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55年体制に逆戻りする反原発とオスプレイ反対運動

2012-08-03 23:16:18 | ニュース

オリンピックの熱狂に隠れて政局が緊張している。一体改革を進めたい自民党と、阻止したい少数野党が野田内閣不信任決議案提出で微妙な連携を模索している。政策の「セ」の字も出てこない動きだが、小沢新党にとっては早々に得意な展開になったかもしれない。一方で、脱原発デモは毎週盛り上がりを見せ、オスプレイ持込反対運動は全国的な広がりを見せている。

私はこの二つの反対運動のあり方とこれまでの展開が、何も生み出さない不毛な結果に終ることを憂慮する。若い頃私が見た日米安保反対運動から何十年経っても変わらないDNAを感じる。

最近の脱原発運動は、かつての左翼系組織にいたプロの運動家だけではなく、福島原発事故で放射能汚染の恐怖を実体験した普通の家庭の主婦が子供連れで参加するといった広がりを見せている。一方で各社世論調査によれば、電力が失われた場合の経済・生活に危機を感じている「物言わぬ原発の消極的許容派」が同数または過半数いると報じられている。

国論を二分する論争だがマスコミ報道を見る限りでは、圧倒的に露出が多いのは原理主義的で強圧的に反論を許さない原発反対派だ。しかし、それだけで何時までたっても脱原発に具体的な道筋をつける政治な受け皿が出てきてない。小沢新党や鳩山氏の脱原発発言は信頼されず、今後も真剣な取り組みがなされるとは誰も期待してない(彼らが出てくると寧ろ胡散臭くなる)。

一方、オスプレイ反対運動についても地元の反対は理解できるが、事故率だけに焦点をあてて報じるマスコミの姿勢に私は強い違和感がある。オスプレイの配備の意味を米国軍のアジア戦略に関連させて説明するのはましな方で、米国政府の予算執行上の制約に矮小化してしまう乱暴な解説が平気で全国に報じられている(テレビ朝日)。幾らなんでも、これはひどい。

オスプレイの安全性について明確にする必要があるのは当然であり、米国にその責任が100%ある。安全に日米で二重基準があるとしたら許容できない。だが、同時にヘリコプターCH46からオスプレイへの移行が我国の安全保障にとって如何なる意味を持つのか、オスプレイを拒否した場合の我国の安全保障上の選択は何か、国民が深く考える機会を与えるべきだ。

反対が過激化して万一オスプレイを日本基地に配備できない事態になったら、必ずしも明確では無いが米国はどこか他の国に配備するだろう。その場合、近年悪化が続く中ロとの領土紛争や北朝鮮の核武装など安全保障上の脅威に対し、反対派に米軍との連携以外の選択の覚悟があるのか。戦後日本の一国平和主義がまだ通用するとは誰も思っていないだろう。まさかと思うが。

実はそのまさかが私の懸念だ。マスコミが報じるこの二つの反対運動は、先に投稿した「覚悟のない原発反対」であり、同様に「覚悟のないオスプレイ反対」としか思えない。55年体制下で万年野党の社会党が反対の為の反対をし、万年政府の自民党が少し妥協して反対を押し切る政治劇が続いた。そこには本当に反対が通ったらどうなるか、何故そうなるかの議論が抜けていた。それが福島原発事故の被害を大きくした。今、「覚悟のない反対」は同じ誤りを犯そうとしている。■

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