かぶれの世界(新)

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先が見えた瞬間

2024-04-14 20:42:28 | スポーツ
最初は孫と人生最後の百名山(雲取山)登山を今年やりたいと子供に提案したが、彼等の住む都心からの日帰り登山が難しく先送りしたことから始まった。先週になって息子から下の孫がジージと山登りしたいと申し出があり、日帰り可能な高水三山はどうかと再提案があった。

そこは30-40年前に登った記憶があるが、三山と言うより三つの丘と言った程度の山で登山というより散歩程度だった。孫達の脚力はもう大人並で私より遥かに強く、最低でも奥多摩の1300-1700メーター程度の山の日帰り登山はどうかと息子に薦めた。

ところが、11日木曜日に家内の誕生祝いに近所のイタリアンで昼食後に多摩丘陵を歩いた時から異変が起こった。鎌倉街道から桜丘経由で川崎街道を通って摩丘陵を歩き是政橋を通って自宅に戻る、13キロと距離は長いが何度も歩き慣れたコースなのに緩やかな坂が厳しかった。

今回は桜丘カントリークラブ沿いの歩道の坂がとても辛く、明治天皇の記念館がある若葉台の交差点からから下り坂になってもゆっくり歩かざるを得なかった。経験で、後ろ向きで歩くと若干楽になるので、前向きと後ろ向きの歩きを繰り返して何とか自宅に戻った。

痛みは筋肉痛ではなく、昨春に経験した偽痛風後の早歩きとかジョギング時に感じる股関節辺りの痛みのように感じた。休んだりゆっくり歩くと痛みは消えたが倦怠感があった。倦怠感はずっと続いた。金曜日に息子が御岳山等の代案を返してきた時には、私はやる気を失っていた。

倦怠感が抜けないのは何故か考えてみると、このところの突然の暖かさで軽い熱中症になったのか、或いは老齢化が進み体が衰えてしまったのだと推測した。多分、その両方で体が付いていけなくなったのだろう。で、息子を始め家族の皆に登山に参加できないとメールを連絡した。

何時かはこんな日が来ると覚悟はしていた。もしかしたらもう百名山を孫と登る夢は消えてなくなったと思うと辛かった。「先が見えた」と思った瞬間、「待て、ちょっと早すぎる、まだ諦めることはない」という気持ちも湧いた。私次第だが、同時に結果は直ぐに分かるだろう。■

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