判断できる根拠が、どこかに示されているのか。
 いったい、どこで、そんな議論が済んだのか。

 国会の議事録になければ、司法制度改革審議会の議事録だ。ここにあるに違いないと思って探してみた。
 しかし、ここでも、論戦が交わされたらしい痕跡は見つからない。もっとも
大量の議事録を一々開く根気はとてもないから、見落とした可能性は大いにあるが、数時間を費やしてわかったのは、平成13年6月12日付けの意見書で
「裁判員制度の導入目的は、国民が国民主権に基づく統治構造に参加することであって、被告人のためではない。だから、従来の裁判官のみによる裁判を、被告人が選択することは許せない。」という居丈高な断定が示されていることだけで、どんな議論を経てそういう結論に到達したのか、さっぱりわからなかった。

 裁判官でもあった江田五月さんを含めて、弁護士で国会議員に選ばれている
人は大勢いるはずだが、その人たちは裁判員法の審議に当たって、どんな意見を述べたのか。
 福島みずほさんが今頃になって実施延期を唱え出したのを、裏切りだと憤慨
する人がいる。たしかにお粗末だが、「ここまできたら、イチカバチか、突っ込むしかない」などというよりは、よほどまともな針路変更だろう。
 このまま突っ込んだら、「氷山めがけて、まっしぐら」になりかねないという心配はありませんか。
 たしかに、国民の一部にでも、積極的に裁判員を受けようという人が、必要な人数を満たすだけいれば、大部分の争いがない事件は、円滑に処理できる
でしょう(税金がいくら、余計にかかるかは、気にしないことにする)。それは、やってみなければわからないところもある。
 しかし、裁判員に選ばれて、こんなひどい目にあったという人が、出てくるのは時間の問題ではないのか。
 裁判員に選ばれただけで、自殺する人が出るかも知れないという指摘がある。
 私も、そんな心配が絶無ではないと思うけれども、国民だって、すぐに身を守る知恵がつく。
 裁判員に選ばれそうになったら、「死刑には絶対に反対です」と言えばいい。
 そんな嘘をつくのはいやだという正直な人は、「警察がすることは信用できません」と言えばいい。これなら誰にでも言えるでしょう。
 それだけ言えば検察官の方が、あなたを候補者から外してくれるはずだ。

                               山田 眞也

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