文春オンライン 2021/06/28 11:00
「生まれ育ちは東京だけど、根無し草の感覚があった」 『ふしぎの国のバード』の作者が明治を舞台に選んだ“意外な”ワケ から続く
とある西洋人による明治時代の日本の旅を描いた漫画『 ふしぎの国のバード 』(KADOKAWA『 ハルタ 』連載中)。実在したイギリス人女性冒険家のイザベラ・バードが、1878年(明治11年)に神奈川県・横浜から北海道(蝦夷地)まで旅行した記録である『 日本奥地紀行 』を出典として、バードとその通訳・伊藤鶴吉の旅をコミカライズした作品だ。
文明開化の代償として、江戸時代以前の文化が失われつつあった過渡期である明治11年。すでに近代化が進んでいたイギリスから来日したバードは、当時の日本の風土を目の当たりにし、価値観を揺さぶられていく。我々日本人読者は、当時の西洋人目線になって明治11年の日本の文化を読み解くことができるのである。
作者の佐々大河氏は現在30代前半で、大学時代にイギリス近代史を学び、2013年に本作の読み切り版で漫画家デビュー。そんな佐々氏に、史実をもとにした作品を描いたきっかけについて聞いた。(全2回の2回目。 前編 を読む)
下調べや裏取りに膨大に時間を費やすと語る佐々さん
“嘘をついていい部分”と“ついてはいけない部分”
――『ふしぎの国のバード』が初連載作品とのことですが、連載化するまでの経緯をお教えください。
佐々 『ふしぎの国のバード』は2013年に描いた読み切りから始まりました。それからバードを主人公にした読み切り作品を何度か描かせてもらい、読者のみなさんからも好評だったそうで、編集部からシリーズ連載にしようと打診があったんです。
ただ、旅行記をもとにした歴史ものですから、下調べや裏取りに費やす時間が膨大にかかるんです。新人でしたし、絵も話も何もかも手探りで始めたため、ようやく第1巻を出せたのが2015年でした。
――そのなかで身に着けていった、創作のコツのようなものはありましたか?
佐々 史実をもとに物語を組み立ててはいますが、漫画ならではの面白さを出すためには、どこかで演出として嘘をつく必要がありました。『日本奥地紀行』のままを描くのであれば、『日本奥地紀行』を読めばいいという話になってしまいますから。実在のバードや伊藤の特徴を強調して練っていったように( 前編 参照)、ストーリーも娯楽作品として読めるようにアレンジをしています。
そこで重要になるのが、“嘘をついていい部分”と“嘘をついてはいけない部分”のルールを自分なりに設定すること。原作で綴られる史実をさらに面白くするために、原作に書かれていない別の要素を盛り込むこともしています。ですが、そのときに僕は当時の風習や生活に纏わる嘘は絶対につかないようにしているんです。
例えば、原作にもあったバードがハチに刺される回の話では、害虫駆除と作物豊作を祈願する伝統行事「虫送り」を一行が目にする描写を足しました。でも、実はそのシーンは原作には書かれていません。テーマをより明らかにするためにあえて、実際にその時期・その地域にあった「虫送り」を素材として使ったのです。とは言っても、描いた後に史実と異なることに気づいて焦ることもありましたが……(苦笑)。他にも、原作の後半でバードが経験することを、漫画では序盤のエピソードとして挿入するという、組み換えのような演出もしています。
――他にも、原作と異なるアレンジとして、バードの容姿を史実より若く見えるように描いていますね。
佐々 それは、連載前に編集部から「バードのほうれい線を描かないように」と言われたからなんです(笑)。実は、デビュー作の読み切り版では、史実通り40代中ごろに見えるように描いています。
ヘボンやパークスなど、他の実在の人物は実年齢通りであるにも関わらず、バードだけ若い女性として描くのは、エイジズムやルッキズムといった切実な問題にも繋がりかねません。読んで傷つく人がいるかもしれない要素を漫画に反映させることに、迷う気持ちも未だにあります。
あえて序盤にテーマを語らせる――その興奮
――演出と言えば、作中の日本人の会話は全てフキダシにミミズのような日本語が書かれ、読者が理解できないようにされています。
佐々 それは誰の視点の話なのかを重要視しているからですね。この漫画は主人公のバード視点で物語が進みます。バードの立場になれば、当時の日本人たちが何を言っているのかよくわからないわけですから、そのバード視点を大事にしようと考えて、“くずし字風”にしてセリフが読めないという演出を思いついたんです。
漫画内の日本人が話しているセリフを読者にも教えたほうが、知識を得るという意味で正解だとは思います。でも、あえてそれはしないわけです。バードがその内容を知りえる状況ではないから、読者にもバードと同じ感覚を味わってもらいたいので、そういった部分はこだわって作っていますね。
また、これも読者がバードと同じような体験ができるようにという狙いから、登場する日本人の行動や考え方は、今の我々とは全く異なることをあえて選んで描いているんです。現代の日本にも残っている当時の風習はありますが、読者のみなさんにも“ふしぎの国”に迷い込んだ感覚や、文明が滅んだことで“失われたもの”を知っていただくために、取捨選択や強調するといった演出は加えています。
手が震えるほど興奮したシーン
――ここまで描き進めてきたなかで、特に印象に残っているエピソードを教えてください。
佐々 第1巻の2話目で、バードの旅の後ろ盾となる駐日イギリス全権公使・パークスが登場したシーンですね。
この話でパークスは「今、この国でひとつの文明が滅びようとしている。あらゆる考え方、あらゆる生活、あらゆる文化が姿を消すだろう。“江戸”という呼び名と共に。滅びは誰にも止められない。しかし、記録に残すことはできる」というセリフを言っています。
当時の僕は、自分が描きたいテーマではあったものの、それを登場人物に直接的に喋らせないほうがいいかなとも思っていたんです。でも担当編集さんから、この作品における重要なテーマだからきちんと描くべきという助言を受け、パークスのセリフにしました。結果的に、そうしてよかったなと、強く思っています。
この見開きのシーンを描けたときは、ネームの時点で手が震えるくらい興奮していたのを覚えています。そうした経験はその後も何度かありましたが、一番初めに強く感じられたのがこのときだったので、今でも強く印象に残っています。
ただ、メッセージ性が過剰になりすぎないように気を付けています。それだけに、テーマを自然とにじませるチャンスがあるときは、とてもテンションが上がりますよ。
――苦労されたエピソードはありましたか?
佐々 同じく第1巻の5話、日光の民宿の娘・お春の話を描いた回は、ネーム(原稿の下書き)だけで7、8回は描き直しましたね。お春が初潮を迎えたことを町中にお披露目する通過儀礼に、バードは「そんな晒しものみたいにするなんて」と顔をしかめます。でも最終的にバードも、その儀式は自分だったら受け入れられないけれど、お春ちゃんが喜ぶならば祝福しようと決めます。
テーマのデリケートさはもちろん、作画の技術的な面でも難しかったんです。当時は、子どもをどうやって描いたらいいのかわからなくて……。担当にも「絵がヘタ」とズバッと指摘されたくらいです(笑)。
結果的に、今まで描いたことがない物語を描けてよかったと思います。初連載の序盤で、描ける作品の幅がどうしても狭いなか、なんとか手探りで挑戦した賜物かもしれません。ネームには3か月もかかりましたけどね(笑)。
アイヌ民族とのクライマックス
――神奈川県・横浜からはじまり、北海道にあるアイヌの集落を目指す旅は、すでに青森まで至っています。物語は佳境に入ってきていますが、今後はどのような展開になっていくんでしょうか。
佐々 北海道・函館に着いたら、これまで何度か登場したチャールズ・マリーズとバードらが、いよいよ直接対峙します。マリーズはバードのバディである伊藤の以前の雇い主で、伊藤を引き戻しにやってくるというのは史実通りです。バードを主人公とした漫画として描くならば旅の障害となる、いわば敵キャラ。伊藤にとっては恐怖を植え付けられた存在でもありますが、彼自身が直接ケリをつけるようなエピソードを考えています。ですから伊藤視点の物語として考えると、クライマックスのようになると思いますね。
そして、アイヌ民族が住んでいた北海道の平取(ビラトリ)という拠点集落にバードらが辿り着きます。バードが農業革命以前の狩猟採集文化が残るアイヌ民族と生活を共にすることで、今まで描いてきた本州での文化体験とも全く違うものを描けるんです。
これまでよりもっとスケールが大きくて、もっと時間軸が広い。そうした今まで描いたことのない話にチャレンジしていくので、楽しみにしていてもらいたいです。
――アイヌ民族とのエピソードは、より深く歴史の意味を考えさせられそうですね。『ふしぎの国のバード』に通底するテーマの総決算になる予感がします。
佐々 歴史を勉強しても未来がわかるわけではありません。けれど歴史を勉強すれば、現在をさまざまな視点から見られるようになります。我々日本人がこれまでにどういった歴史の道筋を辿ってきたのかを知ることで、思い込みに捉われることなく、より自由に物事を見られるようになる。それこそが歴史を学ぶ意味だと考えます。便利な文明を手に入れた結果、その代わりに何が失われたのか……そのメッセージを最後まで描き切っていきたいです。
(文=二階堂銀河/A4studio)
【マンガ】「命がけの旅になるかもしれませんがついてこれますか?」バードと鶴吉、蝦夷ヶ島を目指す‟ふしぎの旅”のはじまりは… へ続く
(佐々 大河)
https://news.goo.ne.jp/article/bunshun/entertainment/bunshun-46182.html
「生まれ育ちは東京だけど、根無し草の感覚があった」 『ふしぎの国のバード』の作者が明治を舞台に選んだ“意外な”ワケ から続く
とある西洋人による明治時代の日本の旅を描いた漫画『 ふしぎの国のバード 』(KADOKAWA『 ハルタ 』連載中)。実在したイギリス人女性冒険家のイザベラ・バードが、1878年(明治11年)に神奈川県・横浜から北海道(蝦夷地)まで旅行した記録である『 日本奥地紀行 』を出典として、バードとその通訳・伊藤鶴吉の旅をコミカライズした作品だ。
文明開化の代償として、江戸時代以前の文化が失われつつあった過渡期である明治11年。すでに近代化が進んでいたイギリスから来日したバードは、当時の日本の風土を目の当たりにし、価値観を揺さぶられていく。我々日本人読者は、当時の西洋人目線になって明治11年の日本の文化を読み解くことができるのである。
作者の佐々大河氏は現在30代前半で、大学時代にイギリス近代史を学び、2013年に本作の読み切り版で漫画家デビュー。そんな佐々氏に、史実をもとにした作品を描いたきっかけについて聞いた。(全2回の2回目。 前編 を読む)
下調べや裏取りに膨大に時間を費やすと語る佐々さん
“嘘をついていい部分”と“ついてはいけない部分”
――『ふしぎの国のバード』が初連載作品とのことですが、連載化するまでの経緯をお教えください。
佐々 『ふしぎの国のバード』は2013年に描いた読み切りから始まりました。それからバードを主人公にした読み切り作品を何度か描かせてもらい、読者のみなさんからも好評だったそうで、編集部からシリーズ連載にしようと打診があったんです。
ただ、旅行記をもとにした歴史ものですから、下調べや裏取りに費やす時間が膨大にかかるんです。新人でしたし、絵も話も何もかも手探りで始めたため、ようやく第1巻を出せたのが2015年でした。
――そのなかで身に着けていった、創作のコツのようなものはありましたか?
佐々 史実をもとに物語を組み立ててはいますが、漫画ならではの面白さを出すためには、どこかで演出として嘘をつく必要がありました。『日本奥地紀行』のままを描くのであれば、『日本奥地紀行』を読めばいいという話になってしまいますから。実在のバードや伊藤の特徴を強調して練っていったように( 前編 参照)、ストーリーも娯楽作品として読めるようにアレンジをしています。
そこで重要になるのが、“嘘をついていい部分”と“嘘をついてはいけない部分”のルールを自分なりに設定すること。原作で綴られる史実をさらに面白くするために、原作に書かれていない別の要素を盛り込むこともしています。ですが、そのときに僕は当時の風習や生活に纏わる嘘は絶対につかないようにしているんです。
例えば、原作にもあったバードがハチに刺される回の話では、害虫駆除と作物豊作を祈願する伝統行事「虫送り」を一行が目にする描写を足しました。でも、実はそのシーンは原作には書かれていません。テーマをより明らかにするためにあえて、実際にその時期・その地域にあった「虫送り」を素材として使ったのです。とは言っても、描いた後に史実と異なることに気づいて焦ることもありましたが……(苦笑)。他にも、原作の後半でバードが経験することを、漫画では序盤のエピソードとして挿入するという、組み換えのような演出もしています。
――他にも、原作と異なるアレンジとして、バードの容姿を史実より若く見えるように描いていますね。
佐々 それは、連載前に編集部から「バードのほうれい線を描かないように」と言われたからなんです(笑)。実は、デビュー作の読み切り版では、史実通り40代中ごろに見えるように描いています。
ヘボンやパークスなど、他の実在の人物は実年齢通りであるにも関わらず、バードだけ若い女性として描くのは、エイジズムやルッキズムといった切実な問題にも繋がりかねません。読んで傷つく人がいるかもしれない要素を漫画に反映させることに、迷う気持ちも未だにあります。
あえて序盤にテーマを語らせる――その興奮
――演出と言えば、作中の日本人の会話は全てフキダシにミミズのような日本語が書かれ、読者が理解できないようにされています。
佐々 それは誰の視点の話なのかを重要視しているからですね。この漫画は主人公のバード視点で物語が進みます。バードの立場になれば、当時の日本人たちが何を言っているのかよくわからないわけですから、そのバード視点を大事にしようと考えて、“くずし字風”にしてセリフが読めないという演出を思いついたんです。
漫画内の日本人が話しているセリフを読者にも教えたほうが、知識を得るという意味で正解だとは思います。でも、あえてそれはしないわけです。バードがその内容を知りえる状況ではないから、読者にもバードと同じ感覚を味わってもらいたいので、そういった部分はこだわって作っていますね。
また、これも読者がバードと同じような体験ができるようにという狙いから、登場する日本人の行動や考え方は、今の我々とは全く異なることをあえて選んで描いているんです。現代の日本にも残っている当時の風習はありますが、読者のみなさんにも“ふしぎの国”に迷い込んだ感覚や、文明が滅んだことで“失われたもの”を知っていただくために、取捨選択や強調するといった演出は加えています。
手が震えるほど興奮したシーン
――ここまで描き進めてきたなかで、特に印象に残っているエピソードを教えてください。
佐々 第1巻の2話目で、バードの旅の後ろ盾となる駐日イギリス全権公使・パークスが登場したシーンですね。
この話でパークスは「今、この国でひとつの文明が滅びようとしている。あらゆる考え方、あらゆる生活、あらゆる文化が姿を消すだろう。“江戸”という呼び名と共に。滅びは誰にも止められない。しかし、記録に残すことはできる」というセリフを言っています。
当時の僕は、自分が描きたいテーマではあったものの、それを登場人物に直接的に喋らせないほうがいいかなとも思っていたんです。でも担当編集さんから、この作品における重要なテーマだからきちんと描くべきという助言を受け、パークスのセリフにしました。結果的に、そうしてよかったなと、強く思っています。
この見開きのシーンを描けたときは、ネームの時点で手が震えるくらい興奮していたのを覚えています。そうした経験はその後も何度かありましたが、一番初めに強く感じられたのがこのときだったので、今でも強く印象に残っています。
ただ、メッセージ性が過剰になりすぎないように気を付けています。それだけに、テーマを自然とにじませるチャンスがあるときは、とてもテンションが上がりますよ。
――苦労されたエピソードはありましたか?
佐々 同じく第1巻の5話、日光の民宿の娘・お春の話を描いた回は、ネーム(原稿の下書き)だけで7、8回は描き直しましたね。お春が初潮を迎えたことを町中にお披露目する通過儀礼に、バードは「そんな晒しものみたいにするなんて」と顔をしかめます。でも最終的にバードも、その儀式は自分だったら受け入れられないけれど、お春ちゃんが喜ぶならば祝福しようと決めます。
テーマのデリケートさはもちろん、作画の技術的な面でも難しかったんです。当時は、子どもをどうやって描いたらいいのかわからなくて……。担当にも「絵がヘタ」とズバッと指摘されたくらいです(笑)。
結果的に、今まで描いたことがない物語を描けてよかったと思います。初連載の序盤で、描ける作品の幅がどうしても狭いなか、なんとか手探りで挑戦した賜物かもしれません。ネームには3か月もかかりましたけどね(笑)。
アイヌ民族とのクライマックス
――神奈川県・横浜からはじまり、北海道にあるアイヌの集落を目指す旅は、すでに青森まで至っています。物語は佳境に入ってきていますが、今後はどのような展開になっていくんでしょうか。
佐々 北海道・函館に着いたら、これまで何度か登場したチャールズ・マリーズとバードらが、いよいよ直接対峙します。マリーズはバードのバディである伊藤の以前の雇い主で、伊藤を引き戻しにやってくるというのは史実通りです。バードを主人公とした漫画として描くならば旅の障害となる、いわば敵キャラ。伊藤にとっては恐怖を植え付けられた存在でもありますが、彼自身が直接ケリをつけるようなエピソードを考えています。ですから伊藤視点の物語として考えると、クライマックスのようになると思いますね。
そして、アイヌ民族が住んでいた北海道の平取(ビラトリ)という拠点集落にバードらが辿り着きます。バードが農業革命以前の狩猟採集文化が残るアイヌ民族と生活を共にすることで、今まで描いてきた本州での文化体験とも全く違うものを描けるんです。
これまでよりもっとスケールが大きくて、もっと時間軸が広い。そうした今まで描いたことのない話にチャレンジしていくので、楽しみにしていてもらいたいです。
――アイヌ民族とのエピソードは、より深く歴史の意味を考えさせられそうですね。『ふしぎの国のバード』に通底するテーマの総決算になる予感がします。
佐々 歴史を勉強しても未来がわかるわけではありません。けれど歴史を勉強すれば、現在をさまざまな視点から見られるようになります。我々日本人がこれまでにどういった歴史の道筋を辿ってきたのかを知ることで、思い込みに捉われることなく、より自由に物事を見られるようになる。それこそが歴史を学ぶ意味だと考えます。便利な文明を手に入れた結果、その代わりに何が失われたのか……そのメッセージを最後まで描き切っていきたいです。
(文=二階堂銀河/A4studio)
【マンガ】「命がけの旅になるかもしれませんがついてこれますか?」バードと鶴吉、蝦夷ヶ島を目指す‟ふしぎの旅”のはじまりは… へ続く
(佐々 大河)
https://news.goo.ne.jp/article/bunshun/entertainment/bunshun-46182.html