昨日の国会事故調で菅前首相が参考人招致され、福島第1原発事故について最大の責任は国にあると認め、当時の国の責任者として陳謝した。聴取は予定を大幅に超え3時間弱に及んだというが、首相官邸が大震災と原発事故という複合の危機に対応できなかった危機管理体制の問題が浮き彫りになった(日本経済新聞)と報じられた。
私は黒川委員長をはじめ国会事故調に意図があるとは思わないが、証言内容とそれを評価する政治家や評論家達の発言を報じるマスコミには、明らかに「犯人探し」をしたがる気配を感じた。建前はシステム(仕組)の問題といいながら、報じる内容は制度見直しは無く犯人探しと責任追及だけと感じた。
菅氏自身の証言について、日経は「自己弁護に終始」、朝日は「陳謝のち菅劇場、自らの事故対応正当化」と見出し報じ、好意的な伝え方はしなかった。テレビは菅前首相の現地視察の是非について、直前に被災者が他にやることがあるという声を被せ、もっと露骨な形で被災者を使い証言に対して反論した。典型的なテレビの無責任報道スタイルだ。
事故調の最大の目的は、原発事故時事故後半年間にわたり対応した元内閣官房参与の田坂広志が指摘するように、原子力行政がシステムとして何が機能して何が機能しなかったか、どうあるべきか明確にする事だ。もう首相になることはない菅氏の事故調での役割は明確だ。
事故対応の責任者だった彼の証言が唯一意味があるのは、次に危機が発生した時に他の誰が首相でも、二度と同じことを繰り返さない「原子力行政と危機管理体制のあるべき姿」を徹底して求める手助けになることだ。極論すれば他の議論は全て「為にする議論」といっても良い。
その観点から技術と政治のかかわりはどうあるべきか制度設計を見直す上で、官僚と東電の責任者であった清水元社長や吉田元所長等といった人達の証言が無い理由がよく分らない。例によって誤解を恐れず大胆な推測をするなら、責任追及される事態を避けたいのではないかと思う。そうではないと言いたい所だが、マスコミの遺伝子がそういう方向に向かわせるだろう。
直近ではコメディアンの河本準一氏が、成功して高収入を得るようになってからも母親が生活保護を受けていた件で、私から見ると週刊誌やテレビでそこまでやるかと言う位の晒し者になった。マスコミの餌食になった。河本氏のやった事は決して褒められたことではないが、こういう事態を許したシステムの問題を徹底して責める姿勢がないといつまでたっても進歩がないと考える。■