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kan-haruの日記

小さな旅 大田区と竜馬 池畔に別荘を構え勝海舟墓所のある洗足池を歩く その2

2010年06月03日 | 小さな旅
kan-haru blog 2010 

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洗足池公園は花見のスポット
洗足池公園内にある勝海舟夫妻墓所と池畔の間の「桜の広場」と公園北の「桜山」には、約200本の桜があり、毎年3月下旬~4月上旬には24時間開放して夜桜見学ができるスポットです。陽気の良い季節には洗足池には、ペアーに人気のスワンサイクルボートやローボートが沢山浮かびます。広重の浮世絵「名所江戸百景」にも描かれた景勝地の洗足池の周回を続けます。

 洗足池案内図

・西郷隆盛留魂祠
勝海舟は、晩年に洗足池畔の洗足軒の別邸で、西郷隆盛と日本の将来について歓談されたと伝えられています。
隆盛は1877年(明治10年)の西南戦役により逝去されましたが。海舟が西郷隆盛の死を悼んで、1883年(明治16年)に東京南葛飾郡大木村上木下川(現葛飾区東四ツ木1-5-9)薬妙寺境内に留魂祠と漢詩の石碑を建立しました。

 勝海舟の歴史が漂う洗足公園(:桜のスポットの「桜広場」、:勝海舟夫妻墓所の左隣に移設された留魂祠)

その後、1913年(大正2年)の荒川の整備のため、留魂祠と石碑は勝海舟夫妻墓所の隣に移されました。

 西郷隆盛留魂祠(・右:留魂祠説明板写真拡大)

西郷隆盛留魂祠の境内には、留魂祠石碑と江戸城の無血開城を成し遂げた海舟と西郷の功績を賞賛する石碑などが建てられてあります。

 西郷隆盛留魂祠内の石碑(:留魂祠石碑漢詩文:海舟と西郷の功績を賞賛する石碑)

・水生植物園
留魂祠を北に進むと、水生植物園で最初の草摘みエリアには水路が引かれその上に木製の八橋が架けられ、周囲にはヨシ、ガマ、ミソハギなどの抽水植物と、アサザ、ヒシ、ヒツジクサなどの浮葉、植物が植えられています。草摘みエリアの先は洗足池の上に木製のジグザグの八橋が架けられ、池の中には沢山の緋鯉や亀がみられます。

 水生植物園(左上写真拡大)

・弁天島
水生植物園の先の「松山」の手前を左側に進むと弁天島で朱塗の橋を渡ると、右手に鳥居が見え、その奥に市杵島姫命(宇賀神、宗像神、弁天神)を祀った洗足池辨財天(嚴島神社)が鎮座しています。
[辨財天御由緒書]
創建の年代は不詳なれど古来より洗足池の守護神として池の北端の小島に祀られていたが長い年月の間に池中に没してしまっていた。その後昭和の初め頃より数多くの人々の夢枕に弁財天が出現せられ、この事が契機となって御社殿建立の話が具現化し多くの人々の尽力によって昭和9年7月、洗足風致協会の手により築島遷宮する運びとなり、以来今日に至る間、数多くの参拝者に神徳を授けられています。

 弁天島(写真拡大)

・池月像
弁天島から清水窪湧水路の橋を渡り、左にカーブして進むと、右側の千束八幡神社境内の丘の上に、「宇治川先陣物語」にある名馬の池月像が見えます。
千束八幡神社の池月発祥伝説の由来によると、1180年(治承4年)に 源頼朝は相州石橋山の合戦に敗れて安房に逃れ、この地の豪族の千葉常胤、上総介広常たちと再起をはかり、鎌倉に向かう途上で、ここ千束郷の大池(洗足池)の丘に宿営し、八幡丸の丘を本陣として近隣緒豪の参陣を待ちました。その夜、どこからより1頭の野馬が頼朝の本陣に向かって飛来したので郎党が捕らえてみると、馬体は逞しく青き毛並みに白き斑点を浮かべ、あたかも池に映る月影のようであったため、この馬を池月と命名して頼朝の料馬としました。士卒がこれを聞いて、征旗高く掲げたので八幡宮の別名を「旗上げ八幡」と称します。
また、1184年(寿永3年)の宇治川の合戦の出陣に際し、頼朝から賜った名馬の磨墨に梶原景季がまたがり、池月に佐々木高綱がまたがり先陣を争い、池月が見事に激流を先に乗り切り磨墨との先陣争いに勝って、歴史に名を残したといわれています。池月の誕生地が八幡であるのが、池月発祥伝説のおこりです。

 池月像(写真拡大)

・千束八幡神社
池月像の西側の小高い岡の上に鎮座する千束八幡神社の創建は860年(貞観2年)と古いが、社殿は昭和17年の建築で、宮大工は吉野直吉氏である。御祭神は、品陀和気之命(応神天皇)が祀られています。

 千束八幡神社1(:池畔の千束八幡神社の赤い鳥居、:千束八幡神社の本殿は小高い岡の上、:手水舎と末社)

狛犬は、左が吽像、右が阿像で寄進は1837(天保8年)9月で製作は○○長五郎とあります。

 千束八幡神社2(:狛犬の吽像、:狛犬の阿像、:神楽殿)

[由緒]
洗足池の畔、小高い岡の上に鎮座する。貞観2年(860)宇佐八幡を勧請したことに始まると伝えられる。
平将門の乱に際し、鎮守府副将軍として下向した藤原忠方は、乱を平定した後、この地に土着し、洗足池の畔に館を構えて当社を氏神とした。その子孫が、日蓮聖人を身延より迎えた池上氏である。
奥羽平定に向かった八幡太郎義家は洗足池で禊ぎを修し、戦勝を祈願したと伝えられる。
また、源頼朝は安房より鎌倉へ向かう途中、源氏の氏神である八幡宮が祀られていることを喜び、この地に陣を構えて諸将の参陣を待った。この時、後に宇治川の合戦で佐々木高綱が先陣の功を挙げた名馬・池月〔いけづき〕(生食)を得たという。
これを見た将兵は、平家討伐成就の吉兆として大いに意気が上がり、旗を掲げて歓声を上げた。これに因んで別名「旗挙げ八幡」と呼ばれるようになったと伝えられる。

千束八幡神社を後に、洗足池の詩碑を見て、池月橋を渡って南に進むと中原街道に出て洗足池を一周しました。

 洗足池風景(:洗足池の詩碑、:池月橋)

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