西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

知的刺激は、生き生きさせ、お肌も綺麗になる

2006-04-18 | 色々な仮説や疑問
今日の『建築史』の講義で、難しく詰まった教科書だが、読みこなして興味を持って来ると加速度的に面白くなるはず、とにかく知的教養が付くことが人間を生き生きさせ、目も「とろん」から「パッと輝き」、お肌も綺麗に、健康増進にもなる、と言っておいた。
関連する言葉の話:綺麗の麗は、元々は「角の大きな鹿(雄鹿)」である。又、美人の美は、「大きな羊」である。漢字を生んだ漢人が、大陸での大きく立派な鹿や羊を見て、そう思ったのだ。
麗しき 春鹿すっくと 丘に立ち
美しき 羊の毛をば 刈りにけり   市路

『建築史』2回目講義について

2006-04-18 | 住まい・建築と庭
前回の復習(Hi-storyやRetro-future)、今回は西洋建築史の2回目、エジプト、ギリシャについて、だ。エジプトでは、当然ピラミッドについて述べねばならない。ナイル川左岸に何故多いのか。王墓という意味づけ以外に意味づけはないのか。(例えば「巨大な霞堤」、失業対策の公共事業・・)横道で四大古代文明、黄河について、黄河と揚子江、皇帝の色は黄色、宮殿の瓦も黄色・・。
ギリシャは、パルテノン神殿、アクロポリス、アゴラ等。円形野外劇場も。晴れの多い地中海気候は、外で過ごす時間を長くし、アゴラや野外劇場を生んだ。建築を外から眺める風習も強くなった。(Cf.日本の寝殿造りや書院造りは、家から外を、庭を見る風習が強い、仮に庭に出ても建築を振り返るのではなく、庭そのものを回遊するのだ。改めて地中海とは違う「内からの視点、自然堪能の視点」を押さえる必要がある!)
最後の10分に質問や感想を書いてもらった。読むのが楽しみ。

『キラッと輝くいい住まい』再読

2006-04-18 | 住まい・建築と庭
自分の「古い」本『キラッと輝くいい住まい』を2回生17人とゼミ形式で読み出した。反芻して新しい視点も開いて行きたい。昨日は「思い出し・思い入れ」の二重富士山構造を説明した。「思い入れ」の中心を支えるのが「思い出し」あとの左右は、他所での実体験と情報知識が支えている。
これを元に早く『一住一切、二住二彩、そして・・・』を書かなくっちゃ、と思っている。しかし、今住んでいる家の「修繕」が終ってからが良いのかな、とも思う。

『ダ・ヴィンチ・コード』を読み出す(1)

2006-04-17 | 生活描写と読書・観劇等の文化
2003年のベストセラー『ダ・ヴィンチ・コード』が文庫本(角川文庫)になったので、上中下の三冊を買って通勤の行きかえりに読み出した。すぐ引き込まれた。レオナルド・ダ・ヴィンチが残したコード(暗号)を解読するのが大きな筋だ。キリスト教内部の奥深い葛藤、対立も背景にあるようだ。著者ダン・ブラウンは「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている。」と最初に書いている。殺人が行われたパリ・ルーブル美術館に関する描写も事実だと思うし、主人公二人(ハーバード大学教授で宗教象徴学専門のロバート・ラングトンと殺されたルーブル美術館長の孫娘でフランス警察暗号解読官のソフィー・ヌヴー)が逃げ回るパリ町の描写も正確だ。昔の『ああ無情』のジャンバルジャンが逃げ回っていた場面も思い出した。ようやく(上)を読んだところだが、知的な興奮も味わえる作品と思う。5月下旬に映画が公開、是非見に行きたい。

居住福祉資源発見の旅・・・早川和男著

2006-04-17 | 地域居住学
早川和男先輩(京大建築卒、神戸大名誉教授74)から『居住福祉発見の旅』というブックレット(東信堂刊)を贈ってもらった。感謝したい。来年度、平安女学院大学で生活福祉学部を立ち上げ、中に「建築・インテリアコース」を作るので、そこでは「居住福祉」が中心コンセプトになるだろう。同時に国際観光学部も立ち上げるが、その担当予定の先生方やチャプレン(キリスト教系大学だから・・)とも議論した時、生活福祉学部に観光福祉というコンセプトを導入し、逆に国際観光学部に福祉観光というコンセプトを導入して相互乗り入れしたら、相乗的に魅力が上がるのでは・・という話もした。「観光福祉」とは、早川さんのブックレットでも「匂い」は出ているが、巡礼の旅、お伊勢参り、四国八十八箇所巡り等であり、これらは正に観光福祉ではないか、そのためには足腰を鍛え、安全・快適な歩道や休憩所等を整備すること、これぞ又生活福祉であり福祉空間の整備とも言えるであろう。(4月8日のブログ参照)(写真左が早川和男さん、右が市川禮子さん)

辻原 登著『発熱』を読む

2006-04-16 | 生活描写と読書・観劇等の文化
辻原登著『発熱』を文庫本2冊(文春文庫)で読んだ。「日経新聞」に連載されたもののようだ。辻原さんの本は初めて読む。数日前にラジオで辻原さんの話しを聞いていたので(4月14日ブログ参照)、一定の先入観もあったが、楽しく読んだ。経済界の黒幕二人の対決を背景に、(呉周平:慶大幼稚舎、外務省からコンサルへ)という人物を介して、東大法卒でアメリカ仕込の30歳台のファンド・マネージャー(天知龍)が日本の証券会社や銀行の不良債権問題にトレーディングの妙を尽くして立ち向かうという大きな筋、生まれ育ちの中に親父が東工大建築卒であったが亡くなった、というのがあるが追求がなく少しつまらない。パルテノン神殿や、ガウディの塔(サグラダ・ファミリアであろうー私注)、ル・コルビュジェのサヴォア邸に行った話も出てくるのに・・。同じレベルの経済人(穴吹彰:慶大幼稚舎、呉と同期)と花柳界の二人の女性(綾=母の友人、お茶の水女子大卒、母の死後、学費を出したスポンサー、後に最後の恋人と風子=暴走族時代の妹分、「敵」穴吹の囲い者)+αの女性も絡めて、全国幾つかの土地(原点に加茂町の浄瑠璃寺・・)を行き来し、荘子、源氏物語、シェークスピア、芭蕉、蕪村なども引用、教養になる。花のことも描いている。私としてデリバティブについても少しは勉強になった。まあ、話として「挫折」で終るが、本当の「中枢」=保守派大物政治家が全然出てこないのはリアリティにやや欠け一寸つまらなかった。次を期待したい。
ところで、筆名・辻原 登(つじはら・のぼる)という名の私流の覚え方、解釈:「辻」は四辻、Ⅹ軸Y軸の交点・原点、「原」は原っぱで平面的広がり、「登」は上に登るZ軸である。即ち、名前全体として、三次元空間全体と言う意味だ。

大津市歴史博物館ー大津京のことなどー

2006-04-15 | 訪問場所・調査地
昨日・今日と、平安女学院大学の新入生宿泊オリエンテーションがあった。生活環境学部では、大津市歴史博物館に行った。3,4人のグループで「感じたこと」についてプレゼンテーションして貰った。玄関にあった巨大な「しび」、近江八景、大津絵等に関心が集中したのもやむをえまい。インストラクターとしてついていって貰った3回生二人は、博物館学芸員の態度を問題にして「流石3回生」と思った。私が付き添ったいったグループでの学芸員は、天智天皇の大津京(667~672ノ5年間)について、京と言われるほどの市街地はなかったと思われるので「大津宮」と言うべし、との自論を説明していた。廃都された大津京に対しては、万葉集では柿之本人麻呂の嘆きの歌などがある。場所は、今の西大津の近くでJR湖西線沿線である。西大津駅もやがて大津京駅になるようだ。神足(こうたり)駅が長岡京市駅に替わったようなものか。その伝なら「加茂駅」も「恭仁(くに)京駅」となってもおかしくない。

源氏物語は政治小説でもある・・・辻原登

2006-04-14 | 色々な仮説や疑問
今朝、布団の中でラジオ深夜便便で辻原登さん(芥川賞作家1945年和歌山県生れ)の「小説論」を聞いた。目からウロコが多々あった。政治家や経済人は、日本や世界を動かしているのだから矮小化せず大きな目で想像力を働かせてみるべきだ、といったこと。源氏物語は、天皇の庶子の光源氏が最後には「太上天皇(天皇の父親)」(最高権力者)に上り詰めるのだから、政治小説ともいえる。日本は漢文明、漢文化から大きな恩恵を受けていて、色々な思考の元はそのあたりにあるのでは・・、中国の小説は歴史である。(私のHi-story論)小説の空間舞台としての大陸(阿倍仲麻呂の小説)、現代小説の空間舞台としてのアメリカ(『発熱』)。時間舞台としての歴史。夏目漱石より谷崎潤一郎が好き(フィクションの可能性を広げた、「細雪」は源氏物語)。ものの考え方を洗練させるのは小説の力である。・・。一作も読んでいないが、大いに読んでみたい気になった。

建築家・中村好文

2006-04-13 | 住まい・建築と庭
今日のNHKTV「プロフェッショナル」で住宅建築家・中村好文(57)さんをやっていた。日本大学教授でもある。実は中村さんに2002年11月2日に行われた「奈良女子大学住環境学講座50周年記念」の講演に来てもらった。ほぼ4年前のことである。その時は「遊びの住居」といった感じの住宅をスライドで見た。ところで今日の番組で記憶に残ったこと:(1)クライアントの要望は雑談から探る。(2)クライアントに物語を上げたい。(3)窓を布や紙で覆い、間接的に光を入れる。(4)本好きの3人家族の家、1600冊の本は1階に図書室を作ることで解決。(5)庭に1本残っていた銀杏と四季を暮らす家。(6)玄関に特徴か。真正面にpicture window、二つの部分(アトリエと住居とか)に分れる・・。
彼は言う。「悪条件は突破口だ」 思い出す別の人の言葉「世に逆転できない状況はない」 中村さんのル・コルビュジェのような黒縁○めがねが印象的だった。(写真は、普通眼鏡の中村さん)

鉄筋コンクリート建築は本来どうなのか

2006-04-13 | 住まい・建築と庭
ある友人と姉歯問題について駄弁っていたら、その友人は「鉄筋コンクリートは本来、良い材料と思っていたが、内部の鉄筋が見えなくなるのは本来「欠陥」かもしれない」と言った。別の友人は「設備屋で、配管が出来ないからと鉄筋を切る、という話を聞いて仰天した」と語っている。鉄筋コンクリートは、鉄筋の長所とコンクリートの短所、鉄筋の短所とコンクリートの長所を補い合ってうまく出来ている複合材料と私も考え、一般構造の講義でも伝えてきたが、上に述べたような事故と言うか事件が起こって「氷山の一角」と言われると、勿論、技術者倫理や検査体勢の前進で何とか、というより鉄骨、木材等は隠しようもなく全部が見えていて、チェックし補修もしやすいが(例えばエッフェル塔や法隆寺)、鉄筋コンクリートは、鉄筋が見えなくなるという所が最大の問題と思ってしまう。まあ1世紀ほどの材料で、ル・コルビュジェはじめ近代建築家は、この材料で近代建築を造ってきたのだが、ここにきて一度根本から見直すことが必要なのではないか。

地域居住学Ⅰ初講義(最終年)

2006-04-13 | 地域居住学
今日から奈良女子大学で、今年度の地域居住学Ⅰの初講義、非常勤として最終年である。今まで常勤時代を含め午前10時40分から昼過ぎまでの講義だったので、てっきり今年もそうだと思って準備時間もみて9時半前に行ったら、今期のみ朝一の9時からの講義だった。学生にわびて初講義をした。今日は、シラバス一回目の「地域居住学Ⅰの概要、範囲、課題」について話した。生活環境学部の住環境学専攻では必須になっている。生活文化専攻や経営福祉専攻の学生も少し混じっている。講義の範囲は、住居外の小学校区位までの範囲での生活及び空間のあり方を講ずる。それより広い範囲、住居そのものにも若干触れるが、それらは都市計画学や住生活学がメインと言っておいた。課題として「つながりの豊かな地域居住」と言っているが、人々、環境そして歴史との三つの「つながり」のうち「歴史とのつながり」が一番人間的だが、分かりにくいこともある。来週から、歴史の話を徐々にする積りだ。一寸横道にそれて、ブログのことや俳句のことも紹介しておいたが・・。反応はどうかな。
今日の問題例:会社人間より居住地人間へ、と言われるのは何故か、どういうことか?

suntory,bridgeston and omron

2006-04-12 | 言語・字・言語遊戯
pilotとsailorの会社名について述べた。引き続き他の事例についても説明したい。suntoryは創業者の「鳥井さん」を逆にして「さん鳥井」とした訳だ。同じようにbridgestonは、「石橋」さんを逆にして「橋石」としたのだ。
ところでomronはどうか。この会社は元々「立石電気」と言う。実は、その会社本社は、京都の御室山の麓にある。その御室山に因んでomronとなったのだ。

会社名pilotとsailorの後先について

2006-04-12 | 言語・字・言語遊戯
今夕の「日経」夕刊で万年筆の話題が書いてあった。需要低下にどうしたらよいか、ということだ。万年筆だけでなく鉛筆も余り使わなくなり、従って消しゴムの需要が下ったのに対して、様々な形態、大きさ、色の消しゴムを開発して一定需要が回復している。さて万年筆と言うと、pilotとsailorだ。私は子どもの頃、この二大メーカーについて、pilotの方が売れていたので、多分pilotが先に創業したのか、と思っていたら、実は逆でsailorが先だった。sailorは、明治44年創業、昭和7年に「セーラー萬年筆阪田製作所」になった。一方pilotは、大正7年創業、昭和13年に「パイロット萬年筆株式会社」になっている。これは、論理的に後先を推定出来ると言えば、お分かりだろうか。sailorは水兵である。船乗りだ。pilotは水先案内人で、セーラーを先導する役だ。つまり後から出来たpilotが先発のsailorを案内するという訳である。後発のpilotは名前で打ち勝とうとしたのである。

的場輝佳さんを平女キャンパス構内案内

2006-04-12 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
平安女学院大学客員教授の的場輝佳さん(奈良女子大学名誉教授)が初講義で少し早めに来られたので高槻構内をざっと案内した。食物関係の実験、実習室にも行った。まあ、学生が増え、スタッフも少し充実すれば大いに活用できるのでは、と言う。家政学関係の設置審議会専門委員会のことも伺った。昼は食堂に行って「日替わり定食」で酢豚を食べた。まわりの学生達も人懐っこく印象に残ったかもしれない。的場先生のキャンパス評価は「まとまっていて、綺麗ではないか」とのことだった。今回は中央のケヤキ通りに花壇を並べておいたので、なお良い印象だったかもしれない。この花壇には色々な花が植わっているが、一つ一つの花に新入生の学生達の名札が添えられている。この「心」は、学園に早く根付いて、やがて綺麗な花を咲かせてよ!ということだろう。この心配りは、T先生や先輩学生達だろうが、来年から一人一人の新入生に名札を書かせて立てれば、更に強い「匂い付け」になり学生に対する「引力」になるだろう、と思った。