かぶれの世界(新)

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母が辿った道を歩く(続)

2021-08-28 21:02:02 | 日記・エッセイ・コラム
部屋に積み上げていた寝具を全て客間の物置に収納した。まだ湿度は高かったがやっと夏らしい天気になり、もういいかという感じだ。だが、朝から左足の内側辺りが赤く腫れ痛風の症状が出ていた。布団を抱えて足元が見えない状態で階段を登るのは少し怖かった。

だが正直言うと、2日前に布団を抱えて階段を降りた時の方がもっと怖かった。万一階段を踏み外して転落したら大怪我すると想像しただけで怖かった。近年、ラジオ体操やストレッチに加えて片足立ち体操等を続けてきたが、最近バランスを崩すことが多くなり気になっていた。

子供の頃父は市役所勤め、母と祖母が農業をやっていた。田畑で稲作や野菜を育てる一方で、桑畑も作っていた。大き目の農家の2階に滑車を使い玄関から蚕室に桑の葉を上げていた。私が上京し会社勤め始めた頃には養蚕を止め、2階は広い空き部屋と物置になっていた。

湿度が高い為に床は玄関より1m高く、更に養蚕の為一般の家に比べ天井が高いので、玄関から2階までの階段が長く急だった。この構造が高齢者や酔っぱらいには危険だった。昔お祭りで親せきや知り合いが大勢2階に泊まった時、誰かが足を滑らし階段から転落して怪我をしたという。母だけでなく誰にとっても難しいバリアだった。

退職金を使って蚕室を書斎や客間等に改修したのは老化していく母の為であると同時に、実家特有の造りを住み易くする為だった。その恩恵を得たのは母より私だった。その後、壁が落ちた倉を全面改修し、台所にガラス部屋を増設し、東屋を新築した。私は契約だけして後は母に任せ帰京した。

今、その頃の母の年齢になって初めて私は彼女に対して酷い仕打ちをしたと実感した。しかも悲しいかな、それでも私の衰えには十分ではなかった。玄関のタイル張り土間から床までの中間に作った土台に躓き、しこたま足を打ち右足親指の裏側の皮膚が剥がれた。

普通に転んだなら絶対に皮膚が剥がれたりしない恥ずかしい場所だ。想像するに年を取るとあり得ない場所で躓いたりぶつけたりするようになる。多分、母もそういうことを繰り返しながら年を取って行ったのだろう。そういう場面を一度も見なかった私は幸運なのか、非情なのか。

悪いニュースばかりではない。昨朝左足に感じた痛みが酷くビッコを引気ながら布団を2階に上げた。だが、経験ではスポーツ由来の痛風で症状は長引かないと推測した。昨夕無謀にも痛みを堪えて散歩に出かけたが、予想通り今朝起きると痛みは薄らいでいた。同時に家族の足跡は無くなった。■
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