西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

常識の教養:薩長土肥(さっちょうどひ)

2006-04-18 | 言語・字・言語遊戯
地域の問題を考えるとき、江戸時代の地域名称と範囲が参考になる。今日、ある女子大生達と喋っていて、郷里を聞いたら北海道と岡崎だった。北海道は蝦夷と呼ばれたが、岡崎は西三河である。彼女に「岡崎5万石でも・・」という言葉を知っているか、と聞いたら確かに知っていた。しかし、意味は知らないようでした。岡崎5万石は徳川譜代の大名本多藩の禄高です。実は、その西には徳川御三家の一つ尾張藩61万石がありました。江戸の家康は、御三家を本家に跡継ぎがない場合の「助け」に設立しましたが、万々一、本家に逆らう場合に備えて隣に「目付け」を置いたのです。だから「岡崎5万石でも、御三家・尾張61万石に対する備えである」という訳ですね。こういう尾張とか三河とかといった江戸時代の地域名に関して彼女等に「薩長土肥(さっちょうどひ)を知っているか」聞いたら「さあ」と言う。愕然とした。教養が衰えていると感じた。薩長土肥とは、明治政府を作った四藩、即ち薩摩(鹿児島県)、長州(山口県)、土佐(高知県)そして肥前(佐賀県プラス壱岐・対馬を除く長崎県)なのである。

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