通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

『映画手帳』1977年12月号(その5)1977年のベストヒット50(26位から50位まで)

2021年12月31日 | 音楽


そのむかし、広島で出版されていた
月刊情報誌『映画手帳』。

この雑誌(1977年12月号)をもとに、
今から44年前、1977年12月の広島を
紹介しています。

前回は、
1977年のシングル1位から25位まで
について。





↓前回については、こちら↓


『映画手帳』1977年12月号(その4)1977年のベストヒット50(1位から25位まで)






今日は、
1977年のシングル26位から50位まで
についての話でがんす。





今回は、
「1977年の音楽」(ウィキペディア)
総合ランキング(邦楽・洋楽)の
シングル部門を参考にしています。

(オリコン
1976年12月6日付から
1977年11月28日付)





26位:石川(いしかわ)さゆり
「能登半島(のとはんとう)」

発売:1977年5月10日
作詞:阿久 悠(あく ゆう)
作曲:三木(みき)たかし



前作「津軽海峡・冬景色」に続く
阿久・三木コンビの曲。

♪十九なかばの 恋知らず
十九なかばで 恋を知り

と歌詞にあるとおり、
石川さんはこのとき19歳でした。





27位:キャンディーズ
「やさしい悪魔」

発売:1977年3月1日
作詞:喜多條 忠(きたじょう まこと)
作曲:吉田拓郎(よしだ たくろう)



前年の1976年8月、
ピンク・レディーが
「ペッパー警部」でデビュー。

セカンド・シングル「S・O・S」で
オリコン1位を獲得する(1977年2月)
など快進撃を始めたころ。

これに危機感を覚えた渡辺プロは、
「キャンディーズ大人化計画」
を打ち上げた。

キャンディーズは
それまでの清楚なイメージを一新し、
レオタードに網タイツという
大人の衣装で歌うことになった
といわれる。

このとき衣装をデザインしたのが、
「グッド・バイ・マイ・ラブ」
を1974年にヒットさせた
アン・ルイスだった。





28位:マイナー・チューニング・バンド
「ソウルこれっきりですか」


このころのヒット曲を
ディスコサウンドに乗せて
メドレーにしたもの。

曲順:
横須賀ストーリー、
きみ可愛いね、
春一番、
春うらら、
ねえ!気がついてよ、
横須賀ストーリー、
想い出ぼろぼろ、
およげ!たいやきくん、
ビューティフル・サンデー、
木綿のハンカチーフ、
山口さんちのツトム君、
あなただけを、
横須賀ストーリー、
セクシー・バス・ストップ、
横須賀ストーリー、
北の宿から


ウィキペディアには、
この歌を歌っているうちのひとりが
伊集 加代子(いしゅう かよこ)さん
と書いてあった。

伊集さんといえば、
アニメ『アルプスの少女ハイジ』
の主題歌「おしえて」(1974年)
を歌われた方。


余談じゃが…。

メドレーといえば、
平野雅昭さんが歌う
「演歌チャンチャカチャン」
(発売:1977年11月25日)
という曲もありました。





29位:郷(ごう)ひろみ/郷ひろみ・樹木希林(きき きりん)
「帰郷/お化けのロック」

発売:1977年9月1日
作詞:阿木燿子(あき ようこ)
作曲:宇崎竜童(うざき りゅうどう)



1977年、
郷さんは樹木希林さんと一緒に
テレビドラマ『ムー』(TBS)
に出ていた。

この番組の挿入歌が
B面の「お化けのロック」でした。

翌78年、『ムー一族』では、
郷・樹木のコンビで
「林檎殺人事件」を発表している。





30位:オリビア・ニュートン=ジョン
「カントリー・ロード」

作詞・作曲:ジョン・デンバー、
ビル・ダノフ、
タフィー・ナイバート



1971年、ジョン・デンバーが歌い、
ビルボードで全米2位の
大ヒットとなった曲。

1973年に
オリビア・ニュートン=ジョンが、
日本では1976年に
田中星児(たなか せいじ)さんが
カバーしてヒット。

アニメ映画『耳をすませば』
(1995年)では
主題歌として使われています。





31位:狩人(かりゅうど)
「コスモス街道」

発売:1977年8月25日
作詞:竜 真知子(りゅう まちこ)
作曲:都倉俊一(とくら しゅんいち)



♪右は越後へ行く 北の道
左は木曽まで行く
中山道(なかせんどう)
続いてる コスモスの道が

中山道は江戸時代に整備された
五街道のひとつで、
信州、木曽、諏訪を通って
京と江戸を結ぶ。

その中山道で、江戸と金沢を結ぶ
北国街道(ほっこくかいどう)
との分岐点にあるのが
軽井沢町にある追分宿。

このあたりに
コスモスが咲く道があり、
この歌の舞台となったという。





32位:丸山圭子(まるやま けいこ)
「どうぞこのまま」

発売:1976年7月5日
作詞・作曲:丸山圭子



丸山さんは1972年11月に
18歳でデビュー。

その後、売れない時代があり、
所属していたレコード会社も倒産。

3年半後の1976年3月、
レコード会社を移籍して再デビュー。

売れない時代に
彼女はいろいろ考えた。

歌は自分の感情を伝えるもの、
だから歌を上手くなろうと
発声練習から習った。

詞も、自分なりに恋をしたので
より現実味を出そうとした。

私にとって長いブランクでしたけど、とてもいい勉強になりました。

(富沢一誠『フォークが聴きたい』徳間文庫 1999年)


アルバムからシングルカットされた
「どうぞこのまま」は、
有線放送から火がつき
50万枚を超えるヒットとなった。





33位:野口五郎
「むさし野詩人」

発売:1977年1月15日
作詞:松本 隆(まつもと たかし)
作曲:佐藤 寛(さとう ひろし)



♪15行目から恋をして
20行目で終ったよ

の部分が子ども心に残った。

作曲の佐藤 寛さんは
存じあげない(失礼!)ので
調べてみると、
野口さんの実のお兄さんでした。

ヒット曲「私鉄沿線」(1975年)も
佐藤さんの手によるもの。





34位:イルカ
「雨の物語」

発売:1977年3月25日
作詞・作曲:伊勢正三(いせ しょうぞう)



中学校に入ったころから、
友達とレコードの貸し借りを
するようになった。

中でも人気があったのが、
アリス、イルカ、
因幡 晃(いなば あきら)、
伊勢正三(いせ しょうぞう)
だったと記憶する。





35位:山口百恵(やまぐち ももえ)
「秋桜(コスモス)」

発売:1977年10月1日
作詞・作曲:さだまさし



第19回日本レコード大賞・歌唱賞。

日本の歌百選に選ばれた1曲。





36位:高田(たかだ)みづえ
「硝子坂(ガラスざか)」

発売:1977年3月25日
作詞:島 武実(しま たけみ)
作曲:宇崎竜童



高田みづえさんのために
書き下ろされた
デビューシングル。


…だと今の今まで思っていたが、
ウィキペディアで調べてみると、
木之内(きのうち)みどりさんが
『硝子坂』(1977年2月)
というアルバムのタイトル曲として
発表されていたことが分かった。

う~ん、知らんかった。

木之内さんはこの年、
映画『野球狂の詩』に、
主人公で女性プロ野球選手・
水原勇気(みずはら ゆうき)役
で出演されています。





37位:太田裕美
「しあわせ未満」

発売:1977年1月20日
作詞:松本 隆
作曲:筒美京平(つつみ きょうへい)



♪はにかみやっさ~ん!
から
♪しあわせ未満 しあわせ未満
(「しあわせになれ」と聞こえた)
と2度繰り返すところが印象的だった。

この間の歌詞をよく聞いてみると、
結構、自虐的なことを言っています。





38位:岩崎宏美
「思秋期(ししゅうき)」

発売:1977年9月5日
作詞:阿久 悠
作曲:三木たかし



♪私十八…やがて十九に

歌詞に書かれているとおり
この歌をレコーディングしたのが、
岩崎さんが高校を卒業した後。

「やがて十九に」を受けて
次作のタイトルは
「二十才前(はたちまえ)」
(1978年2月5日)。

阿久さんは、
少女から大人へと成長していく
ひとりの女性を綴られた。





39位:キャンディーズ
「暑中お見舞い申し上げます」

発売:1977年6月21日
作詞:喜多條 忠
作曲:佐瀬寿一



この曲がヒット中の7月17日、
事件が起こった。

日比谷野外音楽堂でのコンサート中、
キャンディーズは
「今度の9月で解散します!」と、
突然の解散宣言をしたのだ。

結局、最初の宣言から7ヶ月後の
1978年4月4日に後楽園球場で
「ファイナルカーニバル」が行われ、
彼女たちは普通の女の子に戻った。





40位:太田裕美
「九月の雨」

発売:1977年9月1日
作詞:松本 隆
作曲:筒美京平






41位:イーグルス
「ホテル・カリフォルニア」

発売:1977年2月22日
作詞・作曲:ドン・フェルダー、
グレン・フライ、
ドン・ヘンリー






42位:内藤国雄(ないとう くにお)
「おゆき」

発売:1976年5月1日
作詞:関根浩子
作曲:弦 哲也(げん てつや)



内藤さんは、
れっきとした将棋棋士。

このころは、芸能人以外でも
レコードを出される方が
おられました。

たとえば角界からは、
増位山太志郎
(ますいやま だいしろう)さんが
「そんな女のひとりごと」
(1977年9月25日)を出され、
ヒットしました。

広島カープでは、
ミスター赤ヘルこと
山本浩二(やまもと こうじ)さんが
「ひとり」(1975年)、
高橋慶彦(たかはし よしひこ)さんが
「うわさのセクシークイーン」
(すごいタイトルだ)
(1981年)を
それぞれ出されています。





43位:河島英五(かわしま えいご)
「酒と泪と男と女」

発売:1976年6月25日
作詞・作曲:河島英五



「音楽が好きだから、
売れる売れないに関係なくやりたい」
という気持ちで
ソロ活動を始めた河島さん。

ファーストシングル
「酒と泪と男と女」はもともと、
河島英五とホモ・サピエンス
のデビューアルバム
『人類』(1975年)に収録された曲。

清酒「黄桜(きざくら)」の
コマーシャルソングに
使われたことで大ヒット。

コンサートを開けば
どこも満員となった。

しかし、河島さんはそれに流されず、
自分の道を歩む。

インド、アフガニスタン、ペルー
などをひとり旅するかたわら、
四国八十八札所を巡礼しながらの
ライブツアーを行ったりした。

他とは違う独自の世界--それがアーティスト、河島英五の評価

(富沢一誠『フォークが聴きたい』徳間文庫 1999年)






44位:岩崎宏美
「熱帯魚」

発売:1977年7月5日
作詞:阿久 悠
作曲:川口 真






45位:郷 ひろみ
「悲しきメモリー」

発売:1977年5月1日
作詞:小谷 夏(こたに なつ)
作曲:筒美京平



「小谷 夏」は、
TBSのテレビプロデューサー・
久世光彦(くぜ てるひこ)さんの
ペンネーム。

郷さんはこのころ、
久世さんがプロデューサーを務める
テレビドラマ『ムー』に出演中。





46位:あおい輝彦(てるひこ)
「Hi-Hi-Hi(ハイ・ハイ・ハイ)」

発売:1977年3月5日
作詞・作曲:森 雪之丞(もり ゆきのじょう)



あおいさんといえば、
アニメ『あしたのジョー』の主人公・
矢吹 丈(やぶき じょう)役が有名。

そのあおいさんは
アイドルグループ・ジャニーズ
のメンバーでデビュー。

ジャニーズは、その名のとおり、
あのジャニーズ事務所から
最初にデビューした
日本の男性アイドルグループだった。
(活動期間:1962年から1967年)





47位:野口五郎
「季節風」

発売:1977年7月21日
作詞:有馬三恵子
作曲:筒美京平






48位:芹 洋子(せり ようこ)
「四季の歌」

作詞・作曲:荒木(あらき)とよひさ



日本の歌百選に選ばれた1曲。

「四季の歌」には
こんな逸話がある。

荒木さんは学生時代
スキーで大けがを負う。

3年におよぶ入院生活で
世話になった看護師のために
自作の歌を作って聞かせた。

それが口コミで広がり、
1972年にレコード化されることに。

当初は、「作詞・作曲者不詳」
とされていたが、レコード化の際、
荒木さんが名乗り出た。

これが荒木さんの
作詞家としてのデビューとなる。

1976年には、
6社が競作でレコード化。

結果、芹さんのレコードは
オリコンで最高位8位、
売上はミリオンセラーを記録した。


芹さんといえば、
第3回(1979年)第4回(1980年)の
ひろしまフラワーフェスティバルに
フラワー歌手として参加。

第3回の開会セレモニーで
芹さんが歌った「花ぐるま」が、
ひろしまフラワーフェスティバルの
テーマソングとして
今も歌い継がれている。

また、毎日午後6時には、
広島市の危機管理室
防災無線点検のため、
この歌(オケのみ)が流されている
のは、ご存じのとおり。





49位:オリビア・ニュートン=ジョン
「ジョリーン」

発売:1976年10月15日
作詞・作曲:ドリー・パートン






50位:山口百恵
「初恋草紙(はつこいぞうし)」

発売:1977年1月21日
作詞:阿木燿子
作曲:宇崎竜童






以下、余談。



年末になると誰がどの賞を獲るか
が話題になった。

『映画手帳』の中で
藤井秀昭という方が
「テレビは涙の季節」で
次のように批判されていた。



テレビで歌手たちの涙がはんらんするので、涙の季節と名付けた次第。

(略)

音楽賞と名がつくものは20を超えるという。とにかく昨年、都はるみが「北の宿から」で獲得した音楽賞は10。内藤やす子は14の新人賞をもらったという。

(略)

(受賞の)その度に「えッ私が…」なんて驚いて見せ、感きわまって涙を流し、歌が途中で歌えなくなる。もう、お決まりのパターンをたんびに見せられてるわけ。

(略)

頼むからもうちょっと賞を減らしてもらいたい。そして、もっともっと工夫した受賞風景をブラウン管で見せて欲しい。




そのとおりである。

当時子どもじゃったわしも、
見とってええ加減、
飽き飽きしとった。

が、藤井さんが書かれているとおり、
「一応誰が受賞するかというのが
ちょっぴり…」気になる。

それでついついチャンネルを
回してしまうんじゃの。

このころは、テレビのチャンネルは
ガチャガチャと「回す」ものだった。





今日は、
1977年のシングル26位から50位まで
について話をさせてもろうたでがんす。


曲についてのコメントを
もう少し書きたかったが、
時間切れ。

後日、書き足すということで
ご勘弁ください。





最後に…。



今年もいろんなことがあった
1年でした。

来年、2022年こそは
コロナ禍が収まって
穏やかな1年になりますように。





ほいじゃあ、またの。
コメント (4)
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