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世の中の常識を疑おう その1

2018年07月01日 | ブログ
人権
 今年も半分終わった。今日から7月である。1年は12か月だから6ケ月が終われば半分が経過したことになる。しかし6月までの前半は2月が28日しか無かったりで、後半より3日ほど少ない。その意味では明日7月2日が、丁度1年365日の中間日となる。

 くどくど当たり前のことを書いた。世の中には何でもないことでも思い込みや常識と思って疑わないことに落とし穴がある。

 囲碁などはAIの登場で、これまでのプロの常識の一部が変化したようだ。「そんな手を打つようでは田舎に帰れ」と師匠から言われたような手をAIは打つことがあるらしい。それで勝ちきれば、これまでの常識はそこで終わる。勿論打たれた相手の技量にもよる。一回の勝負で結論は出せない。

 「人権」という言葉があって、「人間の命は地球よりも重い」などと言われたりする。それにしては、軽すぎる命の如何に多い事か。5歳の女の子が両親からの虐待で悲しみのうちに亡くなった。東京都は児童相談所増設の要望を受けて、鋭意検討すると言う。役人が増えて、それなりの見かけ上だけの仕事で、多額の報酬を得る人間が増えるだけのようにも思う。それは思い込みだろうか。

 これまで児童相談所に相談しながら救えなかった命はどれだけあるか。ひとつには家庭の中に他人が踏み込めないジレンマが役所側にある。虐待されているかもしれない両親にも人権がある。個人の家庭は治外法権的なところがある。だから虐待に限らず身内の犯罪がやたら多い。

 犯罪者は特に、被害者に比べて人権が守られる。殺され損が多い。冤罪などではけっしてなく、確かに殺人を犯したことがバレバレの場合の弁護士の常套手段が精神鑑定。これで無罪。放免とまではいかなくても無罪を勝ち取れば、担当弁護士は箔がついて、仕事が増えてお金儲けができる。

 精神異常で殺人を犯すような人間に本来人権など在ろう筈はないが、現代社会でではそうはいかない。私のような一般人が何を云おうが影響力は皆無だから、問題にならないが、代議士先生などがこんなことを云えばマスコミの餌食にされる。しかし、ジャーナリストや弁護士などで本当に人権を理解している者はどのくらい居るのだろうか。

 犯罪者にあっても裁判で刑が確定するまでは容疑者であり、取り調べに際して拷問など許されるものではない。それはそうだ。しかし、これだけ人権がやかましく言われている時代でも権力者の都合で、冤罪者を捏造することは出来そうである。テレビドラマなどで、警察や検察の上層部と結託する犯罪が描かれることはよくある。

 首相への忖度で、公文書改ざんという重罪を犯し、それを苦にしたのであろう担当の官僚が自殺して果てても、その人権には見向きもしない人々は、未だに国会で空疎な詭弁を弄して権力維持に奔走する。
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