かぶれの世界(新)

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泣く子と高齢者には勝てぬ

2017-02-09 19:49:46 | 社会・経済
近所のショッピングモールで買い物をして帰る途中、踏切でいつもより長目の行列が出来た。踏切は南武線分倍河原駅ホームのすぐ横を通る路地道にあった。上りと下りの電車がすれ違う時は京王線などに比べやたら長く待たせられるので列が長くなる。踏切の部分は車線が狭いのでやっと車がすれ違う程度、更に両側の歩道はもっと狭く自転車ではすれ違いは危険だ。

やっと遮断機が上がり、前方から幼児を自転車に乗せた女性が向かってきた。踏切のこちら側に並ぶ中年男性と若者は気を利かして踏切の手前で親子連れを待つと、何と彼等を追い越して私の前にいた一人の男性が踏切に入っていた。女性は自転車を降りて踏切の白線をはみ出して男性をやり過ごしてからこちらに向かった。彼はゆっくり通り抜けて行った。見かけ私よりもかなり年配の老人だった。

「あぶねーな、泣く子と高齢者には勝てないね。」と前方で待つ中年男性に声をかけると頷いて苦笑いが帰ってきた。彼は悪気があったとは思えない、ただもう気配りが出来なくなっていたのだと思う。私は高齢化社会の典型的な現象だったと思った。老人は悪気はないのだが最早自分のことしか考えられず、結果として母親や子供を困らせる。次の世代のことより自分さえ年金を貰えばいい、幼稚園はうるさいので近所には作らせない等々。

でも、当たり前のことでもどうして世の中は高齢者には勝てないのだろうか。元々の言葉は「泣く子と地頭には勝てぬ」だが、地頭とは年貢取り立ての代官で百姓にとってみると絶対的な存在だった。今ならさしずめ「泣く子とトランプには勝てぬ」というところか。日本の高齢者がそうなってしまったのは何故か。

日本古来の伝統と言ってもよい「他人の世話にはならない」という老人のプライドとか「やせ我慢」が無くなっただけではない。最近の高齢者におもねる「老人ポピュリズム」政治が原因だと思う。もう一つは長生きし過ぎてボケてしまい、プライドも判断力もなくしたのかも。「踏切の渡り方ひとつでここまで言うか」と言われそうです。■

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