日本裁判官ネットワークブログ
日本裁判官ネットワークのブログです。
ホームページhttp://www.j-j-n.com/も御覧下さい。
 



1 新年おめでとうございます。今年も大袈裟に言えば,「ふと気がつくと,また新年を迎えていた。」というような心境である。大変な不況の中で新年を迎えたが,今年は一体どうなるのだろうという不安が強い。石川啄木の短歌に,「何となく 今年はよいこと あるごとし 元日の朝 晴れて風なし」というのがある。私の住んでいる地方は,この正月はとても天候に恵まれたので,この短歌のように,よいことの多い年になってほしいものだと思った。
2 連載中の任意後見の話も,全5回分の原稿が完成しているのであるが,余りおめでたいという話ではないので,正月草々の今回は遠慮して別の話を書くことにした。
3 1月2日に子供ら夫婦2組が帰省することになり,元日は朝から大掃除をするハメになった。午後3時ころ掃除と買い物が終わって,帰省を迎える準備もほぼできたので,ホッと一息ついていたところ,急に妻が「ハイキングに行きたい。」と言い出した。一体何を言い出すのかと驚いたが,考える暇もなく,せかされるままにハイキング専用のリュックを背負って,家から車で15分の所にある標高260メートルの山へ出かけた。考えてみるとこの1年は膝を痛めていたので,ハイキングも1年振りのことである。午後3時45分に登り始めて,午後5時15分に駐車場に帰り着いた。1時間30分の行程で,既に辺りは薄暗くなりかけていた。妻は6年振りのことでとても満足したらしい。
4 1月2日の午後2時ころ,2組の夫婦が新幹線で帰省した。駅まで2台の車で迎えに行き,その足で吉備津神社に参拝した。片道30分の距離であったが,混雑して3倍の時間を要した。
5 夜は我が家の手料理で話が弾み,結構飲酒したようである。特に日本酒が美味しくて,6人のうちの約2名で,一升壜をほぼ空にし,2人とも冷凍マグロのようにその場に寝込んでしまったとのことであった。そのため計画していたサンタの出し物も省略ということになった。
6 翌日はみんなで近くの川原で犬の散歩をしたり,子供らは帰る用意をして家から500メートルの所にある岡山後楽園まで一緒に歩いて行き,園内を散策した後,子供らの希望で私がかねて自慢していたラーメン屋へ行った。私が高知や松江に住んでいて大阪などに用事があるときに,わざわざ途中下車してまで食べに行っていたラーメン屋である。 他にもチャーハンなども注文し,とても美味しいと言ってくれた。私が以前,時にラーメンをお代わりしたという話も覚えていて,その理由が理解できたということであった。
7 昨年4月,5年間の単身お留守番生活が解消し,通常の生活が戻ってきた。よくもまあ,この5年間を何とか無事に生き延びたものだと,ふと思うことがある。この正月は,久しぶりに我が家で妻や子供らとの生活を楽しんだ。とにかく「人生何があっても達者が一番」の精神で,心身ともに活力のある生活を送ろうと思ったことであった。(ムサシ)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 暮れに,娘が2歳になったばかりの孫を連れて遊びに来た。
 カタコトをしゃべり出した孫は,なんとも可愛い。「ジイジイ」(私のこと)と言われるのがうれしくて,せがまれると,ホイホイと痛い腰を我慢して,公園まで「ダッコ」してしまう。

 部屋で一緒に遊んでいるとき,孫がおもちゃを入れる紙箱を破いてしまった。この歳では,破ることはこの上なく楽しいようだ。思わず「メッ! そんなことをしていると,ママに叱られるよ」とたしなめた。
 すると,そばで聞いてた娘が,即座に「お父さん! 違うよ。ママが叱るからいけない,じゃないよ」と横やりを入れてきた。「紙箱を破ることがいけないのは,使えなくなってダメになるからであって,ママに叱られるからではない」ということだろう。
 昔からひとこと多い娘である。時々,親に説教をする。「そんなこと分かってるわい」。言葉には出さないが,ジイジイは面白くない。

 非行を犯した少年たちと向きあっているときの同じようなシーンを思い出す。「バイク盗がどうして悪いのか」と尋ねられて,「警察に捕まるから」と答える子が結構多いのである。
 「そうかな?」と問い直し,「持ち主に迷惑をかけるから」「被害者に辛い思いをさせるから」という「正解」を引き出そうとする。被害者のことに思い至らず,警察に捕まって損をしたと,それだけで後悔する少年のことを,「内省」が足りないとみてしまう。

 それは,そのとおりであろう。
 しかし,ある鑑別所の技官の書いた本に「わが国の裁判所や鑑別所は,非行少年に対して,余りにも道徳的になり過ぎ,深い内省を求め過ぎている」と警告したものがあった。
 被害者のことに思い至れるように教育することは正しく,また目標でもある。ただ,「警察に捕まる」怖さを感じ,いわば損得で行動を律することも,人間として自然なものであり,決して低くみる必要はない。私ども,通常の大人も,いつもいつも道徳的な決断で行動しているわけではない。(誰もいない夜道で,大金を拾った場合を考えてほしい)。悪いことを抑止する動機には,捕まっては大変だという思いも,決して小さくない。

 昔から,子どもには,悪いことをすると「地獄に行く」とか「鬼にさらわれる」と教え込んできた。「おてんと様が見ている」も,後罰を恐れさせる教えであったろう。想像力を働かせて,悪い報いを心の中に呼び起こすことも,人間が行動を律する時の大切な方法の一つなのである。
 非行を犯す子どもたちの中には,「悪い報い」を想像する力が足りないのではと思われる子も多い(おそらく大人の犯罪者にも)。後先を考えて,損得で行動できるだけでも,立派なものなのだが。 (蕪勢)


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )