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ゴールデンカムイの世界、ウポポイに 7月3日から特別展

2021-06-25 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/25 00:04 更新
 【白老】国のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」(胆振管内白老町)の国立アイヌ民族博物館は7月3日から、アイヌ民族の少女が活躍する野田サトルさん(北広島市出身)作の漫画「ゴールデンカムイ」の原画とともに、漫画に登場するアイヌ民族の世界観や文化、歴史を紹介する特別展を開く。8月22日まで。
 特別展は「ゴールデンカムイ トゥラノ アプカシアン」(アイヌ語でゴールデンカムイと歩くの意味)と題し、作品に登場するアイヌ民族の少女アシリパの着物のモデルとなった草皮衣をはじめ、アイヌの衣食住に関する民具などを原画約40点とともに展示する。
 日露戦争や樺太(現サハリン)の先住民族ウイルタとアイヌ民族の関わりなど作品の歴史的な背景も紹介する。作品のアイヌ語を監修した中川裕・千葉大名誉教授の講演会や、研究員による展示室解説ツアーも予定している。
 入場は事前予約が必要。中学生以下は無料で、高校生以上はウポポイの入場料のほか、特別展の観覧料(大人300円、高校生200円)が必要となる。開館日や時間などの問い合わせは、ウポポイ(電)0144・82・3914へ。(斎藤佑樹)
◆「アプカシアン」の「プ」「シ」、「アシリパ」の「シ」は、いずれも小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/559491

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米メディアが世界に紹介「日本人が私たちアイヌにしたことを知ってほしい」

2021-06-25 | アイヌ民族関連
クーリエ・ジャポン6/24(木) 11:30

開店から10周年を迎えたアイヌ居酒屋「ハルコロ」の宇佐照代Photo: Yuki Fukaya / COURRiER Japon
日本の北方の先住民アイヌ民族についてほとんどの日本人は学校で習ったはずだが、アイヌ料理を食べたことがある日本人はかなり少ないだろう。そのアイヌ料理を出す居酒屋が東京にある。世界各地の知られざる事象を紹介する米メディア「アトラス・オブスキュラ」が、食文化の観点から「多民族国家」日本に光を当てる。
東京都心の喧騒のなかに、ほの暗く、ひっそりとした軒先が見える。韓国焼肉屋やネオン眩しいカラオケ店が並び、夜な夜な賑わいをみせる大久保界隈とは別世界に誘われたようだ。
開け放されていることの多い扉口から入り、写真が並ぶ廊下を通ると、奥に柔らかな光で照らされた空間がある。店内では催眠術のようなリズムの古代の民謡が聞こえ、自家製スープの匂いが流れてくる。
この小さな居酒屋には、テーブルが5つと奥にキッチンがあるだけだ。木と藁の装飾に囲まれ、さまざまな工芸品が展示されている。曲線模様が彫られた木製の弦楽器、線や図形の複雑な文様が入った藍色の着物、北海道の古地図──。
どれも、アイヌ民族にとって大切な品々だ。アイヌとは、北日本や、ロシアのサハリン(樺太)、千島列島の先住民族のこと。居酒屋「ハルコロ」は、そんなアイヌ文化を讃える場所であり、東京に15万軒あるレストランのなかで、アイヌ料理を味わえるのもここだけだ。
「アイヌ文化のことは何も知りませんでした」
少数民族であるアイヌは差別に直面してきた。アイヌと何世紀にもわたり交易してきた日本が、アイヌ先住の土地である北海道を侵略・併合して以来ずっとだ。
19世紀後半、日本がサハリンと千島列島の支配権をめぐってロシアと戦うと、そこに住んでいたアイヌ民族の一部は北海道に強制移住させられた。
同化政策により、アイヌの人々は伝統的な生活様式を失い、日本国民になることを余儀なくされた。だが、アイヌ文化のすべてが抹消されたわけではなかった。
ハルコロでは、創業者でありアイヌ民族の宇佐照代(うさ・てるよ)が、煮込んだ木の実と豆をマッシュしたかぼちゃに混ぜた「ラタシケㇷ゚」や、アイヌの神々「カムイ」に捧げてきた団子「シト」などの料理をふるまう。
アイヌ民族の主食だった「オハウ」もある。旬の食材と山菜やサケなどを使った繊細なスープだ。
「子供の頃の定番メニューでしたが、親からこれがアイヌ料理だと教えられたことはなかったです。10歳まで北海道で暮らしていましたが、アイヌ文化のことは何も知りませんでした」と宇佐は振り返る。
アイヌ民族が自分たちの食や伝統を知らないのは、珍しいことではなかった。
「昆布」はアイヌ語の「コンプ」に由来?
宇佐の祖母は択捉島で生まれたが、北海道に強制移住させられた。女性の刺青や死者の家を燃やすなどの伝統的な慣習は日本の統治者によって禁止され、放棄しなければならなかった。
祖母は、アイヌ語ではなく日本語で教育を受けさせられた。アイヌ語は、植民地化の圧力のもと家庭で教えられなくなり、ほぼ消滅してしまった。
アイヌ民族はもともと、植物や動物など自然に宿る神々を畏怖するアニミズム信仰に従って資源を利用した。そして狩猟や採集、漁業、限定的な形の農耕に頼った。
伝統的には、男性がクマやシカなどを狩り、サケやマスを捕った。女性は山菜やネギ、ユリ、シダなどを採り、キビや小麦などの穀物を栽培した。
肉や魚は燻製や干物にしたり、茹ででオハウにしたりした。アイヌ民族は日本人のように生魚を食べず、塩や獣脂、昆布などのシンプルな調味料で食した。
だが、アイヌ民族は日本政府から、悪名高い「北海道旧土人保護法」(1899年制定、1997年廃止)のもとで、米、豆、芋、畜産を受け入れるよう強いられた。
こうして、宇佐の祖母のような先祖たちは、土地や古代の食生活とのつながりを失っていった。
アイヌの食生活には、味噌など新しい食材が入ってきた。アイヌ料理の多くは消滅してしまったが、日本料理に溶け込んだものもあった。日本料理の基本となるダシの主原料「昆布」の名は、アイヌ語の「コンプ」に由来すると考えられている。
「誰もアイヌのことを知らなかった」
アイヌ民族を堂々と名乗るのは、たやすいことではない。2019年、アイヌ民族は日本政府によって正式に日本の先住民族として認められ、アイヌ民族に対する差別は違法となった。だが、アイヌコミュニティはなお人種差別やヘイトスピーチの標的になっている。
2014年、北海道の政治家がアイヌ民族の存在を公然と否定したことをきっかけに、ネット上に差別的なコメントがあふれ、東京では反アイヌのデモがあった。こうして自分たちのアイデンティティを隠すのは、珍しいことではなくなった。
「祖母は亡くなる3ヵ月前まで、人生で経験してきた辛い出来事の多くを教えてくれませんでした」と宇佐は言う。
その頃、彼女は祖母がアイヌ語を話すことも知った。
「祖母は、自分の体験してきたことを私が知ったらアイヌの伝統を拒むのではないかと恐れて、隠していたんです」
Mara Budgen
https://news.yahoo.co.jp/articles/58afe72b05c533facc45d7cdbe928975d5f71db2

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