連日の猛暑でバテ気味なので焼肉でも食べに行くかということになり、一昨日例のメンバーで行きました。
一宮市郊外のその店はバスの便もなく、飲酒運転も出来ないので私は一人で片道25分、自転車で往復しました。
何時もの5時過ぎなら日は高く、照りつける日差しの中で少しでも動くと汗が吹き出るのですが、その時は曇っていて、いい風が吹き実に爽やかでした。
夜の帰り道も同様で雨がポツリポツリと来て十分に雨意を感じさせました。
そして昨日は実に14日振りの雨となりました。
人間も植物もまさにホッと一息つけた感じです。
甘雨とも慈雨とも呼ぶに相応しい雨でした。
この慈雨という言葉に接する時私は必ず水滸伝、梁山泊のリーダー宋江の名を思い浮かべます。
義侠心に篤く困った人に救いの手をさしのべる人柄から「及時雨(きゅうじう)」(旱天の慈雨)の宋江と呼ばれていたということは若い時に吉川英治版を読んで以来記憶に残っています。
昨日の慈雨も午後には止みましたが、久しぶりに猛暑から開放されたので畑に行き採り頃の夏野菜と掘り残しのままになっているじゃが芋を少し掘ってきました。
少しバテ気味に感じられたスイカも元気に蔓を伸ばし、実を太らせていました。
既に2個採りましたが、今年のスイカは期待できます。
一宮市郊外のその店はバスの便もなく、飲酒運転も出来ないので私は一人で片道25分、自転車で往復しました。
何時もの5時過ぎなら日は高く、照りつける日差しの中で少しでも動くと汗が吹き出るのですが、その時は曇っていて、いい風が吹き実に爽やかでした。
夜の帰り道も同様で雨がポツリポツリと来て十分に雨意を感じさせました。
そして昨日は実に14日振りの雨となりました。
人間も植物もまさにホッと一息つけた感じです。
甘雨とも慈雨とも呼ぶに相応しい雨でした。
この慈雨という言葉に接する時私は必ず水滸伝、梁山泊のリーダー宋江の名を思い浮かべます。
義侠心に篤く困った人に救いの手をさしのべる人柄から「及時雨(きゅうじう)」(旱天の慈雨)の宋江と呼ばれていたということは若い時に吉川英治版を読んで以来記憶に残っています。
昨日の慈雨も午後には止みましたが、久しぶりに猛暑から開放されたので畑に行き採り頃の夏野菜と掘り残しのままになっているじゃが芋を少し掘ってきました。
少しバテ気味に感じられたスイカも元気に蔓を伸ばし、実を太らせていました。
既に2個採りましたが、今年のスイカは期待できます。