万能薬とはいかにも非現実的な言い回しかもしれないが、
実際にそれに近い薬がある。
ボトックス®(ボツリヌス毒素)である。
最近、皺取りなど、美容外科領域で繁用されるように
なったので、ご存知の方も多いだろう。
食中毒の原因となるボツリヌス菌が産生する
きわめて毒性の強い毒素である。
本邦では眼瞼けいれん、半側顔面けいれん、痙性斜頸の
3疾患に対する治療薬として承認されている。
この薬品の製造元であるアラガン社に今後も一層の
成長が期待されている理由は
このボトックスがこれら以外にはるかに多くの疾病の
治療薬となり得る可能性を秘めていることにある。
アメリカにおけるボトックス事情についての記事。
4月11日付 New York Times 電子版
So Botox Isn't Just Skin Deep(もはやボトックスは皮膚の深さに留まらず)Andrew Blitzer 医師は声帯の障害に Botox を用いる。喉頭に注入する。
あ
Cleveland Clinic、Center for Headache and Pain の所長である Mark Stillman 医師は、頻繁におこる片頭痛の患者に対してある治療を行っている:Botox(ボトックス)を頭部や頸部の周囲に注射するのだ。
Manhattan、St Luke's-Rosevelt Hospital Center の中にある Center for Voice and Swallowing Disorders の所長 Andrew Blitzer 医師は声帯の問題による言語障害に対して治療を行っている:Botox を喉頭に注射するのだ。
Manhattan とフロリダ州 Coral Gables で皮膚科学を専攻している Fredric Brandt 医師は脂性顔と皮膚の発赤に対して新しい治療手段を講じている。
ご名答:やっぱり Botox。
過去10年間に Botox は、美容医学に関わるすべての事業者にとって、顔の皺取り治療の代名詞、一種の省略語になった。しかし、今、新たな医学的用途の普及とともに、この薬物の医療的治療への応用は収入面においてもその認知度においても美容的治療を凌駕する勢いである。
Botox の次の大当たりとなる医療的利用を発見を狙って医師たちは身体中の筋肉や分泌腺に実験的に注射してきており、あたかも便利な修理用テープの医学版といったような存在となっている。
最近の医学誌によれば、Botox を用いた治療対象には、咀嚼障害、嚥下障害、骨盤筋の痙攣、流涎、脱毛、裂肛、幻肢痛などがある。
「Botox は広く使われ続ける物質と我々は見ています。それに対する理解がさらに深まるにつれ、利用の仕方について新たな考えが出てきます」、本薬剤の製造元である Allergan (アラガン)社で Botox 担当の科学技師長である神経学者 Mitchell F Brin 博士は言う。
「これほど多くの使途が示された治療薬は他にありません」と、彼は言う。
しかし連邦のガイダンスや厳密な臨床試験がこの新しい治療の安全で有効な投与量を確立する前に医師たちが Botox の新たな使用を広く導入し始めていることに懸念を示す健康擁護者もいる。
「それは神経毒を用いた手探り治療です」と、消費者擁護団体 Public Citizen の health research group の責任者をしている Sidney M Wolfe 医師は言う。昨年、本グループは注射用毒素に警告表示を求めて食品医薬品局(FDA)に申し立てた。
Botox は、筋肉を麻痺させて死亡する可能性がある疾患ボツリヌス中毒症を起こす細菌によって産生される神経毒であるボツリヌス毒素の精製物質である。Botox の注射は極小の毒矢のように作用して、筋肉あるいは分泌腺への化学的神経信号を一過性に鈍らせ、それらの活動を減弱する。
FDAはこれまで4つの疾患に対する治療に Botox を承認している:眼瞼筋の異常、頸筋の異常、多汗症、そして加齢に伴う厄介な副産物である眉間の皺である。しかし、総額 145 億ドルの特殊医薬品会社 Allergan は、この薬物の90以上の利用法について特許を取得、または申請している。
Allergan 社の Brin 博士は、Botox は長期の安全性の実績があると言う。それは、30年にわたる Botox を有益とみる研究、世界中の11,000人での調査、1994年以来米国における1,700万件の治療、などに裏打ちされていると言うのだ。
「そういった安全な側面が、体のさらに深部や新たな部位での効果を探索し続けることを可能にしています」と、Brin 博士は言う。Allergan 社が本薬剤の承認されていない使用法を積極的に宣伝するようなことはないと彼は言う。
Botox は Alan Scott 医師によって1970年代に開発された。彼は San Francisco の眼科医で内斜視の治療法を研究していた。斜視眼を内側に引っ張る筋肉を弱める目的で微量の神経毒を用いればこの疾患を治療できると彼は理論立て、様々な麻痺薬で実験した。
その時、生物兵器として軍事使用の可能性を探ってボツリヌス毒の菌株を分離精製していた生化学者が Scott 医師にサンプルを送った。それがうまくいった。
Scott 医師はこの新しい薬物を Oculinum と名づけた。1989年、FDAは内斜視と眼瞼けいれんの治療薬としてこれを承認した。Allergan 社は1991年、Oculinum を900万ドルで買いとり Botox と商標変更した。1998年に David E I Pyott が同社の最高責任者になったとき、Botox は年9,000万ドルの売り上げを出した。そして昨年の売り上げは10億ドルを越えた。
「当時、Allergan 社には、自分たちがどれほど大きな宝の山の上にいるかということを理解していた人間はいませんでした」と、Pyott 氏は言う。
製薬会社は自分たちのパイプラインを満たすために複数の製品に依存することがしばしばである。しかし Allergan 社では Pyott 氏の着任後、Botox それ自体が事実上のパイプラインとなった。Botox が他の適応に漸次拡大利用される可能性がある薬剤であることを認識していた。
自分たちが適切と見なせば未承認の方法でも承認薬を用いることが許されている医師たちは、その時点で既に目の筋肉以外の部位で Botox をFDA承認適応症外で使用していた。患者たちが予想外の副次的な効果を示したことを報告した医師たちもいた。たとえば、Botox 投与後に頭痛が軽減したり、皮膚が滑らかになったりした。
Pyott 氏は社内研究の拡大に多額の投資を行い、それまで発表されていた研究によって医師たちの個々の事例の観察結果を正当化できるとして医師たちを鼓舞した。彼はまた、皺を目立たなくさせる注射に対して気前よく金を出すアメリカ人がいることもわかっていた。この薬物の効果を証明するために、同社は美容医学的な目的、ならびに他の筋異常に Botox を用いる臨床試験を後援した。
その後現在までの9年間に、FDAは痙性斜頸の治療と、多汗症の軽減に Botox を承認、さらに同じ薬物だが、Botox Cosmetic という薬名で前額部の皺伸ばしにも同局は承認した。
昨年、Botox は世界中で 13億ドルを売り上げたが、美容的使用と医療的使用でほぼ同額であった。ボツリヌス毒素の中では、Botox はマーケットの83%のシェアを占めていると、Allergan 社は言う。
しかし、競合する毒素がアメリカ市場に参入を始めるとともに、Allergan 社は、他の医療的使用の方向に Botox を位置づけた。Botox の医療での売上がやがてBotox Cosmetic の売り上げを上回ると Pyott 氏は期待してる。
医療保険は時に Botox の医療的使用を補填してくれる。たとえば開口障害の治療では3ヶ月毎に1,000ドル費用が支給される。しかし、昨年末には若干数が減った美容的使用では利用者は現金で支払う必要がある。
「たとえ経済が回復しても医療的な要求の方が美容的な要求を上回るでしょう。そこには満たされていない大きな医療的ニーズがあるからです」と Pyott 氏は言う。
この数ヶ月のうちに、手足の痙縮やけいれんに苦しむ脳卒中患者に対して本薬の市場参入の連邦の認可が下りることを同社は期待している。
Pyott 氏によれば、Allergan 社には、本年後半、慢性片頭痛に対して本薬の市場進出の承認を求めてゆく計画がある。さらに、いずれは、前立腺肥大症の治療薬として Botox を売り出すためにFDAの承認を得る計画が同社にはあるという。
しかし多くの医師たちはこれらの疾患に対して Botox を注射できるよう連邦の認可を待っているわけではない。Allegan 社が Botox を売り叩くことはしていないが、おそらく Botox の売り上げの半分はすでに承認適応外使用から得られていると投資銀行 Leerink Swann のアナリスト、Gary Nachman 氏は、見ている。
「それは魔法の弾です」と、Nachman 氏は言う。
Botox は広く用いられており、大衆の文化に入り込んでいるので、新たな使用法が実験的ではないと考える医師たちがいる。
数年前、Manhattan の顔面外科医 Kamran Jafri 医師は顔面の皮膚の直下に Botox を注射し始めた。このテクニックは毛穴の大きさ、染み、油症肌を軽減させる効果があると彼は言う。
「投与量は試行錯誤によって決まります。数多く行ってきている治療であり、実際に効果が上がっているため、それが実験的であるとは思っていません」と、Jafri 医師は言う。
そのような臨機応変の Botox の使用は医師たちにとっては全く合法である。しかし、医療の専門家の中には、臨床試験や政府の承認が新しい適応に対して安全な投与量を確立する前に、そしてその新たな治療法が有効であるという明確な証拠がないままに、医師たちが Botox 治療を試み、導入していることに懸念を示す人たちがいる。
Botox や他のボツリヌス毒素の使用では、生命にかかわる合併症は稀であるが、治療後に死亡した患者も少数ある。毒素が注射部位から拡散し、重篤な嚥下障害や呼吸障害を起こしたケースもある。たとえば、四肢に高容量を注射された後死亡した脳性麻痺の小児も数例みられている。
「過量投与は起こりえます。これは毒なのです。うまく行かないこともあります。稀ですが起こり得るのです」と、ロードアイランド州 Providence の V.A. Medical Center 麻酔科部長である Frederick Burgess 医師は言う。
昨年、NPOの Public Citizen はFDAに対し、ボツリヌス毒素が注射部位から拡散するリスクと、嚥下困難や呼吸困難があれば緊急に医療行為を受ける必要があることを患者にを強調するさらなる強い警告を求めて申し立てを行った。カナダの保健当局は今年既に、そのような表示変更に着手した。
Botox 注射後に深刻な問題が2、3件起こっているが、必ずしもこの薬物によって直接引き起こされたものではないと Allergan 社の Pyott 氏は言う。彼によれば、治療の前から重篤であった患者もいたという
「医師たちはより高い用量を試みてきました。他の薬同様、もし過量を用いれば副作用は起こりえます」と、Pyott 氏は言う。
FDAのプレス・リリースによれば、同局はボツリヌス毒素の安全性について見直しているところだという。また、昨年、同局は、頸部筋の問題への使用で Dysport と呼ばれる新しい毒素の承認を延期した。FDAは製造者に対して、同薬物の危険性を医師と患者に周知させる計画を進展させるよう要請した。
月曜日、FDAは、Reloxin と呼ばれる Dysport の美容向け製剤について結論を出す予定になっている。
Johnson & Johnson 社も、PureTox と呼ばれる皺取り注射剤を開発中である。
しかし、監督機関がすべての銘柄に、より強い警告ラベルの表示を完了するまでは、FDAは新しいボツリヌス毒素の承認を延長するだろうと業界アナリストたちは見ている。
Pyott 氏が Allergan 社に着任したとき、同社は眼の治療薬を専門に扱っていた。過去10年間で彼は同社を、Botox が築く企業へと転換し、補完的事業を買収することによって様々な医療の専門分野でこの薬の信頼性を拡大していった。
たとえば、外観的美容医学における Allegan 社の優勢度を固めるために、同社は皮膚を膨張させる注射と豊胸手術用インプラントのトップ・メーカー、Inamed を2006年に320億ドルで買収した。また頭痛、過活動性膀胱、および前立腺肥大の治療薬として Botox を計画的に導入する準備に向けて、同社は Botox 以外の専門的薬剤を開発、販売することで、神経科領域や泌尿器科領域でも地歩を固めてきたと Pyott 氏は言う。
Botox の利益の上がる新しい使用拡大の可能性が世間に注目されずにきたわけではない。先月、GlaxoSmithKline との合併の可能性があるという噂が出て Allergan 社の株は2日間で24%上昇し48ドル95セントとなった。現在は47ドル47セントで取引きされている。両社は合併のうわさについてコメントを控えている。
「今は売りの時ではありません。というのも、進行中のすばらしい事柄すべてからまだ報いを受けていないからです。2、3年間はこのまま様子見でいようと思います」と、Sanford C Bernstein 社のアナリスト Ronny Gal 氏は言う。
FDAが新たな医学的使用を承認するならば、Botox の売り上げは今後5年から7年の間に倍増する可能性があると Gal 氏は言う。Gal 氏によれば、慢性頭痛に対して100万人以上の人たちが Botox の注射を希望すると見込まれる一方、前立腺肥大の顧客は実質的に75才以上のすべての男性になると見ている。
一方で、Pyott 氏はヒット商品としての Botox をさらに拡大する基本計画を持っている。同社は、筋力を弱めることなく疼痛のレセプターのような特異な標的を治療することを目的とする本薬剤の新しい反復投与法を開発中である。
Allegan 社はまた、その毒素の他の多くの使用について特許を所有あるいは申請しているが、これは、拡大使用で競合相手が製品を市場に出すことを回避しようとする動きである。
「港の中の美しい船とともに佇んでいるのに自分たちの宝の山がどこにあるかを示す地図をみなさんに渡し忘れているような感じでいます」様々な国で出願したと言う Botox の特許について Pyott 氏はこう述べた。「もし私たちの特許の一つが当たれば、それはどでかい一発となります」
アナリストである Gal 氏はクリスマス休暇も返上して Allegan 社による世界中への90の特許申請の掘り出しにあたった。これには副鼻腔炎による頭痛、線維筋痛症の疼痛、潰瘍、内耳障害、子宮の疾患だけでなく、“臀部の変形”のような外観的問題に対する Botox の治療が含まれる。
それでも Botox が解決できないいくつかの疾患があるのも事実である。たとえば Botox は吃音(どもり)には効果がない。これは、口唇、喉頭、舌など多くの解剖学的器官がこの病態に関与しているためであると、Allegan 社の Brin 医師は言う。
「吃音はあまりにも複雑です。良い結果が出ませんでした」と、Brin 医師は若干物憂げに語った。
細菌が猛毒を産生するというのも恐ろしい話だが
ボツリヌス菌の毒素に万能薬としての効果があるとは…
ボツリヌス菌の神経毒の基本的作用は、
神経の末端(シナプス前膜)に結合して、
神経伝達物質であるアセチルコリンの放出を阻害することで、
筋肉の運動を抑制するというもの。
まさに匙加減一つで毒をもって毒(病気)を制す、の代表例。
もちろん治療で実際に用いられるのは
致死量よりはるかに少ない量であるわけだが。
美容外科領域では、前述の皺取りの他
交感神経末梢の作用を抑え、発汗や分泌を減少させることから
多汗症やワキガ、脂性顔の治療にも用いられる。
また噛む筋肉の緊張を落として
小顔に見せることもできるという(それでいいのか?)。
いずれも治療効果の持続は4ヶ月程度と言われており
永続的ではない。
ただ効果が一時的とはいえ、メスを用いなくても手術と同等の
効果が期待できるとなれば理想的な治療といえるだろう。
しかしあくまで毒を用いるという点を考慮すれば、
日本でも将来、増加が予想される治療対象疾患それぞれに対して、
きちんとした臨床試験が行われ、それに基づいて
投与法や投与量が厳密に設定されるべきだろう。