通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

ヒデ夕樹さん

2021年12月26日 | まんが・テレビ・映画
わしは日々、
NHKラジオを聞いて過ごす。

毎週土曜午後2時からは聞くのは、
FMの「アニソン・アカデミー」。

聞けないときは、できる限り
聞き逃し配信で聞いとるんじゃの。






↓「アニソン・アカデミー」については、こちら↓

「アニソン・アカデミー」NHK





先週、12月18日(土)は、
ヒデ夕樹(ひで ゆうき)さんの
特集じゃった。

ヒデ夕樹と聞いてピンとこない方は、
とりあえず
こちらの歌をお聞き下さい。

…そう、この歌を歌われている方が
ヒデ夕樹さんなんですよ。





↓ヒデ夕樹さんといえば…↓

「日立の樹 この木なんの木 歌詞付き」YouTube





今日は、
ヒデ夕樹さん
についての話でがんす。





今、アニメ・特撮番組の主題歌は、
「アニソン」「特ソン」と呼ばれ
世間からも認められている。

最初に紹介した
「アニソン・アカデミー
(以下、「アニアカ」と略す)」は、
アニソンを紹介する音楽番組。

今年(2021年)の紅白歌合戦では、
『新世紀エヴァンゲリオン』の主題歌
「残酷な天使のテーゼ」を
高橋洋子(たかはし ようこ)さんが、
『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』
の主題歌「炎」を
LiSA(リサ)さんが歌います。

しかし、1980年代前半ころまでは
「テレビ漫画」「特撮ヒーローもの」
と呼ばれ、「お子様向け番組」
と低く見られていた。

そんな時代のアニソン・特ソンを
盛り上げた男性歌手が、
ささきいさおさん、
水木一郎(みずき いちろう)さん、
子門真人(しもん まさと)さん、
そして、
ヒデ夕樹さんだった。

ささきさん、水木さんは
今も現役でご活躍中。

子門さんは、1975年に
「およげ!たいやきくん」
が大ヒット。

テレビに出演して歌われたことで、
アフロヘアーにあごひげ、丸眼鏡
というお姿をこの目に焼きつけた。

それに対してヒデ夕樹さんは、
テレビどころか雑誌の写真でも
そのお姿をお見かけしたことがない。

月光仮面の歌ではないが、
♪どこの誰かは 知らないけれど
(その声は)
誰もがみんな 知っている~
状態である。

ヒデ夕樹さんという歌手は、
ほとんどのアニソンファンにとって
そんなお方だった(はず!)。





今回、ヒデ夕樹さんを
「アニアカ」で紹介されたのが、
剣持 光(けんもち ひかる)さん。

剣持さんは今年7月25日、
『ヒデ夕樹とテレビまんが主題歌の
黄金期』(ケンケンクリエイト)
という本を出版されています。





↓剣持 光さんについては、こちら↓

剣持 光のホームページ





その剣持さんが、
ヒデ夕樹さんがアニソンから
距離を置くようになった原因
について語られた。

その原因のひとつとされるのが、
「夢の舟乗り」差し替えの一件。

「夢の舟乗り」(1978年)とは、
『キャプテン・フューチャー』
の主題歌。

番組開始当初は
ヒデ夕樹さんが歌っていたが、
途中からゴダイゴの
タケカワユキヒデさんのバージョンに
差し替えられてしまったというもの。

1978年のゴダイゴといえば、
テレビドラマ『西遊記』の主題歌
「モンキー・マジック」
「ガンダーラ」
が大ヒット、ブレイクしたころ。

それまでのヒデ夕樹さんは、
アニソンは仕事として
割り切って歌っていたという。

しかし、ヒデ夕樹さんはこの歌、
「夢の舟乗り」に
強いこだわりを持って
レコーディングに臨んだ。

山川啓介(やまかわ けいすけ)さんの
手による歌詞は、
大人になった男性が、
再び少年の気持ちになって
夢にチャレンジするというもの。

当時37歳のヒデ夕樹さんは、
この歌詞に自分を重ねていた
のかもしれない。

レコーディングに納得できず、
自分から頼み込んで
リテイクしてもらったほど
入れ込んだ歌が
「夢の舟乗り」だった。

その歌が差し替えられたことで
精神的に強いショックを受けた。

また、この一件が
「小学生新聞」誌上で
論争になったことを、
子ども好きなヒデ夕樹さんは
心を痛めていたともいわれている。

当時、中学3年だったわしも、
「売れてきた人に歌わせるのが、
大人の世界なんじゃのう」
と受け止めた。





ここで、「夢の舟乗り」の
リテイクバージョンを
聞いてください。

1分28秒あたり、
♪どっちを向いても宇宙~
の前に、
「フンン~」というため息のような声
(文字にするのが難しい…)
が入っているのが
リテイクバージョンじゃそうな。





↓「夢の舟乗り」については、こちら↓

「キャプテン・フューチャー」YouTube





「夢の舟乗り」の一件で、
アニソンから距離を置くようになった
ヒデ夕樹さん。

1998年10月ころ、
ヒデ夕樹さんのもとに
テレビ局から連絡があった。

年末に
アニソンの紅白歌合戦をやります。
リクエストの13位に
「トリトン」が入っているので、
番組に出て歌ってもらえませんか
というもの。

それまで
アニソンのオファーがあっても
断り続けていたヒデ夕樹さん。

しかし、この時はなぜか
そのオファーを受けた。

そして、周囲の人に
「今度テレビに出るんだよ」
と触れまわり、カラオケで
練習をしていたという。

が、12月7日に吐血。

病院に行ったが、
翌8日に亡くなられた。

酒好きが災いし
肝臓を患っていたとはいえ、
58歳で死というのは
本当に大変残念である。

このときテレビに出て
「トリトン」を歌っていれば、
ヒデ夕樹さんのその後の人生が
変わっていたかもしれん。



「オープニング」『ファンタジー・アニメアルバム 海のトリトン』少年画報社 1978年


↓「トリトン」については、こちら↓

「『GO! GO! トリトン』/ヒデ夕木」YouTube





ヒデ夕樹さんの特ソンといえば、
『快傑ライオン丸』の主題歌
「風よ光よ」(1972年)。





↓「風よ光よ」については、こちら↓

「快傑ライオン丸 1972 風よ光よ  秀夕木、ヤング・フレッシュ」YouTube




物語は、魅力的なライバルが
登場することで盛り上がる。

『あしたのジョー』に、
矢吹 丈(やぶき じょう)の
ライバルとして登場するのが、
力石 徹(りきいし とおる)。





↓力石 徹については、こちら↓

「15 力石徹のテーマ(フルコーラス・ヴァージョン) [Rikiishi Toru's Theme Full Version]」YouTube





個人的にヒデ夕樹さんのベスト!
だと思っているのが
『スターウルフ』の主題歌
「青春の旅立ち」(1978年)。





↓「青春の旅立ち」については、こちら↓

「スターウルフ 青春の旅立ち 高音質 FULL Ver'」YouTube





以下、余談。



ヒデ夕樹さんの本名は
平野英之(ひらの ひでゆき)。

「英之」をもじって
「ヒデ夕樹」という芸名をつけたのが
「おヒョイさん」こと
藤村俊二(ふじむら しゅんじ)さん
であることが
ウィキペディアに書いてあった。

このあたりのおふたりの関係も
知りたいもんじゃ。





今日は、
ヒデ夕樹さんについて
話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。
コメント
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