かぶれの世界(新)

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見掛け倒しな男

2016-04-29 22:13:01 | 日記
今日やっと車検証を受け取った。車は10年前ガリバーで買った中古車だ。その後直ぐに四国の実家に運転して帰り、その時の多摩ナンバーのままだ。費用のメリットもないのに、わざわざ田舎のナンバーに変えたくなかった。かつて東京といえば品川ナンバーだったが、今は世田谷とか八王子だとか訳が分からなくなった。

実は逆の経験もある。90年代に米国に住みワシントン州からカリフォルニアに引っ越しした時のことだ。何の変哲もないワシントン・ナンバーに比べ、カリフォルニア・ナンバーは洒落た書体で凄く気に入った。私の印象では憧れの湘南ナンバーの気分だ。是非ともカリフォルニア・ナンバーに変えたかったが、費用が数百ドルかかると聞いて直ぐ諦めた。見かけよりお金が優先だった。そこははっきりしていた。

他にもつまらない隠れた見かけを結構気にしている。仮住いの団地の借家契約の為に住民票をとった。住民票の前住所の欄にはアメリカ合衆国となっているのを、私は秘かに自慢に思った。他に理由もあるが、住所変更をあえて届けなかったのは「この住民票を見てくれ、俺はアメリカ帰りだ」と言いたかった訳だ。見かけはどうしてもちんちくりんな高齢者なのだが。

息子がくれた学生時代のシャツやウィンドウブレーカーを着て最近バドミントン練習に参加している。私はその大学とは全然関係ないのだが、如何にもそれっぽく見えたら内心恰好いいと思っている。以前は娘の通う大学名が入ったTシャツを擦り切れるまで着た。車のナンバーを付け替えるのと同じだ。

見掛けを装って嫌な思いをした記憶は殆ど無い。例外は上記のワシントン州にいた時、地元の有名な大学(UWという)のシンボルマークが入ったキャップを被ってハイキングに出かけた。途中で出会ったその大学のOBだという老人が、「関係ないのに紛らわしい帽子を被るな」みたいな嫌味を言われた記憶がある。

大袈裟に言えば自分が何者でもないから他人の服をまとって何者かになろう としている。それが気持ち良いのかもしれない。だが、そんなもの誰も気にしないし、バドミントンなら一旦練習し始めたら着ているものなんて全く関係なくなる。どうせその程度だ。だが分かっていても、「お化粧」したがる自分がいる。■
コメント
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