大阪に勤務していた1年間、通勤でお世話になっておりました南海電鉄のなんば駅をご紹介致します。
南海電鉄とは正式名称を南海電気鉄道株式会社といいまして、明治18年創業、資本金637億3,903万4,121円、社員2,686名、東証、大証、名証1部上場の大阪府と和歌山県に総延長154.8kmの路線を持つ鉄道会社です。(同社HPより)
沿線には世界遺産 高野山と関西国際空港、教科書に出てくる仁徳天皇陵がありますが、それ以外は目だった物もなく、ひっそりと大阪 和歌山間をつないでいます。
撮影日時は2月14日(月)午前10時頃です。
まずはホームのご案内

発車を待つ特急「こうや」。乗客を世界遺産 高野山へと運んでくれます。

1番線ホームから9番線方向を望む。私鉄駅の中でホームの数という基準でみると、南海なんば駅は、大阪市北区にある阪急電鉄梅田駅に次いで日本で2番目に大きな駅だそうです。今まで知らなかったが言われてみれば結構壮観な眺めです。
電車は朝夕ラッシュ時など乗客が多い時は8両か10両編成、暇な時間帯は6両編成が主流

3階改札口

2階中央改札口

1階正面入り口

南海なんば駅は大阪市中央区に位置し、明治18年(1885年)12月に開業。その駅ビルは「南海ビル」と呼ばれ、昭和7年(1932年)竣工、久野節という人が設計した戦前の大阪を代表する名建築だそうで、外壁部は平成21年9月に修復が施されております。修復工事の折は竣工当時の設計図が残っておらず、当時の写真を元に外壁部を復元したそうです。現在は高島屋デパートが同居しています。

後ろの高層建築はスイスホテル南海大阪。旧スイス航空の持ち物でしたが、スイス航空破綻後、名前だけ残して現在はカナダのラッフルズ傘下となっており、ラッフルズの系列ホテルは日本で唯一ここだけとの事。

駅前にある平和の女神像。第二次大戦で焼け野原となったこの地に平和を願い戦後に建てられました。
昭和20年3月13日深夜から14日未明にあった大阪空襲で、なんばから心斎橋にかけての一帯は火の海となったそうです。
その時、逃げ場を失った少なからぬ人たちが、午前3時から4時頃にかけて、大阪市営地下鉄に乗って被害がなかった地域へ脱出に成功したという事があったのですが、こんな時間に地下鉄が動いているはずがなく、この日時に地下鉄を運行した記録も大阪市交通局に残っておらず、「わしらが動かしたんや」という職員もいない。何処の誰が駅ごとにシャッターを開け、避難する人を誘導し、乗せ、地下鉄を走らせたのか、当然ひとりでできる事ではなく、真相は未だにわかっていません。
このときの空襲では4,000人を超える方々がなくなられております。合掌
ところでこの連休の帰宅の折入手した南海電鉄情報誌2月号の記事によりますと、2010年12月、なんば駅の登録有形文化財指定が決まったとの事。
(マスコミ報道では文化庁の審議会で答申がなされた、という言い回しであった。)
次の帰宅の折には、銘板がはめ込まれているであろうか、今から楽しみです。