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最後の高尾陣馬縦走x2

2019-03-26 22:37:11 | スポーツ
天気予報を確認して日曜日に久し振りで高尾山から陣馬山への縦走の往復をやった。長男から孫を高尾山に連れて行って欲しいと頼まれていた。一度は悪天候の為延期したが、私が田舎に行く前にもう一度チャレンジしようという約束をしてる。もう一つは私の体力を測る定点観測の一つだった。

一昨年10月に同じコースを歩いて70代になってもまだ歩けると復活を自画自賛した。だが、その後怪我や病気などを経て回復したものの、良くなる度に基礎代謝量(つまり筋肉量)がかなり低下した。大袈裟に言うと日々体力の衰えを進行形で感じ、今回どこまで歩けるか自信がなかった。

結論から言うと、「歩き方」によっては高尾山程度のなだらかな山道なら何とか歩き通せた。日曜日は好天で多くのハイカーがいた。目立ったのは幅広い年代の女性が多く、一見山歩きに慣れてない装いの若い女性も少なからずいた。「歩き方」というのは見知らぬ女性に助けられたことだった。

高尾山口駅から6号研究路を昔のペースで歩き始めて直ぐ息が上がり、かつての様にはいかないと思い知らされた。高尾山のまき道でズボンの膝下部を切り離し半ズボンにタイツ、トレイルラン用靴という昔の私なら速度重視のスタイルになった。だが身体が重く一向に調子が出なかった。

一丁平付近で美しい富士山を見て城山に向かって歩き始めた時、前方に内股で歩く見かけアラサーのSさんがいた。いかにも素人っぽい。横顔を見ながら「帽子被った方が良いよ、今日は特に紫外線が強いから陽に灼けるよ」と何時ものように気安く声を掛けて追い抜いた。追い抜いた積りだった。

小仏峠手前の私が大好きな相模湖と富士山が同時に見えるかつての休憩所で一休みしていると、後ろに彼女がいるのに気付き写真を撮ってあげた。先に出て小仏峠の売店で雑談していると又もや彼女が追い付いて来た。次に城山に登り一休みし歩き始めると、後のベンチに帽子を被った彼女がいた。

私は笑いながら一緒に歩こうと申し出、その後陣馬山まで彼女と同行することになった。彼女はキツイ登りの坂はスローペースだが、それ以外は私の歩く速度と変わらなかった。城山まで私はギブアップを考えていたのに、彼女のペースでゆっくり歩くと意外に楽で何とか陣馬まで歩けた。途中沢山のハイカーに追い越された。高尾山のハイカーに追い抜かれた経験等なかったが、気にならなかった。

彼女は鎌田の人で山登りは初めてだった。友達に高尾山に行くと言うと、それじゃ物足りない陣馬山まで歩けと勧められたそうだ。経験のない女性には無理だと私は言った。学生時代に短距離は苦手だったが長距離は50人中10位内に入ったというので、山歩きには向いているのかも知れない。

陣馬山頂上で彼女は売店でうどんを食べるのを楽しみにしていたと聞き、写真を撮り合い分かれて私は家内の作った弁当を食べてそのまま復路行を開始した。昨日は絶好のハイキング日和で所々で見る富士山は素晴らしかった。が、徐々に霞んで見分けがつかなくなり一丁平では薄い鉛筆書きの輪郭だけのようになった。傍にいた本格的な登山服の女性が教えてくれなければ見えなかった。

復路はこれまでの単独行のままで黙々と歩いたが、今までになく疲れて歩くのが辛かった。必死で歩いたが途中何度も登山口まで辿り着けるか不安になった。何とか景信山に辿り着きベンチで一休み中、バドミントン練習で利用するサプリメント(アミノ酸ゼリー)を携帯したのを思い出し食した。

これで何とか登山口まで辿り着いたと思う。往路はSさんのスローペースに合わせて無駄口をたたきながら楽しく歩いたこと、復路はサプリメントのお蔭で何とか高尾陣馬縦走往復を歩いた。昼食の時間を除くと1年半前より1時間遅い8時間50分もかかったが、何とか歩き切った。■

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