西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

嵐山光三郎著『悪党芭蕉』を読み出す

2006-04-27 | 生活描写と読書・観劇等の文化
嵐山光三郎著『悪党芭蕉』(新潮社)を読み出した。ほんの一部読んだのだが、「目からウロコ」というか、「へーそういう見方もあるのか」と思った。この「思い」は一寸前に読んだ『ダ・ヴィンチ・コード』でも同じ感慨だった。
つまり、これらの本は、レオナルド・ダ・ヴィンチや松尾芭蕉の普通のイメージを「本当か?」と問い直し、通説ないし常識的見方を覆そうとしているのだ。まあ仮説と言っても良いが、中々面白い仮説だ。嵐山さんの本では「俳聖・芭蕉」は嘘っぱちで、俳諧では確かに抜きん出ているが、その裏で、妾持ち、同性愛(『奥の細道』は弟子・曽良との道行きだ、という説)、目くらましの出家、俳号・芭蕉の謡曲から取った意味、生類憐みの令(将軍・綱吉)への配慮、写生でなく虚構(嵐山説では「古池や蛙飛び込む水の音」で、蛙はめったと飛び込まない、ずるずると池端から池に入るのは一般的、だからそれは虚構ではないか・・)等々「ヘー」の連続だ。ほんの一部を読んでこうなのだから、今後どうなるか楽しみだ。やはり通説、常識を崩すのが仮説であり、学問的方向だろう。

新井 満著『千の風になって』を見る、読む

2006-04-27 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
今度、芥川賞作家・新井 満さんが平安女学院大学の客員教授になると言う。理事長・学長の山岡景一郎先生がペンクラブの仲間であるよしみで招いたのだ。それで、でもないが今日、本屋をぶらぶらしていたら、その新井さんの『千の風になって』という講談社のかわいい本(原詩、訳詩、写真、新井さんの文により構成)に出会って、すぐ買って見て、読んだ。原詩は英語で「読み人知らず」のようだが、それを新井さんは次のように訳している。

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

あの大きな空を
吹きわたっています

これは「死者から生者へのメッセージ」という形を取っている。万物流転、輪廻転生の考えが裏にある。心にしみる詩だった。

JT生命誌研究館の山岸 敦さんの話

2006-04-27 | 色々な仮説や疑問
先週の土曜日に高槻のJT生命誌研究館に行き、スタッフの山岸 敦さんから色々説明してもらった。その中での二つ:(1)私の質問「猿学者・河合雅雄さんは人間が緑を心地よく思うのは、長年の「猿時代」に緑の森にいたからではないか、と言っているが・・?」山岸さんの話・・最近、森で録音したそのままでは人間の耳に聞こえない音を人間に聞かせるとリラックスする、という報告もあるようだ。「へー」である。昔、森林浴は、フィトンチッドが良いと神山恵三さん(故人、生気象学者)に聞いたことがある。とにかく、機会があれば森をもりもり歩こう。(2)「どんな猛獣でも赤ん坊は可愛い。狼少年も、狼が人間の赤ん坊を可愛いと思って育てたのではないか?」山岸さんの話・・ある動物行動学者の調べでは、色々な動物の赤ん坊の顔の「部品」の各寸法の割合を調べると良く似た値になる、という。これも「へー」である。