西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

安藤元夫君の告別式と精進落としの会

2006-04-29 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今日、昨日のブログに書いた安藤元夫君の告別式が神式であった。近鉄富雄近くの会場だ。こういうやり方は初めて経験した。神主が一人仕切っていた。我々参列者は立ったり座ったりさせられた。神主の口上は、全部はよく分からない。何処かで安藤君の経歴を言っていた。弔辞は近畿大学の窪田先生(構造系、東京都立大学出身、高見沢邦郎さんと同期か)と安藤君の京大での恩師・三村浩史先生の二人だった。神式なので我々は順々に「二礼二拍(音をたてない)一礼」で榊を安藤君に捧げた。安藤君と奥さんのイツ子さんには2男1女がいるが長男は、東大を出て経済産業省の役人、次男は日立製作所勤務と言う。最後に長男がしっかり挨拶していた。私は安藤君のお棺に花を入れて安藤君に最後の挨拶をした。顔は闘病の壮烈さを物語っていた。京大建築計画系研究室の後輩では初めての「お棺入り」で何とも言えず寂しく悲しかった。霊柩車を見送ってから、旧三村研、旧西山研卒業者を中心に、近鉄学園前に「精進落とし」に行った。30人近くの参加、ビール、ワインでわいわい進んだ。最後に先輩の広原盛明さんが挨拶された。「・・精進落しが相当盛り上がったが、今後も誰かが亡くなるごとにこういう会をしたい。さて最後に残るのは?といったところです・・」皆、苦笑いで会は終わった。

三村浩史研究室、西山卯三研究室

2006-04-29 | 京都の思い出(助手時代)
私が京大で助手をしていたのは、1970年から1974年の4年間で前半の2年間が三村研、後半の2年間が西山研だった。当時の院生は、安藤元夫君をはじめとして皆、元気がよかった。今、大学をはじめとしてそれぞれ大活躍している。
それに対して、自分としては、前半の2年間でやったこと、というかやりだしたことは二つあって、一つは水俣地域の調査研究、もう一つはパトリック・ゲデスの「Cities in Evolution(進化する都市)」の翻訳に取り組んだことである。水俣のことは、後に宮本憲一編『公害都市の再生・水俣』(筑摩書房)にまとめて載せてもらった。ゲデスの本は後に奈良女子大に移ってから1982年に鹿島出版から私の編著で出してもらった。後半には、西山先生のご退官間際で「ざわざわしていた」こともあって、京都府伊根町(漁村)の計画に関する調査に取り組み簡単な報告書をまとめただけである。水俣、ゲデスゆかりの地、伊根町等へは、又ゆっくり行って見たいと思っている。言ってみれば「35年後の訪問」である。