西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

私の考え出した言葉(49)塀画(へいが)

2006-04-24 | 私の考え出した言葉
世に壁画、障壁画、天井画等はあるが、恐らく「塀画」は私の造語ではないか。『キラッと輝くいい住まい』(拙著、家内と共著、彰国社)の最初の玄関の話の辺りにでてくる。まあブロックやコンクリートの塀は無粋なので、どうしてもそれらでやらねばならない場合、表面に粋な「塀画」を描いたらどうか、の提案である。まあ工事現場の囲い塀に最近描かれている絵も「塀画」に含まれるかもしれない。今日の平安女学院大学生活環境学部2回生対象の「基礎ゼミ」の時の本の読みあわせで出てきたので、「そうだったな」と思い出した。「へ~」と言わないでね。

ついでに、玄関:玄妙なる関門、禅宗の言葉。台所:台盤所、平安の昔から。

Tさんの結婚式へ

2006-04-24 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
昨日、旧「西村ゼミ」出身者のTさんが結婚するとて配偶者となるMさんと挨拶に奈良に来たので会食した。私としては、結婚式披露宴でスピーチしないといけないので、そのための情報も得なくてはならない。元々Mさんは奈良の出身、しかしTさんの職場のある愛知県に住むようだ。近くにTさんの実家もあると言う。私はまあ「サザエさん家族もいいものだよ」と言っておいた。さて、どういうスピーチにするか5月の連休の考える「むりょうの楽しみ」の一つとしよう。

延藤安弘著『おもろい町人(まちんちゅ)』を見る

2006-04-23 | 生活描写と読書・観劇等の文化
友人の延藤安弘さん(京大建築大学院同期、同研究室)から『おもろい町人(まちんちゅ)』(太郎次郎社エディタス刊行)がおくられてきた。前から「まちづくり」を後押しするために幻燈師として全国を回って得た情報を延藤流に味付けし、講談調に五話にまとめている。そうそう本の題目の前に「びじゅある講談」と銘打っているので、内容の形態をうかがえる。とにかく写真と語り口につられて読み進んでしまう。芸が段々高まっている感じだ。私も前からどんな立派な建築や町でも人間が写っていない写真は面白くない、と思っているが、この本の写真では人間が主人公で背景に建築や町がある、といった感じで好ましい。写真一枚一枚分析したら面白いと思う。つまり、人間、人工空間、動物、植物、歴史的な匂いの割合、配置等を分析すると、延藤安弘の視角が分かるのではないか。それはともかく、先ず見ていただきたい本である。

松田卓也さんの「プレゼン道」入門

2006-04-23 | 時論、雑感
昨日、日本家政学会関西支部総会が大津の「ピアザ淡海」であった。そのあとの講演会で宇宙物理学者(神戸大名誉教授、京大物理卒)の松田卓也さんが1997年から取り組んでいる「プレゼンテーションの改善」についての「プレゼンテーション」を行った。地でいった訳である。大きな声、聴衆の目を見る、身振りジェスチャー、パワーポイント原稿の大きな字・・、まあ1時間聞かせた。「結論を先に言え、10分講演では最初の1分が勝負。論文ではタイトル、梗概、結論、図表が大事で本文はアリバイ的ではあるが、本人以外殆ど読まない等々」そうだな、と思うことが多かった。こういう講義を15回やれば学生も退屈しまい。最後に、「隣の人とアイコンタクトを取って1分間喋れ」とのことで、我々も実践に引き込まれた。どこかで試しにやってみようかな。

高槻の生命誌館に初めて行く

2006-04-22 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今日、平安女学院大学新入生の一部に対する「宿泊オリエンテーション」をやった。特別プログラムとも言え、前のプログラムに欠席した人7人のためだ。10時にJR高槻駅に学生6人と教員3人が集まった。学生一人は遅れて参加すると言う。アクトアモーレの横を抜け、芥川商店街を通って行った。平女の「アグネス・スタイル」の商店も紹介する。約10分ほど歩いて目的の生命誌館に着いた。ところで、高槻の生命誌館とは、JT(昔はタバコの専売公社)の「付属機関」である。館長は中村桂子さん(東大理学部卒、生物学)である。昔は岡田先生(京大名誉教授)が館長で中村さんが副館長だった。最初に、研究員の方から「生命誌館とは?」と言う話があった。扇形の生命進化絵が、ここの象徴であり面白い。1階の脊椎動物の進化標本、2階の「堤中納言物語」に題材をとった「虫好き姫」の絵巻が面白かった。学生が何に興味を持ってプレゼンするか、これも興味がある。又行きたい施設である。

稲畑汀子さんと高浜虚子

2006-04-22 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
今日も寝床でラジオ深夜便「心の時代」をうつらうつら聞いた。(ブログ検索では過去10回ほどラジオ深夜便が話題となっている)「ホトトギス」の稲畑汀子さんがお祖父さんの高浜虚子について語っていた。花鳥諷詠、客観写生と言ったのが高浜虚子である。
春風や 闘志いだきて 丘に立つ  虚子 

6時頃に起きてカーテンを開けて庭を見た。柿ノ木の萌黄色の若葉が目に染みた。四季折々の自然の風景が我々に生きる力を与え、癒しにもなっていると本当に思った。
四季折々 虚心坦懐 句をひねり
我が庭に 柿の萌黄葉 踊りけり  市路
(私注:四季には子規が、虚心には虚子が隠れている)

そういえば学生で山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」が好きという人がいた。

フランス人でなくてもフランス人と「認定」

2006-04-21 | 色々な仮説や疑問
今朝のラジオ深夜便に71歳のフランス文学者・海老坂 武さんが出ていた。50歳代から「シングル・ライフ論」で有名だ。今日も「一般には女性が長命だが、全部が全部ではないから、仮に男性が長生きだったら、男性がシングル・ライフとなる。その時には、生活術の良し悪しが生活の質、余命を決める」といったことを言っている。そうだな、と思う。他に、フランス人はやはり「中華思想」ですか?、の問に答えて、案外本当はフランス人ではないが、フランス人がフランス人と思っている人々もいるのが面白い、例えばピカソはスペイン人だが「フランス人」と認定されている、シャガールも本来ロシア人だが、やはり「フランス人」、日本人の画家・藤田つぐじも「フランス人」とのことだ。その伝でいくと、本当はスイス人だが、建築家ル・コルビュジェも「フランス人」になるのであろう。

△と▽とダヴィデの星などは何を象徴するのか

2006-04-20 | 色々な仮説や疑問
今日、「地域居住学Ⅰ」の講義で○□△の話をした。△には飛翔と受容の意味があるのでは・・と仮説的に話したが、午後に近鉄電車やJRの行きかえりに『ダ・ヴィンチ・コード』を読み終わって△の意味を一つ知った。そこにパリ・ルーブル美術館のピラミッド、逆ピラミッドが出てきて、その形は、男性(剣)と女性(杯)の象徴と言う。なるほど、と思った。その△と▽を組み合わせると男女の完全なる結合の象徴=ダヴィデの星になるのだ。通勤帰りにJR高槻駅北の橋を支えるトラスをふと見たら、それらは△「男性」▽「女性」の連続であり、まあ「男女協力して支えている」象徴かなと思った。関連で『ダ・ヴィンチ・コード』ではパリのエッフェル塔は、男根であると言っているが、西山夘三先生が昔、京都タワーは「醜悪な動物のペニスではないか」といった趣旨を言っておられたのを思い出した。

『ダ・ヴィンチ・コード』解説より

2006-04-20 | 生活描写と読書・観劇等の文化
博物学者の荒俣 宏さんが『ダ・ヴィンチ・コード』解説を語っている。そのなかで、そうなんだ、と思った一つをメモしておきたい。「中世以後のカトリック支配圏にあらわれた社会構造をみてみますと、貴族や知識階級は、より深く世界を理解しようとして、科学や魔術にほうへ傾倒していくことが多く、また逆に最下層といえば、古いヨーロッパの伝統をになった母系社会の暮らしと、土地の農業神を信仰する古い生活とを、継続させていました。いわゆるカトリック(異端思想でない正統思想)を信じていたのは、中間層である一般市民です。・・」
シオン修道会は、知識層の異端であったのか。その総長でもあったアイザック・ニュートンも自らは結婚もせず敬虔な信者として神のいう調和ある世界の法則を見つけるという目的で万有引力を発見してしまったのだ。歴史の弁証法であろう。関連してカントとヘーゲルの観念論同士の真剣な対立から、思わず唯物論が顔を出す,と言った人もいたっけ・・。

『ダ・ヴィンチ・コード』を読み終る(3)

2006-04-20 | 生活描写と読書・観劇等の文化
『ダ・ヴィンチ・コード』(3)を読み終わった。西洋のキリスト教史を面白く勉強している側面もあるな、と思った。聖杯を探し求める仲間だと思っていたリー・ティービングが実は「黒幕」の導師であったこと、追及はパリからロンドン、ウェストミンスター寺院のニュートンの墓へ、そこで万有引力の法則に因むAPPLEの五文字の解読に成功した主人公ロバート・ラングトン、ここでリー・ティービングが馬脚を現して逮捕、ラングトンとヌヴーは、紙片に従いスコットランドのROSLIN礼拝堂へ、そこでヌヴーは思いもかけず知らなかった祖母と弟に再会、結局、紙片に記された場所とおぼしき所に行くが、ヌヴーの祖母から「そういうものはここにはない」と言われ、ラングトンはヌヴーと再会の約束をして別れパリに戻る。最後にキーの詩の「聖杯は古のロスリンの下で待ち その門を剣と杯が庇い護る 匠の美しき芸術に囲まれてよこたわり ついに星の輝く空のもとに眠る」のことを考えていて突然ひらめく、ロスリンとはパリにある古い子午線ではないか、剣とはルーブルのピラミッドではないか、杯とは同じく逆ピラミッドではないか、ルーブルは確かに匠の美しき芸術に囲まれている・・。結局、謎の暗号を書いて、殺されたルーブル美術館長にしてシオン修道会総長であったジャック・ソニエールの殺されたその場に戻ることになるのである。良くある「手」と言ってしまえばしまいだが、短いプロットを105とエピローグで構成する手際よさは流石だ。もう一度、ノートをつけて読んでみよう。知らなかった西洋史に近づけるかもしれない。

古傷と足

2006-04-20 | 金沢の思い出
昨年05年7月14日のブログには、私は子供の頃、金沢市立工業高校のバザーに行って機械科の実習工場で、誤って工具を落として私の右足小指上に傷を負ったことを書いている。それで思い出したが、昨日、学生に愛犬ジョンのことを話していて、今度は25年ほど前にジョンに右足の親指を噛まれて外科医に走ったことも語った。右足に古傷が二箇所あることになる。これも「思い出の匂い付け」であるだろう。
でも、年と共に「足の大切さ」が身に滲みる。健康に歩けなくては、「奥の細道」「四国八十八箇所巡り」「熊野詣で」等も夢となる。
まあ今までに一番歩いたと言えば、1982年~83年のロンドン滞在時であろう。子供の頃に寺町台から金沢駅まで約1里(4km)を何度か往復したのも思い出である。

愛犬ジョンの死

2006-04-19 | 京都の思い出(松ヶ崎、向島時代)
私達が京都の向島ニュータウンに住んでいた頃、多分、今37歳の娘が小学生から中学生だった25年ほど前、雑種の「ジョン」という雄犬を3年ほど飼ったことがある。最後はジョンの死で終った。実は、何故こういう話を持ち出すかというと、本日、大学2回生の「アッセンブリーアワー」で、「学部長と話そう」で教室に私が行った時、自由に私が話をする「お題」を学生から出してもらったら、「犬」という子がいたので、それをテーマに話をすることになったのだ。前提として「自由にお題を貰って3分考えて15分の話が出来るのが知識人だ」といったことを彼女等に話していたこともある。「犬はペットだが、最近コンパニオンとも言われる。私達が飼ったJohn(ジョン)はドイツ語ではJohan(ヨハン)、例のヨハネでもある。犬は人間より寿命が短いので必ず子供は犬の「死に目」に会う。そこで、死とは何か考えることが出来る。死んだ犬や猫が道端に落ちていたらどうするか。黙って通り過ぎるのはおかしい。公園や自宅庭に埋葬するのが「正解」ではないか。それこそ、生き物は、最後に土に帰るということだ。」

『ダ・ヴィンチ・コード』を読み出す(2)

2006-04-19 | 生活描写と読書・観劇等の文化
『ダ・ヴィンチ・コード』(中)に至り、主人公の一人ロバート・ブラウンの知り合いのイギリス人宗教史家リー・ティービングの助けも借りて「聖杯」の秘密に一歩一歩近づく。実は、ダ・ヴィンチの描いた「最後の晩餐」の中央キリストの左に座っているのがなんと女性で、キリストの妻というのだ。良く見ると確かに女性である。今まで気付かなかった。てっきり12人の使徒とは皆男性と思っていた。これはダ・ヴィンチの一つのコード(暗号)である。正統派キリスト教により娼婦とされたマグダラのマリアは実はキリストの妻で子供もいて、その血統が連綿と現在まで続いている、というのだ。その秘密を守るのがシオン修道会でその総長が殺されたルーブル美術館長ジャック・ソニエールで、もう一人の主人公ソフィー・ヌヴーの祖父にあたる。そのシオン修道会の歴代総長には、当のレオナルド・ダ・ヴィンチもなっており、アイザック・ニュートン、ヴィクトル・ユゴー、ジャン・コクトーなどもなっている凄い組織だ。(下)ではフランスからイギリスに飛んで秘密に迫る。若桑みどりさんの図像学(NHKTV)をみたことも思い出した。

常識の教養:薩長土肥(さっちょうどひ)

2006-04-18 | 言語・字・言語遊戯
地域の問題を考えるとき、江戸時代の地域名称と範囲が参考になる。今日、ある女子大生達と喋っていて、郷里を聞いたら北海道と岡崎だった。北海道は蝦夷と呼ばれたが、岡崎は西三河である。彼女に「岡崎5万石でも・・」という言葉を知っているか、と聞いたら確かに知っていた。しかし、意味は知らないようでした。岡崎5万石は徳川譜代の大名本多藩の禄高です。実は、その西には徳川御三家の一つ尾張藩61万石がありました。江戸の家康は、御三家を本家に跡継ぎがない場合の「助け」に設立しましたが、万々一、本家に逆らう場合に備えて隣に「目付け」を置いたのです。だから「岡崎5万石でも、御三家・尾張61万石に対する備えである」という訳ですね。こういう尾張とか三河とかといった江戸時代の地域名に関して彼女等に「薩長土肥(さっちょうどひ)を知っているか」聞いたら「さあ」と言う。愕然とした。教養が衰えていると感じた。薩長土肥とは、明治政府を作った四藩、即ち薩摩(鹿児島県)、長州(山口県)、土佐(高知県)そして肥前(佐賀県プラス壱岐・対馬を除く長崎県)なのである。

春夏秋冬の色と東南西北の守り神

2006-04-18 | 言語・字・言語遊戯
今は春、その色は青である。即ち青春。以下、夏は朱夏、秋は白秋そして冬は玄冬である。(玄は黒色)これらは元々「四神」からきている。即ち、東南西北に「守りの神」(動物神)をおいたのだ。高松塚の四つの壁にもそれらが描かれている。東は、青龍(せいりゅう)だ。南は、朱雀(しゅざく)だ、だから南の門を朱雀門と言う。西は、白虎(びゃっこ)だ。そして北は、玄武(げんぶ)と言う。