かぶれの世界(新)

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土砂災害の記憶

2014-08-21 21:51:47 | ニュース

広島市の大規模土砂災害は報道によれば今迄に死者39名、行方不明43名にもなるという。これ程の規模の被害が出た要因は広島市の花崗岩とまさ土という脆い土質と、前例のない集中豪雨が深夜の34時にあったからだという。これ以上悪い条件は無いというくらい最悪の組合せだったという。

土砂災害は谷地形の沢のように水が集まって来る所に集中して起こり、土石流と崖崩れ、表層地滑りの3つのパターンが総て起こったという。上空の積乱雲が風で流され、そこに湿気を含んだ雲が下部から次々と形成される(バックビルディング現象というらしい)が観測史上最大という大雨を降らせたという。

この地は70年代に開発された住宅地で、その頃既に地質上の弱さは分かっていたらしいが、日本全体が花崗岩の比率の高く選択が限られていたというのも事実だ。そこまで考えて家を作れと言われても現実は難しい、公平なところ誰も責められない運が悪かったとしか言えない気の毒な災害だと思う。

実は私の実家も土砂崩れの被害にあった。33年前のことだ。フィリピンのレイテ島で山の半分が無くなるほどの巨大な土砂崩れが発生し1000人以上の犠牲者が出た時、実家が土砂崩れにあったことを思い出しこのブログに投稿した。その時の記事を一部紹介する。

私は実家が約25年前に土砂崩れで被害を受けた経験がある。実家は山の麓の谷間に東側から蔵と母屋が並んで南向きに建てられている。その時は台風で豪雨が続き、北東の斜面が崩れ蔵に向かって土砂が流れていった。土蔵はびくともせず土砂は母屋に向かい母屋の東側を半壊させた。幸い母と祖母は西側に寝ていたので事なきを得た。

後から聞くと、土砂崩れが起こった斜面は5年くらい前に伐採されたそうで、その切り株が腐って斜面を締め安定させる役割を果たせなくなる5年後くらいが最も危険な時期だったという。伐採後檜が植林されていたがまだ斜面を安定させるほどには育っていなかった。

広島市の土砂崩れを報じるニュースを見て新たな発見があった。33年前に実家を襲った土砂崩れは表層崩壊だと分かった。だが、地滑りが起こったのは上記の様に沢に沿った斜面でなく、5年前に伐採があった谷の側面だった。当時の写真を見ると崩壊したのは土砂だけで岩も木もなく、広島の土砂崩れとは少し性格が違ったようだ。

母から連絡を受け休暇をとって実家に戻ると、近所の人が総出で助けてくれて応急措置でトタン板で囲った台所が使えるようになっていた。逆算すると50代半ばの母は祖母と二人で大変だったはずだが、私はこれといった貢献もせずすぐに東京に戻った記憶がある。一時が万事こんな具合で酷い息子だったと今でも思い出して胸が痛む。それ以来、毎年田舎の実家に帰る時は母のリクエストで近所にお土産を持って回り挨拶するようになった。それ以来、祖母は気力を失っていったと母に聞いたことがある。

広島の土砂災害が起こった地域は、いずれも山裾に開発された住宅地だったのも気になる。広島市は人口が急増して宅地に適した平地が少なく、災害の起こり易い土地を選んだ結果になったという。40年前に東京近郊に家を建てた時、父の親友だった不動産さんが土地勘がない三多摩地域で戦前まで遡って水害の記録を徹底して調べてくれ、契約から大工選びまで助けてくれた。お蔭で自然災害を心配したことは一度もない。

今回被害にあわれた方はどこまで調べられたのか、テレビに出演した専門家の中には地形や土質を考慮すると災害のリスクは比較的大きいとの指摘もあった。今全国に空き家が急増している中で、敢えて実績のない山裾の斜面に住宅地を開発し、新築の家を建てる以外の方法を考える時かもしれない。中古住宅をもっと活用すべきではないだろうか。■

コメント
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