元!吹奏楽部顧問の日常 

顧問を離れて早数年。今やただの音楽&ラグビー大好き親父です。

11月30日

2019年11月30日 | ラグビー

昨日は「午前:映画/午後:講演会」と書きましたが、
あまりに寒くて出かけるのが億劫になり、
結局来週に持ち越しました(^^;)。


で、行って来たのはこちら

 

初の生松尾雄治(^^)。


予想通りというか、冗談が多くて、深い話はあまり聞けなかったけれど(苦笑)、
大学時代のコンバートの話は印象的。


日本代表のSHに選ばれ遠征に参加し、帰国した直後に故北島監督から突然


「お前にはこれからSOをやってもらう」


と告げられたのだという。


一応知っていた話ではあるけれど、さすがに本人の口から語られると重みが違う。
そして、松尾にSOの可能性を見出した北島監督の慧眼に改めて敬服した。


最近はタレント活動がメインであるため、
松尾の全盛期を知るのは50代以上の高齢ファン位だろう。
しかし、そのプレーは本当に素晴らしいものだった。
今でも松尾のプレーは、脳裏にしっかりと刻まれている


私が意識してラグビー日本代表のテストマッチを観戦したのは、
1984年、あの「伝説の」ウェールズ戦(24-28)が初めてだったと思う。
キャプテンでSO、文字通りのリーダーを務めた松尾は、ピッチ上で正しく輝いていた。


そして、そのウェールズ戦にも出場していた石山、洞口、千田、谷藤らのジャパン戦士とともに築き上げた
新日鉄釜石ラグビー部・日本選手権7連覇を含む、計8度の日本一。
松尾は高校・大学でも日本一になっており、また大学王者になった年にも日本選手権で勝っているから、
高校・大学・社会人と全てのカテゴリーで日本一となり、日本選手権制覇は合計9度!


かの「ミスター・ラグビー」、故平尾誠二ですら日本選手権制覇は7度。


松尾は文字通り日本最高の実績を誇るラグビー選手だった。
個人的には日本史上最高の10番/SOだったと思っている。


岩手の釜石に、松尾と、そして先輩であり現日本ラグビー協会会長である森重隆が二人揃っていた。
そして新日鉄釜石ラグビー部が日本選手権7連覇の偉業を達成した。

そんな奇跡のような時代があり、それをリアルタイムで体験できたことを、嬉しく思う(^^)。


PS1
本日待合のお供

 

 


PS2
本日の鑑賞

 

M.デイビス:プラグド・ニッケル

 

 

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