西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

△と▽とダヴィデの星などは何を象徴するのか

2006-04-20 | 色々な仮説や疑問
今日、「地域居住学Ⅰ」の講義で○□△の話をした。△には飛翔と受容の意味があるのでは・・と仮説的に話したが、午後に近鉄電車やJRの行きかえりに『ダ・ヴィンチ・コード』を読み終わって△の意味を一つ知った。そこにパリ・ルーブル美術館のピラミッド、逆ピラミッドが出てきて、その形は、男性(剣)と女性(杯)の象徴と言う。なるほど、と思った。その△と▽を組み合わせると男女の完全なる結合の象徴=ダヴィデの星になるのだ。通勤帰りにJR高槻駅北の橋を支えるトラスをふと見たら、それらは△「男性」▽「女性」の連続であり、まあ「男女協力して支えている」象徴かなと思った。関連で『ダ・ヴィンチ・コード』ではパリのエッフェル塔は、男根であると言っているが、西山夘三先生が昔、京都タワーは「醜悪な動物のペニスではないか」といった趣旨を言っておられたのを思い出した。

『ダ・ヴィンチ・コード』解説より

2006-04-20 | 生活描写と読書・観劇等の文化
博物学者の荒俣 宏さんが『ダ・ヴィンチ・コード』解説を語っている。そのなかで、そうなんだ、と思った一つをメモしておきたい。「中世以後のカトリック支配圏にあらわれた社会構造をみてみますと、貴族や知識階級は、より深く世界を理解しようとして、科学や魔術にほうへ傾倒していくことが多く、また逆に最下層といえば、古いヨーロッパの伝統をになった母系社会の暮らしと、土地の農業神を信仰する古い生活とを、継続させていました。いわゆるカトリック(異端思想でない正統思想)を信じていたのは、中間層である一般市民です。・・」
シオン修道会は、知識層の異端であったのか。その総長でもあったアイザック・ニュートンも自らは結婚もせず敬虔な信者として神のいう調和ある世界の法則を見つけるという目的で万有引力を発見してしまったのだ。歴史の弁証法であろう。関連してカントとヘーゲルの観念論同士の真剣な対立から、思わず唯物論が顔を出す,と言った人もいたっけ・・。

『ダ・ヴィンチ・コード』を読み終る(3)

2006-04-20 | 生活描写と読書・観劇等の文化
『ダ・ヴィンチ・コード』(3)を読み終わった。西洋のキリスト教史を面白く勉強している側面もあるな、と思った。聖杯を探し求める仲間だと思っていたリー・ティービングが実は「黒幕」の導師であったこと、追及はパリからロンドン、ウェストミンスター寺院のニュートンの墓へ、そこで万有引力の法則に因むAPPLEの五文字の解読に成功した主人公ロバート・ラングトン、ここでリー・ティービングが馬脚を現して逮捕、ラングトンとヌヴーは、紙片に従いスコットランドのROSLIN礼拝堂へ、そこでヌヴーは思いもかけず知らなかった祖母と弟に再会、結局、紙片に記された場所とおぼしき所に行くが、ヌヴーの祖母から「そういうものはここにはない」と言われ、ラングトンはヌヴーと再会の約束をして別れパリに戻る。最後にキーの詩の「聖杯は古のロスリンの下で待ち その門を剣と杯が庇い護る 匠の美しき芸術に囲まれてよこたわり ついに星の輝く空のもとに眠る」のことを考えていて突然ひらめく、ロスリンとはパリにある古い子午線ではないか、剣とはルーブルのピラミッドではないか、杯とは同じく逆ピラミッドではないか、ルーブルは確かに匠の美しき芸術に囲まれている・・。結局、謎の暗号を書いて、殺されたルーブル美術館長にしてシオン修道会総長であったジャック・ソニエールの殺されたその場に戻ることになるのである。良くある「手」と言ってしまえばしまいだが、短いプロットを105とエピローグで構成する手際よさは流石だ。もう一度、ノートをつけて読んでみよう。知らなかった西洋史に近づけるかもしれない。

古傷と足

2006-04-20 | 金沢の思い出
昨年05年7月14日のブログには、私は子供の頃、金沢市立工業高校のバザーに行って機械科の実習工場で、誤って工具を落として私の右足小指上に傷を負ったことを書いている。それで思い出したが、昨日、学生に愛犬ジョンのことを話していて、今度は25年ほど前にジョンに右足の親指を噛まれて外科医に走ったことも語った。右足に古傷が二箇所あることになる。これも「思い出の匂い付け」であるだろう。
でも、年と共に「足の大切さ」が身に滲みる。健康に歩けなくては、「奥の細道」「四国八十八箇所巡り」「熊野詣で」等も夢となる。
まあ今までに一番歩いたと言えば、1982年~83年のロンドン滞在時であろう。子供の頃に寺町台から金沢駅まで約1里(4km)を何度か往復したのも思い出である。