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仮説:ポピュリズムは「ベルリンの壁」崩壊が原因か(1)

2019-11-14 21:33:31 | 国際・政治
先週土曜日に前後して日本経済新聞は「ベルリンの壁」崩壊後30年間の歴史を辿り、現在と未来を予測する多数の記事や論説が掲載された。内外識者から記事は色々な視点からの分析は読み応えがあり、かつ自分の経験に基づく考え方と照らし合わせ理解が深まったと思う。

同時期の私も個人的には激変の人生を過した。80年代末にIT企業の幹部になり、90年代半ばに米国工場に出向、帰国後事業責任者になったがITバブル崩壊で躓き、リストラを実行する羽目になった。その後に会社を早期退職し、既にブログで紹介したように第2、第3の人生を始めた。

つまり「ベルリンの壁」崩壊後の30年間は、私がサラリーマン最後の10年間とその後の介護・終活の20年間と重なった。言い換えると私の人生にとっても最も劇的な30年間であり、世の中で起こった出来事に最も影響を受けた時でもあったと思う。

身近な体験から私なりに「30年間に何故世界はポピュリズム化したか」を論じてみたい。グローバリゼーションの必然的な前段階とそれを加速させた要因から始めたい。

「ベルリンの壁」が崩壊する前から、先ず米国企業が製造部門の低付加価値作業を外注し安価なモノづくりを始めた。国内の製造専門会社(例えばJabil)から更に人件費の安い台湾へ、簡単な組み立てから複雑な電子部品・機器へ展開して行った。日本企業も続き低付加価値部門を海外展開した。

記憶では当時「アウトソーシング」と呼び、部品収集から組み立てまで世界に展開し最適なSCM(サプライチェーン・マネジメント)の構築を目指した。「ベルリンの壁」崩壊は国境がなくなったことを意味し、瞬く間にグローバルSCMは中国や東欧などの旧共産圏国まで広がった。

私が米国の工場に出向したのは正にこの流れの中で行われた。ある時「アウトソーシング」はあらゆる経済活動を含む意味で「グローバリゼーション」に変わっていた。初め違和感があったが、全経済活動の世界展開という意味でグローバリゼーションを理解すると納得できた。

当時はグローバリゼーションは避けられない世界的な動き、議論の余地のない流れだと見做されていた。記憶では金子慶大教授がグローバリゼーションの問題を指摘していたが、少数派で無視され消えて行ったと思う。彼の私的は先見の明があったのかもと今になって思う。何れにしろグローバリゼーションの30年は国民や国家の経済格差を拡大した。

アウトソーシングが始まった頃から、経営判断した者はかつてない富を得るが、海外に仕事を持っていかれた作業員は置いて行かれる。このトレンドが続けば経済格差はどんどん広がって行くだろうと想像した。今世紀に入りIT企業がプラットフォーマー化すると更に格差は拡大し、人々の不満は膨らみ放置できない状況になった。

ここまでを纏めると、グローバリゼーションが進行するにつれ、経済格差が徐々に拡大して行った。そこにGAFAに代表される巨大プラットフォーマーが現れ、その格差を急速に拡大させた。彼等は正に「格差拡大マシン」だった。

国内外ともに残りの世界を容赦なく置いてきぼりにし、国境の内と外でポピュリズムを生み対立が激化させた。先日一人歩き遍路の米人女性ドナに、失礼にもカリフォルニアンに格差拡大の責任ありと指摘した理由だ。意外にも彼女が反論しなかった。仮説に同意したか、ヘボ英語のせいか?(続)■

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