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かぶれの世界(新)

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減塩が全てじゃなかった

2013-10-19 15:09:30 | 健康・病気

6月後半に田舎に来て直ぐに腰痛が再発し、その後直ぐに通風が出て難儀をした。市立病院で診察を受け三高(高血圧、高コレステロール、高尿酸)を指摘され、大元の原因は食生活にありと診断を受けた。先生の指示で減塩の食事指導を受け、以来徹底して減塩に努め3ヶ月経過したので経過観察を兼ね診察を受けた。生化指標がかなり改善しているだろうと期待した。

血液検査の結果、血圧は異常に高かった前回から140-90に下がったものの、悪玉コレステロールと尿酸値は基準値を大幅に上回って悪化していた。掛付け医に警告を受けていた腎機能低下についてはコメントがなかった。前回先生に言われた減塩を徹底してやったのに残念というと、先生は気分を害したようだった。コレステロールと尿酸の問題があると言っただろうと、カルテに書き込んだ診察結果を見せて先生は反論した。

私の聞き違いだったろうか。カルテは見て無いが、診察後先生に指示を受けた栄養士の食事指導は減塩だけだった。それより何より先生の「減塩」を強調する医者には珍しい断定口調に、私自身疑いを持ちながらも新鮮さを感じ徹底して減塩をやった。この先生は人の話を聞かない傾向があり、先生の性格に合わせて受け答えした方が良いと思った。私が夏場に血圧が上がる体質だといくら説明をしても信用せず一般論を繰り返すので私は途中で黙った。議論してもしょうがない。

だが、先生の指示した減塩自体は悪いことではないし、今回出された処方も投薬よりも「先ずは体重を65kg以下に減らせ」という内容は経験から十分納得できるものだった。この10年、血圧と体重の推移を記録して65kgが体調を分ける境界線だった気がする。私も生活習慣を変えて何とか健康にいたいと常々思っている。素直に分かりましたと返事し、「東京に戻り掛付け医に報告し、来年田舎に来た時に再度先生に診て頂きます」と言うと、機嫌良い肯定が返ってきた。

聞き違いかどうかは別にして、「減塩が全て」は甘かった。私は医者では無いが常識でそんな事はありえないと勘違いを修正すべきだった。減塩すれば何を食べても良い訳ではないし、食べる量もコントロールしなければならなかった。私は減塩を理由にしてそれまで節制していた食生活が緩んだと思う。そんなうまい話はないと云う事だ。昨夜、ベッドの横のエアロバイクのほこりを払い久し振りに600kcalのエクササイズをした。65kgに向かう第一歩だ。■

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コーヒーぶちまけ

2013-10-18 15:48:06 | 日記・エッセイ・コラム

3日間で2回コーヒーを派手にぶちまけた。午前中、市立病院に行き血液と尿を採取し、結果が出るまでの待ち時間に空腹を覚えた。朝食を抜いてきたのを思い出した。ロビーの自動販売機でコーヒーを買って内科の待合室に戻る途中、手の平の上で紙コップをお手玉みたいにひっくり返し中身を全部床にぶちまけた。

Yシャツの右袖とお腹の辺りのベストとはみ出したYシャツが薄茶色に染まった。コップが普通より大きめで柔らかく握りにくいせいだと忌々しく思った。通りがかりの女性スタッフに伝え、コーヒーがこぼれた床の辺りを歩く老婦人に注意した。気を取り直してもう一杯コーヒーを買って戻る途中、伝えた女性がモップで床をふき取っていたので再度謝って待合室に戻った。

二日前は実家で朝食をとり、サンルームで新聞を読み終わった後のことだ。マグカップにコーヒーを入れて2階の書斎に向かう階段の途中でやってしまった。つんのめって右手をついたが、右手にはマグカップがあった。階段を伝ってコーヒーがポタポタ垂れていった。

直ぐに雑巾で階段を拭いた。先日家族が来る為に掃除したばかりだが、あちこちにこぼれたコーヒーが黒い沁みになっていた。ぶちまけてなくともあちこちコーヒーをこぼしていた。普段、機嫌の良い時は少し駆け足で階段を上がる。実は何度もこぼしたことがある。この時も年柄もなくルンルン気分だった。何がルンルンだったかは覚えてない。

3日間で2回もコーヒーをぶちまけたのは初めてだ。テレビの健康番組で見た脳梗塞の予兆かもしれない。それともボケが始まったか。病院で人にぶちまけなくてよかった。若い女性の事務員の「熱くないですか、大丈夫ですか」という声が優しかった。■

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無策のオバマ勝つ

2013-10-17 23:41:05 | 国際・政治

今朝(米国時間16日)に米議会上下院は債務上限引上げ暫定案と政府機関閉鎖解除の法案を可決したとニュース速報が入った。その後オバマ大統領は法案に署名し、世界を揺るがした米国債務不履行が少なくとも来年2月まで回避されることになった。

アラブの春から続いている中東の混迷、最近ではシリア攻撃、APEC不参加などオバマ大統領は前面に出て事態を収める姿勢を見せてない。内政面では与野党の激しい対立で、債務上限引上げや予算成立難航で政府機関が閉鎖される事態になっても口先介入するだけだった。

何故オバマは何もしないのか。識者の中には「決められない米国政治」と揶揄し、評論家の田原氏は「米国は、いったいどうなっているのだろう。オバマ大統領の影響力は、国内はもちろんのこと、国際的にも希薄になっているように思われる。」(BPnet10/11)とオバマの無策振りを訝っている。多分、多くの人は同じように考えていると思う。

だが、私はオバマの作戦は明確だったと思う。オバマは全て世論に従った、或いは自分で誘導した世論に従ったと思う。その証拠はこれら一連の政治の迷走の結果、オバマの支持率は微減したが40%台を保った一方、共和党は支持率20%台にべた下がりした。迷走の原因となった共和党右派の茶会(ティーパーティ)は否定しているが、彼らは手痛い敗北を喫したと私は思う。

内政面では政府機関閉鎖の責任を、妥協しない茶会を説得できない共和党幹部という印象を作り出すことに成功した。Pew research Centerの調査によれば茶会の支持率が大きく低下(favorable:29%、Unfavorable:49%)したと報じられた。

外交面ではロシアにリーダーシップを取られたが、結果としてシリア攻撃しなかったのは戦争に飽き飽きした国民の意思に応えるものだった。APECに出席せず中国の存在感が増したのは米国の影響力低下と指摘されているが、これもまた支持率には響いてないようだ。

オバマのやり方は、問題を微妙な状態において政敵(共和党右派)に踊らせて観客に是非を判断させ、オバマ自身は舞台の脇で観客の判断を眺めておもむろに出て行く、「無策の策」をとったと私は思う。彼の作戦は成功したかもしれない。結果として無策のオバマは内政で勝ち、外交で傷ついた。トータルでどうだったか分からないが。

オバマは国内の支持を失わなかったが、一方で多くの専門家は今回の迷走が米国及び大統領の威信を大きく傷つけたと総括している。WSJ(10/16)は観測筋の見解として、ワシントンでの財政面での機能不全によって米国の権威はひどく傷つき、海外で物事を成し遂げるその能力は限定的なものになったと報じている。そうかもしれないが米国の代わりはないと私は思う。■

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田舎暮らし雑感13秋(3)

2013-10-17 21:22:11 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の朝、大阪に戻った義弟から電話があった。彼の声の調子で機嫌が良く、しかも私をからかう気配を感じた。私はそれが何故かも分かっていた。携帯をなくしてオタオタする私の様子を書いたブログ記事を見て心配して電話したのが表向き、間抜けだとからかって楽しむのが裏の目的。からかい合うのは友達の印し、電話してくれ嬉しく思い軽口を返した。

単純な失敗を見つけて「お前は年をとってボケてきた、誰かが付いていないと一人暮らしは無理では」と指摘するのが、お互いをからかうパターンだ。だが、話していて本音で心配なことがあり正直に伝えた。実は料理を作った後火の始末を忘れ、後でゾッとすることが何度もあるのだ。

東京の自宅はオール電化に切り替え火の不始末の心配がなくなった。こちらでも何度かオール電化の勧誘を受けたのだが実家は家が広過ぎ、火を使う場所が分散している。谷間で日照時間が極端に短く太陽発電にも向いてない。東電はガスを電気に切り替えるのが当時のオール電化の条件だった。プロパンと灯油を使う実家で四国電力の条件はどうなのか、真面目に聞いて安全の為導入を検討した方が良いかもしれない。

実家の台所は都市ガスではなくプロパンガス、風呂は灯油を使っている。今日たまたまガスタンク交換に来たプロパンガス屋さんに聞くと、人口減でお客が減っているらしい。特に山間部の人口減少は深刻だという。人口減は大問題で、オール電化はそれほど脅威ではないような口ぶりだった。

今年は好物の柿を買わなくても済んでいる。最初渋抜きの刀根柿が出た頃は市で買った。だが、富有柿が出始めると、義弟が大阪に戻る時に庭の柿を持ち寄ってくれた。実家の庭の柿も例年通りなっている。近所の話友達のオバサンの庭になる柿も自由に食べてくれと言われた。そこを通り過ぎる度に34つもぎ取ってポケットに入れる。今年は豊作でいくら取っても焼け石に水、多分殆どは落ちて腐ってしまうだろう。

ここにきて朝晩の気温が急速に下がった。晴れの日でも昼間の気温が20度半ばになり過ごしよくなった。ジョギングの距離は15kmに戻った。走った後、筋肉痛も膝痛もない。それが良い兆候か、或いは痛みまでボケてきたのか。気になるのは走った後、体全体にじわっと脱力感が広がり、何だか微妙に精力が落ちた気がする。物忘れよりこっちの方が老いていく現象かと気になる。

来週訪問してくれる息子の家族のために片付けや掃除をした。今年の田舎滞在は訪問客が多く、その都度言われて掃除の範囲が広がっていく。普段入らない部屋まで少しずつ綺麗になってきた。訪問が入梅前から秋まで移るに連れ、フトンの種類も変わった。今日家内の電話で、「フトンが少し湿っぽかった」、「もう干したよ」、「新しい包布を買ったほうが良い」、「分かった」、・・・ リモコンされてる。朝晩の寒さが我慢できなくなったので、今日は居間と客間にコタツを設置した。■

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ドタバタ携帯紛失

2013-10-14 22:31:54 | 日記・エッセイ・コラム

携帯電話の話題をする時の私はドジな高齢者だ。何が起こったか時間系列であげると下記のとおり、携帯を見失って直ぐに気が付かず3日かけて探して見つけたが、1週間何ら連絡がなかったというバカな話だ。もともと独居老人の緊急連絡用だ。

10/8 携帯紛失に気付く
10/10
 家中くまなく探すも見つからず
10/11
 再度絨毯捜索も不成功、サービス停止処置
10/12
 携帯発見
10/13
 サービス再開

母を見舞って戻った7日月曜日の夕方、いつもより長い散歩をした。最近流行のインターバルウォーキングを取り入れ距離を伸ばしている。携帯内臓の万歩計をチェックすると1.5万歩にもなっていた。疲れて何もする気分になれず書斎に入り、テレビを見ながらパソコンを立ち上げマーケットやメールをチェックした。それから風呂に入り夕食をとり集中力のない時間をすごし就寝した。

携帯がないのに気が付いたのは翌日の夕方だった。散歩をする時に必ず万歩計機能を使う携帯が見つからない。心当たりを探したがない。翌水曜日は義弟とはも料理を頂いた日で、連絡は固定電話に来たので不便はなかった。そのうち見つかると。だが、直ぐアクションすべきだった。

携帯電話がないのは気にはなったが、緊急連絡用で通常使わないので、熱意が足りなかったかもしれない。木曜日に家中探したが見つからなかった。金曜日には固定電話の子機から携帯に電話を掛け、くまなく家中を探したが見つからなかった。

後から考えれば、行方不明に気が付いたら直ぐやらなければならなかった。全てはやることがスローで手遅れなのだ。バッテリーが上がって無反応になっていたはずだ。その夜諦めてドコモサイトに連絡してサービス停止とキー入力をロックして貰った。GPSで探してもらったが、これもバッテリーが上がってからでは無意味だった。全くドジだった。

以前に洗濯機にぶっ込んだ時にドコモショップに行き携帯情報をCDに焼いてくれたので、最悪の場合は中古携帯を買えば何とかなると思っていた。いよいよ買おうと思いついたのが24時間後の土曜日の夜、パソコンの前に座り中古携帯販売のサイトを開いた。

その時急にお尻に異物を感じた。背もたれと座の継ぎ目辺りに手を突っ込むと、異物の手触りがあった。アッと思って引っ張り出すと久しぶりに見る携帯だった。慌ててバッテリーを充電し、日曜日の朝電源を入れるとキー入力がロックされていた。ドコモに連絡しロックを解除して貰い一件落着。この1週間に受信した電話は1件、メールはお知らせ数件のみだった。■

コメント (16)
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