先住民族関連ニュース

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アイヌ新法の課題「明らかに」 市民会議5周年で集会

2021-06-29 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/28 05:00

市民会議のこれまでの取り組みや今後についてオンライン集会で報告する丸山博代表
 道内のアイヌ民族や大学の研究者らでつくるアイヌ政策検討市民会議(丸山博代表)は27日、設立5周年を記念する集会をオンラインで開き、2019年に施行されたアイヌ施策推進法の課題などを議論した。
 同会議は、現在行われているアイヌ政策を批判的に検討し、問題点を国や関係機関に提示する目的で16年4月に設立された。札幌市や紋別市で学習会を開き、地域のアイヌ民族団体の活動の支援などを行ってきた。
 集会には同会議メンバーら約60人が参加。現在、同会議としてアイヌ施策推進法について、各地のアイヌ協会などにアンケートを実施していることが報告され、結果をまとめて国や道に提出するとした。同法は施行5年をめどに必要に応じて見直すよう定められているため、丸山代表は「問題点を明らかにし、国に改善を働きかけていく」と話した。(田鍋里奈)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/560734

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アマゾンの先住民族との出会いからはじまる4年に渡る“探求の旅”の記録――コロナ禍に必要な「しあわせ」の秘訣とは?

2021-06-29 | 先住民族関連
PRTIMES 2021年6月28日 14時10分
『これからやってくる素晴らしい世界の話』刊行
株式会社自由国民社

旅先で異文化に触れることで、抱えている問題を解決する糸口が見つかる――このような経験はありませんか?
本書は、4年に渡る「しあわせな生き方・社会のデザインとは何か」を探求するための旅を記録した一冊。
「お金」の観念がない南米エクアドル・アチュアル族との出会いからはじまり、インドの風景を変えつつある「ゴミ問題」や、カナダ領とデンマーク領で明暗を分けた北極圏イヌイットの現状、ゆっくりと近代化を進めながらも、これまでの伝統や国民の「幸福」を守り続けるブータンの暮らしなど……。さまざまな地域の「リアルな姿」を描いています。
「自然との調和を大切にする」先住民族の文明から、「テクノロジーを好む」わたしたちの文明が何を学ぶべきなのか?そしてどのように交わっていくべきなのか?旅を通して「しあわせな生き方」、そして「しあわせな社会」の秘訣を探っていきます。
書名:『これからやってくる素晴らしい世界の話』
著者:ヒロカズマ
定価:1,760円(10%税込)
判型:四六判
頁数:288頁
ISBN:978-4-426-12513-4
発行日:2021年6月28日
【目次】
第1章 南米のジャングルに生きる人々の叡智
第2章 インドでシンクロニシティに身を任せる
第3章 会いたい人に会いたい時に会いに行く
第4章 世界の屋根で見つけた融合点
第5章 世界を回って知った幸せな生き方
第6章 世界を回って気がついた幸せな社会
第7章 再び南米アマゾンへ
【著者】
ヒロ カズマ
大阪生まれ。セミナー会社を経営し、いくつかの不動産を所有する自由人。ライフワークとして「幸せに豊かに生きる方法」を伝え広めている。どうしたら人が自由に才能を伸ばし、豊かに生きることができるかをテーマに、多くの人を対象に、講演・セミナー・コーチングを行ってきた。四代目として豊かな子ども時代を送ったために、独自の金銭哲学を持ち、そのユニークな視点からの明快なアドバイスを求め、全国からファンが訪れている。オンライン塾「素晴らしい世界」も開講。南米アマゾンに暮らすアチュアル族を訪ねる旅をきっかけに、インド、北極圏、ヒマラヤを巡り、先住民族の文明と私達の文明の融合点がこれからの時代を豊かに生きる鍵だと気づく。そして、2つの文明が融合した後に訪れる素晴らしい世界を伝えている。
【書籍のご購入はこちら】
楽天ブックス:https://a.r10.to/hyMyLc
Amazon:https://amzn.to/3wz7n5E
【会社概要】
会社名:株式会社自由国民社
所在地:〒171-0033 東京都豊島区高田3-10-11
代表者:石井 悟
設立:1928年(昭和3年)8月5日
URL:https://www.jiyu.co.jp/
事業内容:雑誌・書籍の編集、出版等
【お客様からのお問い合わせ先】
株式会社自由国民社
TEL:03-6233-0781
FAX:03-6233-0780
【本リリースに関する報道お問い合わせ先】
株式会社自由国民社
宣伝企画部
TEL:03-6233-0783
FAX:03-6233-0780
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000102.000037885.html

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「ネームには3か月もかかりました(笑)」 デビュー第1作・佐々大河が決めた『ふしぎの国のバード』で‟嘘をつく”ためのルール

2021-06-29 | アイヌ民族関連
文春オンライン 2021/06/28 11:00
「生まれ育ちは東京だけど、根無し草の感覚があった」 『ふしぎの国のバード』の作者が明治を舞台に選んだ“意外な”ワケ から続く
 とある西洋人による明治時代の日本の旅を描いた漫画『 ふしぎの国のバード 』(KADOKAWA『 ハルタ 』連載中)。実在したイギリス人女性冒険家のイザベラ・バードが、1878年(明治11年)に神奈川県・横浜から北海道(蝦夷地)まで旅行した記録である『 日本奥地紀行 』を出典として、バードとその通訳・伊藤鶴吉の旅をコミカライズした作品だ。
 文明開化の代償として、江戸時代以前の文化が失われつつあった過渡期である明治11年。すでに近代化が進んでいたイギリスから来日したバードは、当時の日本の風土を目の当たりにし、価値観を揺さぶられていく。我々日本人読者は、当時の西洋人目線になって明治11年の日本の文化を読み解くことができるのである。
 作者の佐々大河氏は現在30代前半で、大学時代にイギリス近代史を学び、2013年に本作の読み切り版で漫画家デビュー。そんな佐々氏に、史実をもとにした作品を描いたきっかけについて聞いた。(全2回の2回目。 前編 を読む)
下調べや裏取りに膨大に時間を費やすと語る佐々さん 
 “嘘をついていい部分”と“ついてはいけない部分”
――『ふしぎの国のバード』が初連載作品とのことですが、連載化するまでの経緯をお教えください。
佐々 『ふしぎの国のバード』は2013年に描いた読み切りから始まりました。それからバードを主人公にした読み切り作品を何度か描かせてもらい、読者のみなさんからも好評だったそうで、編集部からシリーズ連載にしようと打診があったんです。
 ただ、旅行記をもとにした歴史ものですから、下調べや裏取りに費やす時間が膨大にかかるんです。新人でしたし、絵も話も何もかも手探りで始めたため、ようやく第1巻を出せたのが2015年でした。
――そのなかで身に着けていった、創作のコツのようなものはありましたか?
佐々 史実をもとに物語を組み立ててはいますが、漫画ならではの面白さを出すためには、どこかで演出として嘘をつく必要がありました。『日本奥地紀行』のままを描くのであれば、『日本奥地紀行』を読めばいいという話になってしまいますから。実在のバードや伊藤の特徴を強調して練っていったように( 前編 参照)、ストーリーも娯楽作品として読めるようにアレンジをしています。
 そこで重要になるのが、“嘘をついていい部分”と“嘘をついてはいけない部分”のルールを自分なりに設定すること。原作で綴られる史実をさらに面白くするために、原作に書かれていない別の要素を盛り込むこともしています。ですが、そのときに僕は当時の風習や生活に纏わる嘘は絶対につかないようにしているんです。
 例えば、原作にもあったバードがハチに刺される回の話では、害虫駆除と作物豊作を祈願する伝統行事「虫送り」を一行が目にする描写を足しました。でも、実はそのシーンは原作には書かれていません。テーマをより明らかにするためにあえて、実際にその時期・その地域にあった「虫送り」を素材として使ったのです。とは言っても、描いた後に史実と異なることに気づいて焦ることもありましたが……(苦笑)。他にも、原作の後半でバードが経験することを、漫画では序盤のエピソードとして挿入するという、組み換えのような演出もしています。
――他にも、原作と異なるアレンジとして、バードの容姿を史実より若く見えるように描いていますね。
佐々 それは、連載前に編集部から「バードのほうれい線を描かないように」と言われたからなんです(笑)。実は、デビュー作の読み切り版では、史実通り40代中ごろに見えるように描いています。
 ヘボンやパークスなど、他の実在の人物は実年齢通りであるにも関わらず、バードだけ若い女性として描くのは、エイジズムやルッキズムといった切実な問題にも繋がりかねません。読んで傷つく人がいるかもしれない要素を漫画に反映させることに、迷う気持ちも未だにあります。
あえて序盤にテーマを語らせる――その興奮
――演出と言えば、作中の日本人の会話は全てフキダシにミミズのような日本語が書かれ、読者が理解できないようにされています。
佐々 それは誰の視点の話なのかを重要視しているからですね。この漫画は主人公のバード視点で物語が進みます。バードの立場になれば、当時の日本人たちが何を言っているのかよくわからないわけですから、そのバード視点を大事にしようと考えて、“くずし字風”にしてセリフが読めないという演出を思いついたんです。
 漫画内の日本人が話しているセリフを読者にも教えたほうが、知識を得るという意味で正解だとは思います。でも、あえてそれはしないわけです。バードがその内容を知りえる状況ではないから、読者にもバードと同じ感覚を味わってもらいたいので、そういった部分はこだわって作っていますね。
 また、これも読者がバードと同じような体験ができるようにという狙いから、登場する日本人の行動や考え方は、今の我々とは全く異なることをあえて選んで描いているんです。現代の日本にも残っている当時の風習はありますが、読者のみなさんにも“ふしぎの国”に迷い込んだ感覚や、文明が滅んだことで“失われたもの”を知っていただくために、取捨選択や強調するといった演出は加えています。
手が震えるほど興奮したシーン
――ここまで描き進めてきたなかで、特に印象に残っているエピソードを教えてください。
佐々 第1巻の2話目で、バードの旅の後ろ盾となる駐日イギリス全権公使・パークスが登場したシーンですね。
 この話でパークスは「今、この国でひとつの文明が滅びようとしている。あらゆる考え方、あらゆる生活、あらゆる文化が姿を消すだろう。“江戸”という呼び名と共に。滅びは誰にも止められない。しかし、記録に残すことはできる」というセリフを言っています。
 当時の僕は、自分が描きたいテーマではあったものの、それを登場人物に直接的に喋らせないほうがいいかなとも思っていたんです。でも担当編集さんから、この作品における重要なテーマだからきちんと描くべきという助言を受け、パークスのセリフにしました。結果的に、そうしてよかったなと、強く思っています。
 この見開きのシーンを描けたときは、ネームの時点で手が震えるくらい興奮していたのを覚えています。そうした経験はその後も何度かありましたが、一番初めに強く感じられたのがこのときだったので、今でも強く印象に残っています。
 ただ、メッセージ性が過剰になりすぎないように気を付けています。それだけに、テーマを自然とにじませるチャンスがあるときは、とてもテンションが上がりますよ。
――苦労されたエピソードはありましたか?
佐々 同じく第1巻の5話、日光の民宿の娘・お春の話を描いた回は、ネーム(原稿の下書き)だけで7、8回は描き直しましたね。お春が初潮を迎えたことを町中にお披露目する通過儀礼に、バードは「そんな晒しものみたいにするなんて」と顔をしかめます。でも最終的にバードも、その儀式は自分だったら受け入れられないけれど、お春ちゃんが喜ぶならば祝福しようと決めます。
 テーマのデリケートさはもちろん、作画の技術的な面でも難しかったんです。当時は、子どもをどうやって描いたらいいのかわからなくて……。担当にも「絵がヘタ」とズバッと指摘されたくらいです(笑)。
 結果的に、今まで描いたことがない物語を描けてよかったと思います。初連載の序盤で、描ける作品の幅がどうしても狭いなか、なんとか手探りで挑戦した賜物かもしれません。ネームには3か月もかかりましたけどね(笑)。
アイヌ民族とのクライマックス
――神奈川県・横浜からはじまり、北海道にあるアイヌの集落を目指す旅は、すでに青森まで至っています。物語は佳境に入ってきていますが、今後はどのような展開になっていくんでしょうか。
佐々 北海道・函館に着いたら、これまで何度か登場したチャールズ・マリーズとバードらが、いよいよ直接対峙します。マリーズはバードのバディである伊藤の以前の雇い主で、伊藤を引き戻しにやってくるというのは史実通りです。バードを主人公とした漫画として描くならば旅の障害となる、いわば敵キャラ。伊藤にとっては恐怖を植え付けられた存在でもありますが、彼自身が直接ケリをつけるようなエピソードを考えています。ですから伊藤視点の物語として考えると、クライマックスのようになると思いますね。
 そして、アイヌ民族が住んでいた北海道の平取(ビラトリ)という拠点集落にバードらが辿り着きます。バードが農業革命以前の狩猟採集文化が残るアイヌ民族と生活を共にすることで、今まで描いてきた本州での文化体験とも全く違うものを描けるんです。
 これまでよりもっとスケールが大きくて、もっと時間軸が広い。そうした今まで描いたことのない話にチャレンジしていくので、楽しみにしていてもらいたいです。
――アイヌ民族とのエピソードは、より深く歴史の意味を考えさせられそうですね。『ふしぎの国のバード』に通底するテーマの総決算になる予感がします。
佐々 歴史を勉強しても未来がわかるわけではありません。けれど歴史を勉強すれば、現在をさまざまな視点から見られるようになります。我々日本人がこれまでにどういった歴史の道筋を辿ってきたのかを知ることで、思い込みに捉われることなく、より自由に物事を見られるようになる。それこそが歴史を学ぶ意味だと考えます。便利な文明を手に入れた結果、その代わりに何が失われたのか……そのメッセージを最後まで描き切っていきたいです。
(文=二階堂銀河/A4studio)
【マンガ】「命がけの旅になるかもしれませんがついてこれますか?」バードと鶴吉、蝦夷ヶ島を目指す‟ふしぎの旅”のはじまりは… へ続く
(佐々 大河)
https://news.goo.ne.jp/article/bunshun/entertainment/bunshun-46182.html

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《特別寄稿》イザベラ・バードの見た「古き麗しき日本」=秋田、山形、津軽、北海道へ=(最終回)=聖市ヴィラカロン在住 毛利律子

2021-06-29 | アイヌ民族関連
ニッケイ新聞 6/28(月) 23:50
 三回にわたって取り上げた内容は、明治初期の日本をバードが見たまま描き、昭和の民俗学者・宮本常一が解説したものである。その時代背景から、今日では不適切と言われている表現や言葉が使われているが、当時を知る上で、原文のままとした。
 また、バードはすさまじいほどの観察力で社会全般を描いていて、どの場面も大変興味深いことであるが、ここではその中のごく一部を抜粋している。
檜山秋田のこと
 イザベラ・バードが現在の秋田県を訪れたころは、「秋田ではなく久保田」といった。秋田となったのは明治20年頃だという。
 「秋田」の名前の由来は、飛鳥時代の斉明天皇4年(658年)に阿倍比羅夫の日本海遠征において、この地を訪れ地名を「齶田(あぎた)」と報告したことから始まり、「秋田」の表記で定着した。
 宮本常一によると、秋田氏は津軽の十三の出生であった。
 一方、若狭(福井県)には武田一族がいた。この一族は700年前に三つの地域で大名になる。若狭武田と、甲斐の国・武田信玄の祖先・甲斐武田、更に、広島県の安芸武田である。
 この中の若狭武田が十三秋田氏と婚姻関係を結び、その流れをくむ秋田は檜山へ下って檜山秋田となり、それがさらに分かれて、土崎港の湊秋田が出た。秋田氏の最初の根拠地・檜山で、バードはその武家屋敷に泊まったのであった。
 バードは「その家は美しい庭園があり、荘厳な門構えで、洗練されて静かな暮らしをしている家だった」と述べている。
祝いの品には「熨斗鮑(のしあわび)」を付ける
 バードは旅の途中で結婚式やお葬式を見ることが多く、様々なしきたりを記述している。ある時、バードの使う移動式ベッドを見たいという人が、お礼にお菓子の贈り物を届けた。その箱の上には「熨斗鮑を紙に包んで水引が掛けられている」。精進ではなく、なまぐさであるため、祝いの品ということになる。
 人が亡くなったときには「熨斗」を付けない。当時は天皇への献上品にも「熨斗鮑」が添えられていた。現代では、生の熨斗鮑は使われることはなく、「のし」と手書きか印刷がされるしきたりが残っている。漁港から生まれたしきたりということになる。
土崎港の「神明(天照大神)誕生祭」
 日本海側には京都などからくる北前船などの漁港があったことから、秋田の土崎港の祭りは山車の上に高く鉾がそびえ、遠くからでも見えるのが印象的だった。それは京都風で、京都に劣らず素晴らしく荘厳で賑やかだった。
 祭りの屋台で売っているおもちゃの多さにバードは痛く感動する。日本ほど子供のための郷土玩具の多い国は他にない。しかも貧しげに見える親も気前よく買い与えているのである。
3万2000人の観客に25人の警察官
 祭りには、周辺の村々からも人が集まり、総出で3万2000人もいたが、それを警護するのに、わずか25人の警察官で済んだ。観客は一人も酒に酔う者も無く、乱暴者や失礼な態度をとる者もいない。
 「どんなに混雑していても、私(イザベラ)が群衆から乱暴されたりすることはなかった」
 現代社会では考えられにほど、村人たちが整然として祭りに参加しているのも、バードにとっては驚きであった。
秋田で食べた絶品西洋料理
 秋田は古来から瀬戸内からの船がそのまま寄港し、とても洗練されていた。バードは立派な宿で、ビフテキ、カレー、外国からの塩と辛子のついたきゅうりの漬物を食べ、「目が生き生きと輝くような気持ちになった」。
 秋田の城下町は繁栄と豊かな生活が漂い、住宅は樹木や庭園に囲まれ、「郊外住宅」は美しかった。つまり、没落の無かった城下町と農村の差は歴然としていた。
外国人技師の活躍
 秋田の八郎潟の灌漑工事にはオランダ人技師が活躍した。明治初期には、イギリス、フランス、オランダ、ドイツ人といった多くの外国人が明治政府の招待で各地の治水工事や灯台建設、交通網の整備や教育・文化事業に関わっていた。バードは河川工事で漢字の入った鈍い赤色の着物を着た囚人が黙々と従事するのを見た。
日本の盲人は裕福で尊敬されている
 バードは東北の町や村で、晩になると毎日のように盲目の人が特殊な笛を吹くのを見かけた。八郎潟の東の道を青森に向かって進み、秋田の北端で宿泊した時も、何度も按摩の笛の音を聞いた。
 バードは日本に滞在中、一度も盲目の乞食を見かけなかった。それどころか、盲人は立派に自立し、裕福で尊敬される階級であった。その職業は按摩、金貸し、三味線を弾く芸事に通じた人たちで、独自の社会構造の中にいた。
 そのような職業で得たお金を「座頭金」と言い、庶民の中にはそのお金を借りて成功したり、商売をした人が少なくなかった。
 しかし、これはあくまで職業を得て自立している盲人の事であり、そうでなければ、一つとしてよい待遇はない厳しい時代だったのである。また、盲目が増え始めるのは江戸時代半ばからであり、それは性病の一種の淋病の菌が目に入ることに因るといわれて、東北地方に目立って多かった。
 ハタハタや鰊の漁港として有名な東北や北海道の漁港には宿泊所、娯楽、遊郭がひしめき、性病の温床となったのである。芸事としては女性の演芸であった三味線となり、男性の盲人や座頭がバチを叩いて弾く特徴的な津軽三味線が人気を博していったのである。
山形の大名町
 バードによると、山形は県都。人口2万1千人の繁盛している町で、かなり洋風が進んでいる。政府の建物は混合様式でベランダを付け見栄えがする。県庁、裁判所、進歩した付属学校を持つ師範学校、警察署はいずれもりっぱな道路と町の繁栄にふさわしく調和している。大きな二階建ての病院は150人の患者を収容する予定で、やがて医学校になるが、ほぼ完成していた。
 裁判所では20人ほどの職員がほとんど何もしないで遊んでいるのを見た。それと同数の警官は洋服を着て、西洋式の行儀作法を真似ているが、全体として受ける印象は俗悪趣味である。
 新庄は大名町で人口5千人を超えるが、みすぼらしい。バードが見てきたこの頃の大名町はどこも廃れていた。
 このあたりから、またまたバードは、蚤、蚊、スズメバチ、虻、大蟻にかなり手を焼くことになる。東北でも、垢と洟と皮膚病に苦しむ人々を見た。
 先回、当時の衛生状態や医療の劣悪な環境について、「日本人は昔から風呂好きで清潔だと思っていた」という感想が寄せられた。
アカツキビョウ?
 これは余談になるが、つい先日読んだ話によると、近畿大学医学部皮膚科学教室主任教授大塚篤司現役医師の報告であるが、「おでこに腫瘍のある高齢男性が来院した。珍しい症状なので若い医師のカンファレンス(会合)に提起した。
 すると、それを見た上司が「アカツキビョウじゃないか。おじいちゃんにお風呂に入っているかどうか聞いてごらん」ということだ。それは風呂嫌いの人の肌に着いた垢が腫瘍になったもので、お風呂で石鹸で洗いきれいサッパリ流して治った、ということ。これがアカツキビョウの実態であった。
 「現代の快適な住まいに暮らして、コロナ禍で外出も無く、汗もかかない。だから風呂に入らなくてもよいと思いきや、脂漏性皮膚炎、ニキビ、たむし、水虫になりますよ」という医師のアドヴァイスである。
 貧しくてお風呂に入れず重い皮膚病になって苦しむ。恵まれた生活でも不潔にしておくと、間違いなく皮膚病になる。特に高齢者は気を付けなければならない、という話である。(AERAdot.メルマガ11・06・2021)
津軽のリンゴと乳牛
 弘前はかなり重要な城下町で、旧大名が財政援助した「東奥義塾」の学校長は二人のアメリカ人宣教師が引き継いだ。
 二人の功績は、津軽にリンゴを初めて栽培したことと、乳牛飼育を教えたことであった。この乳牛を飼うことを実践したのが笹森儀助という探検家で、津軽藩に仕えた武士だった。
 彼は岩木山の麓を開拓して、乳牛を飼い始め、東京で売った。津軽の住民は牛乳を飲まなかったからである。当時、ほとんどの士族授産事業は失敗したが、リンゴと乳牛の飼育は成功した。東北の人々は貧しくても、節度と理性があり、西欧の文化を吸収する力を持っていたと、宮本は解説している。
混浴と秩序
 バードは銭湯を覗きに行くと、そこは男女混浴だった。男女混浴であるため、かえって秩序が守られていた。それはイギリスのパブでも同じことが言える。そこでも、型苦しい礼儀作法があり、三助は深く頭を下げて手桶や手ぬぐいを渡した。
 この後バードは北海道でアイヌ村に入るが、アイヌの婦人は銭湯で着物を着てお風呂に入っていた。彼女は「裸でお風呂に入ると、神様に失礼になる」というようなことを言った。しかし、江戸時代、男は褌、女性は腰巻をして湯船に入った。アイヌの習俗には、まだそれが残っていたということだった。
北海道アイヌ村に向かう
 バードは日本の最北端青森の波止場の洋食屋で「魚肉を一口急いで食べ」て、三菱汽船の船に乗る。それは約70トンの古い外輪船だった。
 この時期にもう、青森と函館を結ぶ連絡船が汽船に変わっていたということは興味深いと、宮本は解説している。北海道の開拓村は七飯の洋風の整然とした所と雑然とした所があり、幌別、白老では日本人とアイヌ人の混在した場所がいくつもあり、混血も多かった。平取の日本人村は仙台の士族が開拓したものだった。
 ここで、もう一度秘書の伊藤青年についてのバードの印象を引用する。
 「伊藤は猛烈に勉強する(当時の若者は必死になって外国文化を吸収しようとしていた)が、彼は極めて日本人的であり、外国のモノは何でも日本の物より劣っていると思っている。
 彼は「通訳官」にふさわしい着物を着て、見てくれを気にする典型的な日本人である。彼の態度は実に不愉快な時が多い。それでも彼より役に立つ召使兼通訳を雇えたかどうか疑わしい。彼は酒には手を触れず、同じことを二度言う必要もない。いつも私の声の聞こえるところにいる。彼は給料の大部分を母に送っている」
バードと伊藤のアイヌ差別意識
 バードの日本奥地旅の核心はアイヌ村(コタン)探訪であり、当時のヨーロッパ人の強い関心でもあった。伊藤は、バードの白人優越意識を基にしたアイヌ観が気に食わない。彼の解釈はそこにあったので、バードのアイヌに接する態度に激しく反抗する。彼は、「アイヌは人間と犬の合いの子だ」と憤慨するのである。
 バードは、コタンで文字の聞き取りをした時の状況を次のように語る。
 「東洋の未開人と西洋の文明人がこの小屋の中で相対している。しかも未開人(アイヌ)が教え、文明人が習っている。この二つの者を繋ぐ役目は黄色い肌の伊藤で、彼は、西洋文明などはまだ日数も経たぬ赤ん坊に過ぎない、と確信している。東洋文明の代表者として列席しているのである」
 この時のことを赤塚憲雄(学習院大学教授)は次のように指摘している。
 「バードにとっては、アイヌ民族はキリスト教による救済が必要とされる『子供』と考えている」。つまり「ヨーロッパ的な差別」は、その洗練された身振りゆえに、伊藤のような、むき出しの野蛮な「アジア的差別」に対してある種、美学的な優位に立っている。どちらが差別的か。それを断定するのは非常に難しい。「互いの歴史が複層的であるからだ」と解説する。
 今日でも続く極端な自国優越主義、外国人差別意識について考えさせられるところである。
一人の外人の目は、我々に多くのことを気づかせてくれる
 以上、バードの旅を辿って点描した。また宮本常一の時代考証は興味が尽きることはない。宮本は多くの場面でバードを賞賛しているが、次の言葉は感慨深い。
 「彼女が愛情を以って日本の文化を観てくれた意義は大きいのですが、同時に彼女がこの時期に東京から北海道まで歩いてくれたことは、日本人にとってこの上ない幸せだった。なぜなら、ひとりの外人が見たその目は、日本人が見たより我々に気づかせてくれることが多く、今我々の持っている欠点や習慣はその頃に根を下ろし、知らないうちに我々の生活を支配していることもよくわかるのです。ある意味で我々に一番反省を与えてくれるところではないかと思うのです」
 この連載で膨大な記録を纏めるにあたり、非力なために大事なことを見落とし、また言及できなかったことを深く反省している。興味のある方には一度、イザベラ・バードだけでなく明治に日本を訪れた多くの「外国人の眼」を読み返すと、より深く日本文化の再発見に繋がることであろう。(終わり)
【参考文献】
「宮本常一が書いた「イザベラ・バードの旅『日本奥地紀行』を読む」平成14年、講談社オンラインブック(https://www.amazon.co.jp/dp/B00KCL6UX8/ref=dp_kinw_strp_2)
https://news.yahoo.co.jp/articles/c64bf132864ce4fde74ac430a252543f81efab39

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古舘氏「脱炭素にかなりのウソ」「グレタさんの後ろにウォール街」、その真偽は?

2021-06-29 | 先住民族関連
ヤフーニュース 6/28(月) 11:50
 元「報道ステーション」キャスターで、現在はフリーアナウンサーの古舘伊知郎氏の発言が注目を浴びている。今月27日放送の「そこまで言って委員会」(読売テレビ)で、古舘氏は地球温暖化対策に関連して「脱炭素と言っている綺麗ごとはかなりのウソがあると思う。脱炭素というのはビジネスになるから」「(環境活動家の)グレタ・トゥンベリさんの後ろにも何百社と金融関係、ウォール街がついている」と発言。これを東スポのウェブ版が記事として配信、Yahoo!ニュースのコメント急上昇ランキングでも、一時、上位50番内に入った。ただし、古舘氏の発言には参考にすべき点もあるが、雑で視聴者をミスリードさせる点もある。番組中の古舘氏の発言と、関連するテーマについて解説する。
◯電気自動車に異論
 今月27日放送の「そこまで言って委員会」は国際条約をテーマに出演者がコメントしていくというもので、その中の一つとして、地球温暖化対策の全世界的な取り組みである「パリ協定」にも出演者らがコメントした。古舘氏は温暖化を防止しなければいけないというのが自身のスタンスだと前置きした上で、「脱炭素と言っている綺麗ごとはかなりのウソがあると思ってるんです。脱炭素というのはビジネスになるから」とコメントした。また古舘氏は脱炭素の要の一つである電気自動車についても、その課題を指摘した。
「(電気自動車のバッテリーの素材となる)リチウム取るんだって、チリとかペルーとかの塩湖とかで、リチウムを乾燥させるという工程の中で、現地の人々が、どれだけ水を取られ、環境破壊が起きているかということを考えたら、電気自動車が全て素晴らしくてガソリン車がダメということではないんですよ」(古舘氏)。
 確かに、リチウムの生産過程については、先住民族の水資源や生態系を脅かしていることが、アムネスティ・インターナショナルやグリーンピース等のNGOから指摘されている。これらのNGOが求めているのは、リチウムイオン電池のサプライチェーンの中で環境や人権への配慮を徹底することだ。自動車業界でも、よりエコなリチウムを求める動きがある。ドイツ自動車大手BMWは、「責任ある鉱業の認証イニシアティブ」(IRMA)に基づくリチウム生産を目指しており、同グループが契約したライベント社は、リチウムの生産過程で水を蒸発させたり、汚染することなく、環境中に戻す独自技術を持っているという。
*石油もその採掘で原油が海などに流出したり、地下水を汚染したり、先住民の権利を侵害したり、戦争の要因となったりと、CO2排出だけではなく、以下に述べるLCA上の問題がある。
◯原料の調達からリサイクルまでをエコに
 重要なのは、原料の調達から製造、流通、使用、廃棄、そしてリサイクルといったLCA(ライフサイクル・アセスメント)を、限りなくエコにしていくことであろう。個別の企業が「ちょっといいことやっています」程度のものではなく、ビジネスのあり方全体が環境・人権の配慮と両立していることが当たり前の世界を目指していくことが大切であり、実際、欧米社会を中心に、そうした流れになりつつある(まだまだ不十分ではあるとは言え)。無論、それが本当に環境や人権に配慮されたものであるか、厳しく監視されなくてはならないものの、古舘氏のコメントにみられるような「ビジネスだからウソだらけ」という考え方は、ナイーブなものとなっていくのではないか、と筆者は感じる。また、古舘氏に対してではなく、日本のメディアやネット上での論調について言えることだが、「環境への配慮なんて、結局はウソだらけ」とのシニシズム的な主張は、往々にして現状を肯定する「何もしないための口実」にすぎないことが多いように思われる。
◯グレタさんの後ろにウォール街?
 古舘氏のコメントについて言えば、「グレタ・トゥンベリさんの後ろにも何百社と金融関係、ウォール街がついている」との発言も誤解を招き不適切だろう。グレタさんの後ろにいるのは、世界各地で「機構危機」への対策を求める数百万人の若者達だ。
 グレタさんをめぐる陰謀論では、著名な投資家であるウォーレン・バフェット氏とグレタさんとのツーショット写真を根拠に「グレタさんと国際金融のつながり」といった主張もあるが、そもそも、バフェット氏とのツーショット写真が雑な加工画像であり、海外メディアのファクトチェックで否定されているものだ。ただし、近年は海外の政府系金融機関や機関投資家が脱炭素に大きく舵を切っていることは事実だ。その要因と大きなものを一つあげるとすれば、環境系シンクタンク「カーボントラッカー」が提唱した「座礁資産」、つまり、温暖化防止の観点から石油や石炭等の化石燃料への投資は、今後、多大な損失となるリスクだとの見方が広がっていることがあるだろう。また350.org等の環境NGOが化石燃料事業からのダイベストメント(投資引き上げ)を呼びかけていることもあるだろう。
◯国策にも忖度しなかった古舘氏
 一方で、番組中での古舘氏のCCS(二酸化炭素回収・貯留)の問題点についての指摘は、筆者としても大いに評価したい。CCSは火力発電所等から放出される大量のCO2を地中や海底に封じ込めることであるが、技術的に確立されておらず、貯留していたCO2が漏れ出るリスクもある。古舘氏も番組中、「(貯留していたCO2が)海中に染み出した時の海の酸性化」*を指摘していた。CCSは日本政府や大手電力会社等が推進しているが、上述の問題や、太陽光や風力等の再生可能エネルギーへの移行を遅らせる要因になることが懸念される。環境省の調査報告によれば、日本における太陽光・風力等の再生可能エネルギーは、電力総需要を優に上回るポテンシャルがあり、商業的にも成り立つという。いつまでも、石炭や石油、天然ガスに依存するのではなく、社会や経済の変革を急ぐべきである。
*海の酸性化の進行は、植物プランクトンやサンゴ礁への脅威となり、海の生態系全体にとっても多大なリスクとなりうる。
◯メディアの報じ方が問われている
 ごく短い時間で複数の出演者がコメントするという今回の番組の構成上、説明不足になるのは必然で、好意的に解釈すれば、もっとまとまった時間があれば、古舘氏のコメントも、より的確で有意義なものとなったのかもしれない。ただ今回、雑な番組構成の中での雑なコメントが、雑なネット記事にまとめられ、国内最大級のポータルサイトでの配信によって拡散されたことで、温暖化対策や環境問題への理解を深めるというより、シニシズムと「何もしないための口実」を補強することになってしまったのではないか。地球環境の保全は、最早エコ志向の人々の慈善的なものではなく、人類の存亡をも左右する全世界的な課題だ。メディアも、そのような重大テーマを扱うことの責任を自覚して報道のあり方を見直すべきだろう。(了)
志葉玲
フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)
パレスチナやイラクなどの紛争地での現地取材、脱原発・自然エネルギー取材の他、入管による在日外国人への人権侵害、米軍基地問題や貧困・格差etcも取材、幅広く活動するジャーナリスト。週刊誌や新聞、通信社などに寄稿、テレビ局に映像を提供。著書に『13歳からの環境問題』(かもがわ出版)、『たたかう!ジャーナリスト宣言』(社会批評社)、共編著に『原発依存国家』(扶桑社新書)、『イラク戦争を検証するための20の論点』(合同ブックレット)など。イラク戦争の検証を求めるネットワークの事務局長。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20210628-00245188/

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『ゴールデンカムイ』284話アシリパが“宝”を発見!? 金塊争奪戦に終止符かと思いきや…

2021-06-29 | アイヌ民族関連
まいじつエンタ 2021年6月28日
『ゴールデンカムイ』26巻(野田サトル/集英社)
6月24日発売の『週刊ヤングジャンプ』30号に、大人気サバイバルバトル漫画『ゴールデンカムイ』の第284話『私たちのカムイ』が掲載された。これまであらゆる登場人物が探し求めてきた〝宝〟が発見されたものの、ギャグのようなオチが待ち構えていたため、ネット上で大きな反響を巻き起こしている。
※『ゴールデンカムイ』最新話の内容に触れています
土方歳三の身体に刻まれていた「神」の刺青を頼りに、「五稜郭」にある兵糧庫の地下を調べる杉元佐一たち。しかし、いくら掘っても石ばかりが発掘され、杉元と白石は刺青の「神」が何を意味しているのか、考察を繰り広げる。そんな中、アシリパが謎めいた箱を発見。一行がその中身を覗いてみると、中には珪藻土を砕いた〝チエトイ〟がみっしり詰まっていた。
チエトイを掘り進めた先にあったのは、1つの「冊子」。それはアイヌが金塊を使用して買ったという、広大な土地の「権利書」だった。アシリパは〝森とアイヌ〟を守ろうとした先人の行動に感動するものの、杉元たちは中身が金塊ではなく権利書だったことに落胆。「神」の正体は「紙」というギャグのような結果に終わるのだった──。
金塊探しはまだ始まったばかり!?
まるでダジャレのようなオチに、読者たちも仰天。ネット上では《「かみ(紙=権利書)」が答えとは斜め上をいってる》《まさかとは思うが「神」って「紙」の権利書のことなのか? ウイルクまさに外道》《悲報、土方ウイルクに騙される》《神=紙とかいうネタだったらマジかよ。ここへきてダジャレかって思うんだけど、ゴールデンカムイならありえるのかもしれないと思ってる時点で作者の掌で踊っとる気がする》といった反響が続出していた。
しかし今回の話は、ここで終わりではない。その後、土地の購入には金塊が半分しか使われていないことが分かったのだ。最後に残された望みに、読者たちは《残り半分の金塊を求めて北海道各地をめぐる展開なら、まだまだ続くぞこの物語は…!》と期待を寄せている。
ちなみに冒頭のページでは、大人気バスケ漫画『SLAM DUNK』の「『負けたことがある』というのがいつか大きな財産になる」という名台詞をパロディーした煽り文が置かれていた。「SLAM DUNK」といえば、他にも「まだあわてるような時間じゃない」「諦めたらそこで試合終了ですよ」などの名言を思い浮かべる人が多いはず。もしもこの名言が伏線だとすれば、杉元たちに対する〝まだあわてる時間じゃない〟〝金塊探しを諦めるな〟というメッセージが込められているのかもしれない…。
文=猿田虫彦
写真=まいじつエンタ
■『ゴールデンカムイ』26巻(野田サトル/集英社)
https://myjitsu.jp/enta/archives/92126

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