大10同好会

普通の高齢者の生活と情報

大晦日(土井)

2007年12月31日 14時05分00秒 | Weblog
樋口一葉の小説で知られる十二月の末日、「大つもごり」か「大つごもり」かと、とっさに云われたらアレッとなってしまいます。
陰暦で月の末日を月隠(つきごもり)から変化してつごもりといい、年末は大つごもりとなります。
しかし迷わなくても最近では大晦日(おおみそか)が一般的に使われ、分かりやすくなりましたが、年末の情緒は一葉の時代から少し遠ざかったような気がします。
これ迄だったら、今日一日は昼間から篝火、神殿の清掃、幕張等の迎春の準備、新年は真夜中十二時の新年祭と共に本殿に正座して迎えていましたが、今年は宮総代の役を降りられたので、風邪をおして無理をすることもなく、家でゆっくりしています。
地方によっては大雪の予報も出されていますが、概して穏やかな年末の様相です。
テレビでは紅白の前宣伝に次いで年末ジャンボの抽選をしていましたが、今は漫才をやっています。
ジャンボに当たった方はおめでとうさんです。
しかし籤は当たらないのが普通で3000円以上の賞金が当たれば万々歳です。
元気で大晦日を過ごしておられる皆様、元気が何よりです、良い年をお迎え下さい。
今日の毎日新聞の投稿川柳より。

   紅白のどっちが勝とうと年は明け

   平凡に暮れる大晦日(みそか)に感謝する

   年の暮れ煮豆の香り妻元気

数へ日(土井)

2007年12月29日 15時16分26秒 | Weblog
年内の残りの日を指折り数えること、またその残り少ない日のことを「数へ日」といい、昭和の中期頃から使われ始めた比較的新しい冬の季語です。
今日あたりはその数へ日の最たるものですが、今年は全く冴えないものになってしまいました。
もう十日を過ぎるのに風邪が抜けず、夜は咳で寝つきが悪く、夜中にも数回目が覚めます。
日中も痰が次々に出て、何も積極的にやる気になれず、新聞やテレビ等でダラダラと過ごしている始末です。
それでも元気な人は海外旅行や帰省に意気揚々と出掛けています。
何時でもですが、特に年末年始の人の移動の激しい時は尚更、大きな事故や事件が起きないように願わずにはおられません。
大納会も4年振りとかで年初を下回って終わり、世間一般の仕事の大方も終わりましたが、受験生にとってはこれからが一番大切な時で、昔、年賀状に「明けまして近づきました、お互いに頑張りましょう」と書いたことを思い出しました。

   数へ日の塾を出て来る子の多き   たくみ

   数へ日の猫たむろせり先斗町(ぽんとちょう)  牧野一古

   数へ日を第九の稽古重ねけり    阿波野青畝

薄型テレビ(土井)

2007年12月26日 16時32分35秒 | Weblog
私はまだ買っていないので、それとなく関心を持って見ていますが、テレビは今や薄型全盛の時代を迎えようとしています。
インチ当り1万円が普及のポイントといわれていましたが、店や機種によってはインチ5千円を切るものも出始めています。
これ迄概ね40インチ位から上はプラズマ、それ以下の中小型は液晶と住み分けていたようなのですが、液晶パネルの大型化が急速に進み、大画面でのプラズマの優位性が薄れてきているような感じです。
それと単独開発では投資額の負担が大変で、ライバル企業同士の提携や共同開発も色々と報道されています。
安価に出来るということでやや期待していた東芝とキャノンによるリア・プロ方式は液晶とプラズマの予想以上に早い価格の低下で、どうやら日の目を見ないままに終わりそうです。
詳しいことはよく分からないのですが、代わって最近では有機EL方式による原価低減が注目されているようです。
何れにしてもブラウン管方式と違って、近くから見ても目が疲れない、画像も鮮明、それに多くのチャンネルも見られ、多くの情報も得られるというのでそろそろ買い換え度いなとは思っています。
既に見ておられる方、その方面に関心のある方で製品選びのポイントとか注意点等お知らせ頂ければ幸いです。

風邪(土井)

2007年12月24日 14時30分23秒 | Weblog
今日でほぼ一週間になるのに風邪が抜け切れません。
これ迄通り風邪を引いても、医者に行ったり、薬を飲んだりは一切せずに自然に治るのを待っているのですが、少し長引いています。
症状もそれ程ではないのですが、一昨夜は風呂を止め、昨夜は入っても暖まるだけで、毎日欠かさないシャンプーもしないまま出てきました。
日中も朝のグランドゴルフに出掛けて喫茶店に寄って帰ってくるのですが、午後は殆ど家に居るようにしています。
TVや新聞を見ていると、目が疲れて痛くなり、瞑って休めていると、体も疲れているのか、そのまま30分か1時間位眠ってしまいます。
そんなことの繰り返しではどうにもならず、日も迫ってきたので、昨日の午後は年賀状書きに専念しました。
体調のなせる所為か、年齢から来るものか、あまり捗りませんでした。
京都の高校駅伝を見ながらだったからかも知れません、それでも時間を掛けただけに大方は書き終え、これから残りの少しを書き上げる積りにしています。
貰って言うのも何ですが、表も裏も印刷だけで、自筆が一行も無い賀状には少しがっかりします。
そんな思いもあって、私は宛名書きは全て自分で書き、裏面も一言、二言入れることに拘っています。

福袋(土井)

2007年12月21日 15時09分43秒 | Weblog
まだ少し早いのですが、正月のTVで福袋の売り出しに並んだり、殺到したり、買ったものを開いて交換し合ったりする様子が良く映し出されます。
各デパートもこの時とばかりに早くから企画を練り、周到に準備してこの商戦に備えています。
これらのTVを見たり、話を聞いたりして多くの人が買いに行きたいと思いますが、実際には行けず、近くのスーパーやショッピングセンター等で我慢するのが通常のパターンです。
朝早くから出掛けて並ぶ時間的、精神的余裕がなかったり、希望のものが買える保証がなかったりで、そこまでやる気になれないからです。
しかし企業はこの潜在需要を見逃さず、予約や通販にも力をいれるようになりました。
因みに各デパートの福袋予約のページを覗いて見ると、いろんな種類のものがあり、しかもその殆どは売り切れになっています。
私は去年は「ミズノ」の福袋を買い、ゴルフ場で同じものを買って着て来た友人と一緒になったことは一年前に書きました。
今年は「パワービルト」のものを買ってみました。
福袋ですから値打ちにはなっていますが、要らないものも入っていて、何点かが使えれば良しとしなければなりません。
それと困るのがサイズです。MとLの中間の体形なので、ポロシャツ等はMでよく、ブルゾン等の上に羽織るものはLの方が良いのです。
このM、Lの基準はメーカーによっても違うらしく、今年は身長からMが適合するので、Mで注文してみたらやはり、上に着るものは少し寸足らずですが、着れないことはなく、まぁしぁあないかといったところです。

ゴルフ・復調の兆しの一年(土井)

2007年12月18日 19時41分51秒 | Weblog
今日で今年の詩吟の稽古が終わり、皆で、といっても欠席者もあって、6人だけでしたが、喫茶店に寄って帰って来ました。
懇親ゴルフは誘いが来る筈で、まだあると思いますが、今年のコンペは先週14日で終わりました。
今回はハンディに恵まれていたので、優勝の可能性が十分にあり、またそれを狙っての出場でしたが、結果は15人中の5位に沈みました。
パーが4個、ボギーが4個はまずまずだったのですが、バンカーの2箇所で何れも4打目に脱出という大トラブルに見舞われ万事休しました。
振り返ってみても、ここ数年不調から抜け出せずにいて、今年の台湾ツアー、北海道ツアー、関西勢との交流ゴルフも楽しんだだけで、スコアは散々なものでした。
しかし秋頃から少しづつ改善の兆しがみられるようになりました。
誰に教わるでもなく試行錯誤でやっていううちに、大体「コレダッ!」というものが自分なりに分かってきました。
しかし分かったからといってすぐに直るものでもないところがゴルフの難しさでもあり、面白さでもあります。
このイメージで振ろうとしても、長年の振り方が体に浸み込んでいて、実際のスイングではそちらの方が優先して出てくるから厄介です。
でも、いいと分かったスイングを意識して、繰り返し練習すると、今度はこちらの方を体が覚えてきて、実際のプレイでも、この新規に取り込んだ方の振り方の出てくる割合が増えてくる筈です。
時間はまだ十分にあるので、少しづつでも着実にフォームを改良して、来年は一皮剥けたゴルフが出来るようになりたいと思っています。

干柿(土井)

2007年12月15日 20時58分49秒 | Weblog
今朝の東海版のTVでも放映していましたが、干柿の風景は柿の産地なら何処でも普通に見られ、詩情があり心が安らぎます。
しかし作るとなると結構手間がかかり見た目ほど易しくはありません。
私も干柿が好物でよく作りますが、今年はなかなか大変でした。
先ず渋柿が手に入り難い、特に今年は不作で尚更でした。
車を走らせて約1時間の産地まで買いに行けばいいのですが、それをしなかったからです。
富有柿等の甘柿は何処でも売っていますが、渋柿を売っている所はまずありません。
それで知り合いの何人かに聞いてみたら、一人が20個ばかり調達して持ってきて呉れました。
もう一人の知人が産地に行くというので、こちらにも頼んだら20個ばかりでしたが見つけて買ってきて呉れました。
普通に皮を剥くのは何でもありませんが、蔕(へた)の下の見えない部分を取るのは少々面倒です。
それに枝付きの状態だったら、それを紐で結わえて干すのは簡単ですが、頼んで買って来てもらったのは、枝なしだったので串を通すなどして吊るさなければなりませんが、適当な串も無かったので、手許にあったステンレスの針金を通して輪を作り、それを結んで干しました。
昼間は干し、夜は取り込むこと10日から2週間で食べ頃になります。
今年は数も少なかったのですが、私の口に入ったのは僅かでアッという間に無くなってしまいました。




幕末の歌僧・月照(1813~1858)(土井)

2007年12月13日 10時35分39秒 | Weblog
昨日の好天から一転して、朝からの雨が冬の様相を深めています。
振り返ると今年も後2週間余りとなりました。
今日のテーマ月照は大阪の人で、幕末の志士の一人、京都清水寺成就院の住職でした。
俗姓は玉井、名は忍向、熱烈な尊王攘夷論者で近衛忠煕(ただひろ)・西郷隆盛と結んで倒幕に奔走、幕府に睨まれて隆盛と共に薩摩に逃れました。
しかし薩摩の藩状が俄かに一変して身の置き所がなくなりました。
友情の厚い隆盛は月照と手を取り合って薩摩の海・錦江湾に身を投じました。
同乗の人達によって助けられましたが、隆盛のみが蘇生し、月照は帰らぬ人となりました。
その後、維新の大業を果たした隆盛は明治七年帰国して、月照の十七回忌供養を営みました。
その時詠んだのが以下の詩で、昨日も教わり、次の発表会のために練習しているものです。
これも漢詩ですが読み方に従って記してみます。

    亡友月照十七回忌辰の作
   
    相約して淵に投ず後先無し
    あに図らんや波上再生の縁
    頭を回らせば十有余年の夢
    空しく幽明を隔てて墓前に哭す
   (山の下に豆を書くあにの字が出てきません)

勤皇僧・月性(1817~1858)(土井)

2007年12月11日 13時52分49秒 | Weblog
幕末の詩僧・釈 月性は字は知円、清狂と号しました。
私の実家から車で10分位の周防の妙円寺の住職でした。
漢籍詩文を豊前の恒遠頼母(つねとうたのも)に学び、後に大阪の篠崎小竹の塾に入り塾頭になりました。
キリスト教の侵入を憂い、「仏法護国論」を著して仏法の布教に努めました。
また多くの名士と交わり、尊王論・海防論を唱えました。
何故ここに月性を取り上げたかというと、10代の頃からその詩を諳んじていましたが、今回詩吟の教本を開いたら、月性の漢詩が載っており、それが自分の憶えていたものと微妙に違っていて興味を新たにしたからです。
漢詩ですが読み方に従って記憶と教本を列記してみます。

記憶
  少年志を立てて郷関を出る
  学若し成らずんば死すとも帰らじ
  骨を埋むるあに唯に墳墓の地のみならん
  人間(じんかん)到る所青山あり

教本
  男児志を立てて郷関を出ず
  学若し成るなくんば復(また)還らず
  骨を埋むる何ぞ期せん墳墓の地
  人間到る所青山あり

柿の風景(土井)

2007年12月08日 14時26分54秒 | Weblog
子供の頃家に柿の木が6本ありました。
富有柿が3本、御所柿、百匁柿、本西条が各1本で、自分で木に登って採り、そのまま齧って食べたり、子供にしては器用に皮を剥いて食べたりしていました。
その後庭を作り変えて、今残っているのは御所柿1本だけになりました。
この秋帰省した時も老木に十数個の実をつけていました。
しかし昔と違ってさすがに採って食べることはせず、見上げているだけでした。
柿は何ともいえぬいい色をしているので、手にとって見る一つ一つも、店頭に並んでいるのも、成っている様も、暖か味、郷愁、落付きと共に平和な感じにさせてくれます。
長野県・飯田ではりんごの赤と柿の輝く色とが道の両サイドに同時に見られて印象的でした。
岐阜県・瑞穂市一帯の富有柿の産地では、殆どの木が、害虫を防ぐ為でしょうか、皮を剥がされて百日紅(さるすべり)のようにつるつるにされ、改良された大きな実をつけています。
村里や山道、ゴルフ場の周辺やコースの中で小さな実が見事なまでに鈴なりに成っているのを見るのも珍しくありません。この柿の本当の名前は知りませんが私達は子供の頃から「山渋(やましぶ)」と呼んでいました。
翌年の豊作を願って、全部採らずに一つは残しますが、この残された柿を「木守柿(きもりがき)」と言い、昔はよく見かける晩秋の風景でした。

   村見尽くして夕晴れの木守柿  広瀬直人

   柿右衛門十三代の木守柿    稲荷島人