大10同好会

普通の高齢者の生活と情報

大晦日(土井)

2008年12月31日 16時09分11秒 | Weblog
いよいよ今年も最後の一日になりました。
全国的にはまずまずの天気のようで、当地でも午前中はポカポカ陽気、午後は少し風が出てきてやや寒くなりましたが、良く晴れています。
地元の神社の宮総代を引退して2年目になり、年末の諸準備や深夜0時の元旦祭からも開放され、ゆっくり過ごしています。
午前中は誰も居ない木曽川の河川敷のグランドで、ドライバーやSP、3I、
6I、PW、SW、などを2時間ばかり打ってきました。
心配した脇腹の痛みはなくなり、来年はある程度自分に期待しています。
午後は最後の畑巡回、白菜とホウレンソウ、春菊を採ってきました。

今年は世界的には大地震や金融恐慌に見舞われましたが、反面、オリンピックやノーベル賞という明るい感動的なニュースもありました。

個人的には何とか健康を維持し、趣味や遊びも程々に出来ました。
そして娘の結婚、出産という慶事にも恵まれたのでいい年だったと思います。

諸兄におかれましてはどんな年だったでしょうか。

来たる年に幸多からんことを祈念して大三十日の打ち止めといたします。

俳句の解釈(土井)

2008年12月29日 07時37分08秒 | Weblog
   ゆきくれて雨もる宿や糸ざくら   蕪村

この句の意味について長谷川 櫂は以下のように説明しています。
誰でも次のような意味ではないかと思うのではないか、即ち「旅人が歩いているうちに日が暮れてしまった。やっとのことで宿を借りることができたのはいいが、何と雨漏りがする。外を眺めると、庭には糸桜(枝垂桜)があって、今を盛りと咲き誇っている。その糸桜に見とれて旅の疲れも雨漏りのこともしばし忘れるのだった。」

しかし彼の説明は続きます。
蕪村の句は、「行き暮れて木の下かげを宿とせば花やこよひのあるじならまし  平忠度(たいらのただのり)」を下敷きにしているとも考えられる、すると意味は「旅の一日が暮れてしまって、あの忠度の歌の旅人を気取って糸桜の下で旅寝をすることになった。ところが雨が降り出すと困ったことに、この花のお宿は雨が漏る。やれやれ・・」というわけで蕪村はここで忠度の歌の優雅な世界を笑いの世界に作り変えている。即ち俳諧に転じているとして第2の解釈を示し、この第2の解釈の方が第1の解釈よりも優れた解釈であると説いています。

さすがに第一人者の卓見ですが私は第3の解釈もあり得ると思います、つまり「行き暮れて古い宿に泊まったが何と雨漏りがするではないか、、、だがこの雨漏りもあの忠度の歌の糸桜に見立ててその風流を楽しんでいる自分であることよ」とも解釈出来ます。

このように俳句は読む人によっていろんな解釈が出来、どの解釈が正しいということはありません。
作者には明確な意図があって詠むのですが、解釈は読む人に委ねられ、その解釈が作者の意図したものと違っていた方が優れた俳句になることも往々にしてあります。
これも俳句の特徴でもあり、面白さの一つともいえると思います。

数へ日(土井)

2008年12月26日 13時31分19秒 | Weblog
今日は室内に居ると日が当たってポカポカと気持ちが良いのですが、一歩外に出ると風が強く、体感温度はこの冬最低の寒い日となっています。
正午のNHKのニュースでは14cm積もったという新千歳空港や雪に映える金閣寺の美しい情景を放映していました。

米国のサブプライムローンの破綻に端を発した不況風は一気に地上を覆い、全世界的な景気の後退をもたらし、更に深刻さを増そうとしています。
そして自動車の急激な需要減退や正規、非正規社員の大幅削減などが報道されればされる程消費者の財布の紐は固くなり、景気の後退に竿をさすことになるので困ったものです。

我らの世代は幸いにも首切りの対象から外れているので何とか年は越せそうです。
この十二月は師走の呼称が人口に膾炙されていますが、極月(ごくげつ)、蝋月(ろうげつ)、春待月などとも呼ばれます。
この師走も冬至を過ぎ、クリスマスを過ぎるといよいよ慌しくも活気を帯びた年末となってきます。
この頃も年の暮、歳暮(せいぼ)、歳末、年の瀬、年暮るるなどとも称され季語にもなっています。
そしてこれから先、年内に残る日数が少なくなること、また日数の残りも少ない年末を特に「数へ日」といいます。

   数へ日の菜を摘みに出て灯台守   下田 稔

   数へ日の町に伸びゐる山の影    伊藤 通明

   数へ日の塾を出てくる児の多き   たくみ


初孫誕生(土井)

2008年12月24日 18時35分59秒 | Weblog
昨日の天皇誕生日は天気も良く、皇居の一般参賀では平成になってから最高の22655人(これまでは06年の20152人)の人が訪れたと報じられました。
天皇陛下の穏やかなお言葉もあり、平和日本を象徴するような一日でした。

その同じ日の午前4時48分娘が長女を出産しました。
2438gと少し小さ目でしたが母子共に元気でホッとしています。
午後対面しましたが髪の毛も濃く、手足を動かしたり泣いたりする母体を離れた赤い小さな生命体の初日の様子と若い両親の姿は生涯記憶に残るだろうと思います。

   初孫の生(あ)る寒暁(かんぎょう)の空晴れて

   天皇の生誕の日や孫生(あ)れぬ

ゴルフの統括(土井)

2008年12月22日 21時07分48秒 | Weblog
今日はおそらく今年の打止めとなるであろうラウンドでした。
家を出て途中まではかなり激しく降っていたので少しは雨も覚悟していましたが、豊田市のST.クリークG.C.に着く前に雨を追い抜き、その後雨雲はゴルフ場を迂回して東上したらしく、結局全く降られずに済みました。

スタートから6ホールまではパーは逃すものの全てボギーでしたが、7ホール目で脇腹の痛みがひどくなりまともなスウィングが出来ずWスコア、8ホールボギーで持ち直したかと思ったら9ホールでまたWを叩きました。
インもいい時と悪い時が交錯しましたが、自分でもビックリするようなロングドライブも何度か出て復活の兆しは確認できました。

今年は3月に宮崎G.C.とフェニックスC.C.10月は同期会の大宰府G.C.と遠征の機会がありましたが、5月に腰痛が再発し、思うようなゴルフが出来ず、回数も少なくなりました。
秋を過ぎる頃痛みもなくなり、調子も上向きになりかかっていたのですが、今日の脇腹痛でまたどうなるか分からなくなりました。

という訳で今年のゴルフはかなり不本意なものになりましたが、復調の手ごたえは
あるので、前向きに捉えて来年に期したいと思っています。

親子でゴルフ(土井)

2008年12月20日 16時30分02秒 | Weblog
娘の旦那がゴルフが好きなので一緒にやりたいと思っていましたが、なかなかその機会がありませんでした。
特に最近は忙しくて休日出勤等も結構あったらしく、ようやく昨日は代休がとれたというので、私の友人二人も誘って行って来ました。
往路、高速道路の前方に冠雪の御嶽山がその独特の端麗な姿を見せていました。
通常なら12月は忘年ゴルフで何処のゴルフ場も混むのですが、今年は不況の影響でしょうか、瑞浪高原C.C.も、立派ないいコースで、金曜日早期予約の昼食費込み8100円という特別サービス料金にも拘わらずエントリーは疎らでした。
無風快晴という年に何度もないような好天に恵まれ、待つことも追われることも全くなく、貸切のような状態で存分に楽しむことができました。
セルフで狙い所不明、それに深いバンカーと難しいグリーンにてこずり全員日頃のスコアよりかなり悪くなりましたが、皆再チャレンジしたいという思いに駆られました。
それでも義子は恵まれた体格と柔軟性で組のトップタイで回りました。

数少ない参加者の中に小学生の子供と父親のペアがありました。
親子で楽しむだけなら微笑ましいのですが、イチローや遼、藍やさくらの夢を追っての特訓の感じがして、週日でもあり、他人ごとながら少しどうなのかなという思いがしました。

今年古希を過ぎ後何年ゴルフが出来るか分かりませんが、ゴルフに行くことも義子と一緒に行くことも出来るだけ長く続けられたらと思っています。

パソコン音痴(土井)

2008年12月17日 18時58分39秒 | Weblog
それなりに勉強したり、必要に応じて使っている人ならパソコンのいろんな機能を使っていろんなことが出来るのですが、現役時代は出張旅費の精算以外に使ったことはなく、退職後も何の講習も受けていないので、年賀状の作製すら助けがないと出来ません。
僅かにインターネットだけは少し使えるようになったのでパソコンの有り難さは実感しています。
少し使えるようになると料金や速さ安全性などのより良い環境を求めてプロバイダーも次々に変え今は5社目か6社目のコミュファの光回線を使っています。
そしてこれ迄、メーカーやプロバイダー、マイクロソフト社等の電話サービスに随分助けられました。
しかし最近はこれらのサービスも殆どが有償になり、気軽に受けられなくなりました。
しかも急患のたらい回しではありませんが、それはメーカーだとか、ソフト会社だとかでアチコチに問い合わせをしなければならなくなりました。

昨日も貰った「日経パソコン」に速度が落ちた時の解決方法というのが幾つかあったので、その一つをやっていたら、Microsoft Exchange Surverを記入というのがあって、何のことか分からずプロバイダーのcommufaを入れて次に進んだら、これが裏目に出て送受信とも出来なくなりました。
コミュファで長い時間かけて調べて貰ったが、異常なしと判明、マイクロソフトでは購入時のインストール用CDに付いていた何とかキーの番号がなければ駄目だというので探したが既に何処に言ったか分からずどうしようもありません。
結局、何度目かに対応してくれた窓口担当者が親切に、今回だけは特別に取り計らいますと言って受け付けて呉れたので、技術担当者の丁寧な指導が受けられ解決しましたが約半日振り回されました。
もうコリゴリで、これからは少々遅くても我慢して、安全第一でやっていこうと思いを強くしました。

詩吟の忘年会(土井)

2008年12月15日 13時27分05秒 | Weblog
今日も、風も雲も無い文字通りの小春日和です。何時ものようにGゴルフと喫茶店から帰って来ました。

昨日の昼、一宮市の料理屋で詩吟仲間の忘年会がありました。
美人先生の門下生が滋賀県や名古屋市内などから六十数名集まりました。
私もはじめて参加しましたが、グループの余興担当の女性から、始まる前に少し練習するから11時半迄に来て下さいよと言われていたので、バスで出掛けるつもりでいたら、出発間際に一寸手間取ることがあって、初参加で遅れてはマズイと思って急遽タクシーで駆けつけました。
バスなら280円のところですが2120円かかり、時間内に着いたのですが、件(くだん)の女性はそれから約20分後に涼しい顔をして到着しました。
名古屋からの参加者の中に大20の伊藤美樹夫君(パロマ常務取締役)がいて、久し振りに少し話しました。
彼は例のクレーム問題の担当責任者でここのところずーっと忙しく、土曜、日曜も殆ど休めず、従って練習も休んでいたが、ようやく一段落したので参加出来ましたと言っていました。
いろんな大会で顔は見ていても話す機会はあまり無い人たちですが、席はくじ引きで決まり、隣や前の人とはすぐ気軽に話が出来寛いだ雰囲気でした。
終わって、カラオケに行くという人達と別れ男3人で喫茶店に行く為、一宮市のメインストリートのアーケードを横切りましたが、ボーナス支給後最初の日曜日だというのに人影は疎らで寂しい歳末風景でした。
しかし夕方訪ねてきた娘の旦那の話では、寄って来たヤマダ電機はすごい人だったそうで、消費者の動向は商店街から郊外の量販店に確実に移っています。
不況のセイか幹事の努力とウデの為か、おそらくその両方でしょうが、会費五千円で料理も良く、酒も十分(半数は女性であまり飲まなかった)にあり、おまけに全員に土産が付きました。

隠れた食事処(土井)

2008年12月12日 18時26分02秒 | Weblog
昨日、男性2人、熟女の美女(?)6人に誘われて、アッシー兼務で昼食を食べに行きました。
知らない人は絶対に行くことのない(当り前ですが・・・)ような岐阜市のはずれの片道1時間弱の所でした。
ど田舎ですが、地方ではある程度知られているという出来物の神様兼小野小町縁の寺(小町の霊水を汲みに来る人が多い)という「岩井かさ神」の前に2軒だけポツンと料理屋が並んでいて駐車場も用意されていました。
手前の店は閑散としていましたが、我々の入った隣の店は週日というのにお客さんが一杯でした。
口コミの評判によってそうなっているのだそうです。
それでも流行らない方の店もやっていけるのは、日曜日など、評判の良い店は満員になり、入れない客が同業の隣の店に流れるからだそうです。

おでんと五平餅、田楽に菜めしと味噌汁を賞味して一人千円でお釣りがきました。
味も良く腹一杯になり皆大満足でした。
中庭のある古い造りの日本間で、上品な活け花や掛け軸等もあり、雰囲気も悪くありません。

帰路すぐ近くの通称「三田洞(みたほら)弘法」の法華時に寄りました。
素晴しい庭園がありましたが、躑躅は季節はずれ、紅葉も散った後で、僅かに一部の残り紅葉が鮮やかに日に輝いていて、最盛期の見事さを想像させました。

門前に入浴施設があり、その駐車場の片隅で農家の人達が数人、筵を敷いてガラクタや農産物、自家製の漬物や生花などを売っていました。
驚くほどの安さで皆、お参りしたご利益があったと喜んで大量に買ったので漬物は売り切れ、他の商品も底をついてきていました。


家に着く前喫茶店に寄りましたが、楽しかった半日に味をしめて、またこのメンバーで何処かに行きましょうという話になりました。

義憤と諦観(土井)

2008年12月10日 14時52分38秒 | Weblog
12月1日付の「少し何とかならないかと思うこと」を読んだある人が「土井さん、怒っていますね。コロンビアトップ・ライトの「人生航路」だったかの漫才を思い出しました。私も正義感が強い方なので、世の中ボヤきたいことばかりですが年を取ってきて、しょうがないと諦めるようになりました。土井さんはまだまだ若い証拠です。」という意味のコメントを寄せてくれました。

確かに若い頃は世の中の矛盾や不合理、思うようにならないことに激しい憤りを感じ、自分の未熟さには気のつかないまま気勢を上げたり、過激な行動に走ったりもしますが、年を取ってくると段々おとなしくなり、周りも見えてくると諦めることが多くなります。

以上は一般的な傾向ですが、往々にしてそうならないことも多くあります。
何処のどの団体にもあることですが、主流派に対して反主流派があり、指導部に対しては反発する構成員が必ずいます。
親睦団体等では指導部の人(達)は、勿論人の上に立つ快感は感じつつも、無報酬でボランテア精神旺盛にやっている訳ですが、批判する人は事ある毎不満と批判の言葉を発します。
役員の人達が一生懸命やっているので活動が維持され、自分もその恩恵に浴していることをもう少し認識すれば一々文句をつけることもないだろうと思うのですが、程よく諦めることが出来ず、自分が代わってやることは絶対にせず、文句は絶対に言うという人は必ずいます。
まぁそういう人はいるものだと諦めて全体として程々にやっていくことが肝要なのでしょう。