かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

過去の問題はどこまで追求すべきか

2021-08-06 11:40:52 | ニュース
オリンピック開会式直前に二人の演出関係者が30年かそこら前の言動の責任を問われて大会から去って行った。私はこのことがずっと気になっていた。若い頃の不適切な発言が問われ罰せられることの是非だ。その頃の世論やマスコミは問題にしなかった責任は問われないのかと。

今日の日本経済新聞の真相深層「過去の言動、問われる倫理」は過去に遡り問題ある言動で地位や仕事を失う「キャンセルカルチャー」について論じ興味深かった。一方的に非難するのではなく、時代背景の変化から始めて今も微妙な問題があることを指摘している。

かつては黙認したが価値観の変化で表立って非難する時代になった。その時代の言動が黙認され、キチンと対応されなかった。多くの場合個人の言動が問題にされているが、その背景に組織と責任者を守るために問題化せず世論も目を瞑った。そういう人達の責任は問われないのだろうか。

個人の問題にした今回の対応は、実は二人を生贄にして周りの人達を守ったことになる。彼等二人はかつてのいじめを、いじめで返された様に感じるだろう。今の世の中はそういう傾向がある。記事は最後に「近頃の若者は自分を被害者にみなす傾向がある」とFフクヤマの言葉で結んでいる。

私が時折非難する「被害者史観」である。或いは「ゼロリスク主義」だ。Fフクヤマは世界的な傾向であると警鐘を鳴らしていると思う。私は日本人に多い傾向であり、朝日新聞などの一部マスコミの報道と連動しているように感じる。

だが、私は日経の記事ではちょっと物足りない気がする。新しい価値観に対してそぐわない行為に対し常に組織や責任者がもみ消す力が働く、そして多くの人々は黙認する。今だけの問題ではない、私には永遠に続く歴史的課題だと思う。セクハラやいじめだけではない。

例えば、中国は長期間にわたって国レベルで自由を抑圧してきたが、世界は経済を理由に黙認してきた。マスコミはセクハラ発言をする芸人を利用して来た反省が聞こえてこないのは何故か。30年前の言動を問題にするなら、朝日新聞の慰安婦問題等の偏向報道は十分に対応されただろうか。■

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東京郊外の風景2021(7) | トップ | 田舎暮らし雑感2021(7) »

コメントを投稿

ニュース」カテゴリの最新記事