かぶれの世界(新)

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悪意はありません

2019-11-05 14:30:41 | 日記・エッセイ・コラム
昨日の午後、庭師に庭の手入れをお願いしている間に何時ものスーパーに行き1週間分の食料を仕入れた。レジで私の支払いを計算して貰っている間に、私の後ろに山盛りの食品をカートに載せた中高年夫婦が並んだ。

私が重そうな買物かごをカウンターに移してあげると申し出ると、何を勘違いしたのかその女性は顔色を変えて夫がいるからと拒絶した。私は、「ああそうですか」と言ってあっさり申し出をひっこめた。馴染みのレジの女性に顔を戻し、レジ袋は不要と言って支払マシンに向かった。

支払後その先にある作業台で食料を籠から持参した買物袋に移し替えていると、怖い顔から一転して柔和な顔付きの後続女性が声をかけて来た。初めてのことで一瞬警戒してきつく拒絶してしまったと謝った。私は気にしない旨笑って答え、微妙なわだかまり感が消えた。

私は外に出掛けると、知人でなくとも誰構わず声をかけ手助けするクセがある。助平な私だが、都会でも田舎でも、乗り物や買い物でも場所を限らず、相手は外国人も含め老若男女選ばない。若い頃から山に行けば誰にでも挨拶する。4年弱の米国駐在で付けた習慣が身に付いていると思う。

だが、実家のある田舎で暮らすとこの習慣に慣れてない土地の人は、相手が驚き悪意のある反応が返ってくることがある。数年前に駐車場で車を停めようとして、先に駐車しようとした中年女性の車に割り込んでしまった。後で気が付いて別の場所に車を停めた彼女を待って謝ると、「何か文句あるのか」と凄い血相で怒りが帰って来たのを思い出した。その時は怖かった。

今回は私の申し出が悪意のないことを分かってくれたので良かった。車に荷物を載せカートを返却に戻った所で偶然にもレジの女性と出会い、「あの人勘違いして驚いてたね」と彼女は言った。彼女もやり取りに気付いていたのだ。悪意はないのだがそんな風に感じることがある。

帰国して松山で会社を経営する友人は、土地の人は閉鎖的だと言うのを聞いたことがある。私の様に「一見」友好的な振る舞いをする人は珍しいようだ。どうもつけ込まれないよう、スキを見せないように用心していると解釈している。

米国では気楽に挨拶するのは初見の人にあなたの敵じゃないよという実利的な習慣だ。だからと言って、逆に彼等が必ずしも善意の塊などとは思わない方が良い。単にクセ(習慣)で席を譲ったり荷物を持ってあげるだけの場合が多い。ということで、決して悪意はありません。■
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