kan-haru blog 2015 丸ビル・東京中央郵便局ビル(1935年代)
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○1964年の丸の内
「東京駅開業100周年」展の展示には、「100年前の丸の内」のジオラマに並んで、「1964年の丸の内」(50年前)のジオラマが展示してあります。
1964年代の丸の内ジオラマ(左:丸の内方から見た1964年代のジオラマ、右:八重洲方から見た1964年代のジオラマ)
・東京駅開業時から50年前まで
「100年前の丸の内」からの東京駅開業50年間の出来事は、1921年(大正10年)に原敬首の丸の内南口で暗殺される、1923年(大正12年)に関東大震災が発生し鉄道は、東京駅第3、4の両ホーム亟屋が倒壊し、9月1日から3日まで不通となりました。東京駅舎には大きな被害がなく、丸ビル付近の負傷者が運びこまれ、一時市民の避難場所となりました。
関東大震災時の東京駅構内 (左:関東大震災時の東京駅内避難者、右:第4乗り場方から操車場の焼失客車を見る)
東京駅前のビル建設は、東京駅真ん前の旧「丸ノ内ビルヂング」(丸ビル)が、1923年(大正12年)2月に桜井小太郎の設計で竣工し、地下1階地上9階の「東洋一のビル」といわれた、昭和戦前期で最大のビルです。同年9月に発生した関東大震災により被災し復旧補強工事が行われ、外壁は1935年(昭和10年)に改修しており、建設当初の外見外装は失われています。
かって東洋一と言われた旧丸ビル(左:1923年竣工の丸ビル、右:丸ビル1997年1月撮影)
旧新丸ノ内ビルヂングは、丸ノ内ビルヂングとは行幸通りを挟んだ向かい側に、1937年(昭和12年)に着工されましたが、翌1938年(昭和13年)に、基礎工事が完了した段階で日中戦争により、工事が中止されました。工事中止の基礎部分は、戦中・戦後は防火用貯水池、プールや復興用資材の貯木場となっていました。1950年代に入り、朝鮮戦争特需によりオフィスビルの需要が急増し、新丸ノ内ビル(地上8階、地下2階)が建設されることになり、1951年(昭和26年)に着工、1952年(昭和27年)に竣工しました。
1952年竣工の旧「新丸ビル」 (左:新丸ビル1952年竣工、右:丸ビルと新丸ビル昭和28年夏撮影)
中央郵便局の発足は、1871年(明治4年)に元四日市町(現・中央区日本橋一丁目、現在の日本橋郵便局所在地)に四日市郵便役所として開設され、その後名称変更や庁舎の火災などを変遷して、1903年(明治36年)に駅逓寮跡地を庁舎として東京中央郵便局となりました。
1922年(大正11年)の火災により庁舎を焼失し、吉田鉄郎(逓信省営繕課)の設計により、1929年(昭和4年)に東京駅前に鉄骨鉄筋コンクリート造の新局舎を起工し、1933年(昭和8年)に新局舎にて営業を開始しました。
旧東京中央郵便局(左:東京中央郵便局、右:東京中央郵便局1933年より2008年まで)
鉄道省庁舎(旧国鉄本社ビル)は、1923年の関東大震災で庁舎が倒壊した後、木造バラック建ての仮庁舎を使用していましたが、1935年(昭和10年)に岡崎泰光の設計により鉄道省新庁舎(旧館)が着工され、1937年(昭和12年)に鉄骨鉄筋コンクリート構造の地上8階、塔屋2階、地下2階建ての本館と鉄筋コンクリート構造地上3階、塔屋1階、地下1階からなる別館が竣工(旧館)しました。庁舎竣工後に増築される予定でしたが、戦争により実現できませんでしたが、鉄道省庁舎から東京駅前間を結ぶ地下道は戦前に設けられました。
1945年の世界大戦の空襲を受け庁舎が焼失し、木造2階のバラック建て庁舎を使用していましたが、日本国有鉄道では、1960年(昭和35年)に鉄骨鉄筋コンクリート構造地上9階、地下3階の新館を着工し、1962年(昭和37年)に竣工して旧館から国鉄本社及び運輸省が移転しました。
国鉄本社ビル旧館
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