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時事散歩Ⅲ第17回

2014年03月23日 | Weblog
許されざる者

 ここ数日、新聞テレビでベビーシッター事件報道が続いている(20日現在)。託児所不足は聞いていたが、ネットを使い乳幼児を預かることで収入を得る仕事があることなど知らなかった。5人までなら行政への届け出も要らないという。無資格で赤(阿伽)の他人の赤ちゃんを預かり給金を貰う。預かる場所の衛生状態も、その間のシッターの幼児への対応も保障はない。預ける親こそ問題だと思うけれど、他に方策が無かったと言われればそれまでである。

 埼玉県富士見市のマンションで2歳児の遺体が見つかった事件で、このマンションに住む20歳代のベビーシッターの男が逮捕された。男はあくまで容疑者であり、何があったのか事実は今のところ不明である。ただ言えることは、大切な子供を軽々に他人に預けることは、どのような事情があったにしても預ける側の問題でもある。

 政府は相当前から少子化対策に大臣まで配して取り組んで来た筈であるが、このような抜け道の仕事や業者を把握していなかったことは問題である。政府は、あらたな事件が起きるたびに後手後手の対応となっているようにみえる。ベビーシッター仲介の別サイト運営会社によると、2008年の開設から6年で、利用登録は全国で約1万人、シッター登録も約5000人に上るという(3月18日読売新聞夕刊)。昨日今日始まった業態でもないようだ。この間放置されておれば、当然に起きるべきして起こった事件ではないか。

 だいぶん前の話だけれど、職場の部下の青年がボランティアをやっているというので、内容を聞いてみると、若いお母さんが育児で持てない趣味の時間の確保のための、子供を預かるボランティアだという。そんなボランティアは止めた方がいいと言ったものだが、その後どうしたかまでは聞いていない。預かった子供が怪我をするような事態まで考えての活動だったのかどうか。「若い母親の趣味の時間のために、自分の時間を使うことはない。そんな時間があるなら自己研鑽に努め、将来より大きな形で社会貢献をすることだ」と思ったものだが、ボランティアを募集した組織もあった筈で、個々人の問題だけでもない。

 それにしても、少子化でありながら、子供が粗末にされている。実の親から、また継父や母親の愛人から子供が虐待を受けて死亡する事件も後を絶たない。数年前か母親が幼児をアパートに放置して死なせた事件もあった。死亡するまでの虐待があるということは、死に至らない虐待が常習化しているケースは相当数あることが推測され、家庭という一種治外法権の場で躾という名目の暴力が繰り返されているのは憤怒に耐えない。学校の部活動などでも問題になるが、要は圧倒的な力と立場を持った人間が、本来庇護されるべき弱い幼児や児童・生徒に対して暴力をふるう卑劣な行為だ。ただ、確かに人が育つ過程で、痛みによってしてはいけないことを体で覚えることもあるし、手に負えない行動をする子供もいないわけではない。すべてを否定することは「過ぎたる及ばざるが如し」ではある。

 最近発覚した事件には、父親(23歳)が長女(8か月)の顔に熱湯を掛けたというのがあった。このような人間を鬼畜という。鬼や畜生も「そこまではやりません」と言うかもしれない。

 鬼、畜生よりも劣るような人間が、21世紀のこの国にあることを社会や政治の責任というつもりはない。個人の問題である。厳罰に処すべきである。しかし、卑劣な犯罪者にさえ人権を持ち出して擁護する風潮がある。いかにも人道的で進んだ社会のようだが、わがまま勝手な人間を生みだしていることも忘れてはなるまい。虐待死させた親の刑罰の多くは驚くほどに軽い。正義面した偽善者こそ許されざる者達である。




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