26日の「2007年大胆占い、見事に外れる」の本音を吐露する続編です。
過 |
去1年、世界の中で日本のプレゼンスがドンドン低下していくのを感じる度に、この言葉を思い出した。目眩で方向感を失い奈落に落ちていく感じだ。自分ではどうしようもない無力感というか文字通り「沈み行く感覚」とでも言うのだろうか。ずっとこの感覚に陥っていた気がする。
名優Jニコルソンがアカデミー特別賞を受賞した時、その年ヒットした映画「タイタニック」をもじって受けたジョークだが、何故かその時私の中で沸き起こった感覚が忘れられずにいた。最近の日本のプレゼンスの低下は私には正に‘sinking feeling’だ。
昨日の報道によると2006年日本のGDPがついに世界の10%を切り9.1%、一人当たりのGDPが何と世界18位に落ち込んだという。2-3ヶ月前にかつての同僚は一人当たりのGDPが英国に抜かれたことをしきりに嘆いていたが、今回はそんなものじゃない。昨年はピーク時の半分で24年前の状態に戻り、OECD加盟国の最下位争いをする位置にあるという。
今日の日本経済新聞は世界の金融機関の株式時価総額ランキング(12/25現在)で、日本の銀行が軒並み後退し終にトップ10に1行もランクされてない事態になったと報じている。サブプライムで大打撃を受けた米銀のランクが低下するのは当然として、大きな損失を出さなかった邦銀の低迷は寂しい。これが何を意味するか極めて明確だ。
ジャパン・パッシング
グローバル・マネーにとって日本市場は投資してもリターンが期待できない、魅力を感じない市場とみなされている。日本企業は業績向上より買収防衛策に熱心で誰も株式を買いたいとは思わなくなった。結局日本を通り越して急成長する国々に資本投下され、それら国々に急成長と繁栄をもたらした。所謂「ジャパン・パッシング」だ。
落ちるところまで落ちたという感じだが、実はまだまだ落ちるだろうと悲観的にならざるを得ない。何故なら、安倍内閣が掲げた改革は停滞し福田内閣になり逆流を続けている。公務員制度改革は骨抜きバラマキ政治に戻ったが、メディアはもとより国民のメンタリティも目が向かず内向きに傾斜している。
メディアと国民の関心は目先の年金などにのみ向き、結果として政治は内向きのポピュリズムに陥った。だが現実は2007年のGDP成長率は1%台の見込みで、1人あたりのGDPは更に低下し20位台に落ちるのは間違いない。そんな国が果たしてかつての一人当たりGDPトップ時代の福祉や生活をする実力があるのか問われているのだ。
苦い選択
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子供や孫などの次世代から前借して分不相応な生活水準を維持するか、公務民制度を効率の良いシステムに徹底改革し農業などの一次産業とサービス産業の生産性を高め再度成長の道を辿り自らを助けていくのか選択は二つに一つだ。「もの作り」ばかりに焦点をあてるが、それでもって残りの7割のサービス産業を支えることはできない。
人口減少と高齢化社会が最早避けることの出来ない日本縮小への道であり、それに対して実現可能な施策が存在し得ないのなら、水谷研二氏が長年説いて来た様に節約国家(2001東洋経済)になると覚悟し目先の利益を捨て高度成長前の生活に戻るしかない。
それは繁栄を享受してきた者の責務だ。しかし、多くの人にとってまだその覚悟は出来ていない。「福祉は必要だが税負担は嫌だ」という。税金の無駄遣いを徹底して削り、足りない分は次世代から前借するしかないというのでは無責任で破滅の道だ。
しかし、他にも道はある。日本がバブルに酔いしれていた時、行き詰っているといわれた北欧の高負担高福祉国がその後の規制緩和などの改革で、今日一人当たりGDPランキング高位を独占するまでになった。日本人に出来ないはずがない、まだフンギレナイだけだと思う。
いざとなった時、日本人は柔軟で対応力が極めて高い民族だ。最終的にその方向に向かうが、今はまだその覚悟が出来てないと私は感じる。だが、そう言ってる間にも日本は益々プレゼンスを失う。果たして次の総選挙までに腹をくくることが出来るかどうか、私は出来ないと見る。まだ落ちるところまで落ちてない、もっと酷い目にあってからと思う。■