原爆忌
今年も8月6日、9日がやってくる。日本の夏の一面である。私の父は戦前戦中呉の海軍工廠に勤めていたので、この日は呉の音戸の瀬戸辺りに居たそうだ。風圧を感じたと言う。翌日には呉の海軍病院に向かう被災者の群れを見たと言う。
職場の先輩で、2,3歳の頃爆心地から2km程度の自宅で被爆した方がおられた。祖母に背負われ逃げ延びて、その後の黒い雨を免れたため、原爆病の症状は出なかったという。被爆女性と結婚されたが、奥さまは早世されてしまわれた。
会社の寮の同室だった先輩が広島の原爆病院に入院されたというので、お見舞いに行った。病名は知らない。深刻な病気ではなかったとは思う。初めの原爆病院は暗い木造の建物だったことだけが印象深い。
広島と生まれ故郷の愛媛では瀬戸内を挟み隣の県だけれど、原爆に対する想いは雲泥の差がある。就職して広島県に隣接する町に住むようになった昭和41年、まだ戦後20年しか経っておらず、職場には徴兵されて戦争体験された先輩はあり、前述のように身近に原爆を目の当たりにした方もおられたことで、ドラマや小説などノンフィクションであっても創作の世界とは迫力が違う。
平和公園には何度も行ったし、原爆記念館も見学した。休日の公園には岩国基地の米兵も多く見られ、女子高生などが英会話の勉強とばかり取り囲んでいたりした。帰りの電車で、ベトナム帰りの米軍戦闘機のパイロットと話をしたこともある。彼らは強く平和を望んでいた。昭和40年代半ば頃は、太平洋戦争の記憶は遠くなり、ベトナム戦争の悲惨さが多くのフォークソングなどの反戦歌につながった時代だった。
最近、アメリカのカリフォルニア州の山火事がテレビで連日報道されていた。日本と同じようにかの地も相当に暑いという。連日40℃前後の気温で、ただ日本と違うところは湿度が異常に低い。日本は80%程度あるのに対して、カリフォルニアでは湿度が10%に満たない時もあるそうだ。一度燃え上がるともうどうにも止まらない。テレビの火災映像は地獄図だけれど、思えば原爆投下後の広島や長崎はさらに極限地獄であったろう。
それでも人類は核兵器を手放せない。世界をわがものにという周回遅れの帝国主義の一党独裁国家が勢力を伸ばしている限り、北には不法に占拠した領土を、文句があれば戦争で取り返せと言う国家がある限り、きれいごとだけでは生きてゆけない現実がある。いずこの国であれ、国土防衛のために備えなければならない。
広島にオバマ大統領が来たけれど、たとえトランプ大統領が来たとしても当面世界の核軍縮が進むことはない現実がある。
8月6日、9日はせめて犠牲者の霊に祈るしかない。
今年も8月6日、9日がやってくる。日本の夏の一面である。私の父は戦前戦中呉の海軍工廠に勤めていたので、この日は呉の音戸の瀬戸辺りに居たそうだ。風圧を感じたと言う。翌日には呉の海軍病院に向かう被災者の群れを見たと言う。
職場の先輩で、2,3歳の頃爆心地から2km程度の自宅で被爆した方がおられた。祖母に背負われ逃げ延びて、その後の黒い雨を免れたため、原爆病の症状は出なかったという。被爆女性と結婚されたが、奥さまは早世されてしまわれた。
会社の寮の同室だった先輩が広島の原爆病院に入院されたというので、お見舞いに行った。病名は知らない。深刻な病気ではなかったとは思う。初めの原爆病院は暗い木造の建物だったことだけが印象深い。
広島と生まれ故郷の愛媛では瀬戸内を挟み隣の県だけれど、原爆に対する想いは雲泥の差がある。就職して広島県に隣接する町に住むようになった昭和41年、まだ戦後20年しか経っておらず、職場には徴兵されて戦争体験された先輩はあり、前述のように身近に原爆を目の当たりにした方もおられたことで、ドラマや小説などノンフィクションであっても創作の世界とは迫力が違う。
平和公園には何度も行ったし、原爆記念館も見学した。休日の公園には岩国基地の米兵も多く見られ、女子高生などが英会話の勉強とばかり取り囲んでいたりした。帰りの電車で、ベトナム帰りの米軍戦闘機のパイロットと話をしたこともある。彼らは強く平和を望んでいた。昭和40年代半ば頃は、太平洋戦争の記憶は遠くなり、ベトナム戦争の悲惨さが多くのフォークソングなどの反戦歌につながった時代だった。
最近、アメリカのカリフォルニア州の山火事がテレビで連日報道されていた。日本と同じようにかの地も相当に暑いという。連日40℃前後の気温で、ただ日本と違うところは湿度が異常に低い。日本は80%程度あるのに対して、カリフォルニアでは湿度が10%に満たない時もあるそうだ。一度燃え上がるともうどうにも止まらない。テレビの火災映像は地獄図だけれど、思えば原爆投下後の広島や長崎はさらに極限地獄であったろう。
それでも人類は核兵器を手放せない。世界をわがものにという周回遅れの帝国主義の一党独裁国家が勢力を伸ばしている限り、北には不法に占拠した領土を、文句があれば戦争で取り返せと言う国家がある限り、きれいごとだけでは生きてゆけない現実がある。いずこの国であれ、国土防衛のために備えなければならない。
広島にオバマ大統領が来たけれど、たとえトランプ大統領が来たとしても当面世界の核軍縮が進むことはない現実がある。
8月6日、9日はせめて犠牲者の霊に祈るしかない。