通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

もちつき

2021年12月30日 | 日記



毎年12月30日は、
わが家ではもちつきの日。

今日も、もちつき機を使って
約4キロの白もちと
豆もちをついた。





今日は、
もちつきについての話でがんす。





もちつきを避けた方がいい
といわれる日があるという。

たとえば、
12月29日と31日。

29日は、
29=にじゅうく=二重苦
を連想させるから。

31日にもちを飾ることを、
「一夜もち」という。

正月飾りを31日に飾ることを
「一夜飾り」というのと同じように
嫌ってきた。

年末の31日になって
あわてて正月飾りを飾るのは、
歳神様(としがみさま)を
お迎えするのに失礼だと
されてきたためだ。

歳神様は新年を司る神様で、
毎年元日にやってきて、
新しい年の魂を授けてくれる
神様であるという。



逆に、もちつきによい日
といわれるのが28日。

「8」を漢字で書くと「八」。

「八」は末広がりで
縁起がいいとされている。

だが、
28日は仕事納めのところも多いので、
北広島町にあるお袋の実家では
毎年12月30日にもちつきをしていた。



その流れで、わしの実家では
毎年12月30日にもちつきをしてきた。

しかし、
今年の春にお袋が亡くなったので、
この年末は初めて
わが家でもちをつくことに。

今日は午前中にもちつきをして、
昼からわしの実家に
もちを持って行って
仏壇に供えてきた。





以下、余談。



お袋の実家(=祖母の家)では、
もちつき機を使って
もちをついていた。

それが40年くらい前から
杵(きね)と臼(うす)を使って
もちつきをすることになった。

それまでは、
もち米を蒸す人、
ついたもちを切る人
こねる人はおったが、
もちをつく「つき手」が
おらんかったんじゃの。

祖母には7人の子ども、
15人の孫がおった。

その孫の世代が20代になり
「つき手」が揃ったので、
杵と臼でもちつきをすることに。

「もちつきくらい簡単なもんよ」
と思ったが、
そうは問屋が卸さんかった。

もちつきをしていると、
腕・肩・背中は痛くなるし、
手にマメはできるし、
息はあがってくるし…。

結果、もちつきが終わった後の
正月三が日は、文字どおりの
「寝正月」を過ごすことに。

体じゅうのあちこちが痛く、
寝起きをすることができず、
食事の時にはしを持つこともできず、
寝たきりの正月を過ごす羽目に。

が、不思議なもので、
何年かすると体が慣れてきた。

力を入れるところ、
手を抜くところの
加減が分かってきたんじゃの。

それから約25年ほど
杵と臼でもちつきをしたが、
祖母が亡くなったことが機となって、
皆が揃ってもちつきをすることも
のうなって(=なくなって)しもうた。

ほいじゃが、もちつきは
わしの体が動く限りは
続けていきたいもんじゃの。





今日は、
もちつきについて
話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。
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『映画手帳』1977年12月号(その4)1977年のベストヒット50(1位から25位まで)

2021年12月30日 | 音楽


そのむかし、広島で出版されていた
月刊情報誌『映画手帳』。

この雑誌(1977年12月号)をもとに、
今から44年前、1977年12月の広島を
紹介しています。

前回は、
テレビで放送された映画作品、
テレビ映画案内編について。





↓前回については、こちら↓


『映画手帳』1977年12月号(その3)テレビ映画案内編






今日は、
1977年のシングル1位から25位まで
についての話でがんす。





今回は、
「1977年の音楽」(ウィキペディア)
総合ランキング(邦楽・洋楽)の
シングル部門を参考にしています。

(オリコン
1976年12月6日付から
1977年11月28日付)





1位:ピンク・レディー
「渚のシンドバッド」

発売:1977年6月10日
作詞:阿久 悠(あく ゆう)
作曲:都倉俊一(とくら しゅんいち)



前年、1976年8月に
「ペッパー警部」でデビューした
ピンク・レディー。

同年末の
第18回日本レコード大賞で
新人賞を獲得。

4枚目のシングル
「渚のシンドバッド」は
ミリオンセラーを記録
(オリコン調べ)、
「ピンクレディー旋風」と呼ばれる
社会現象を巻き起こす。





2位:森田公一とトップギャラン
「青春時代」

発売:1976年8月21日
作詞:阿久 悠
作曲:森田公一(もりた こういち)



前年8月の発売から半年かけて、
こちらもミリオンセラーに。

「季節を生きてしまったか」
という歌詞があるが、
このころは「青春」を
あらわす言葉として、
「季節」という言葉を使っていた
ように思う。


余談じゃが…。

森田さんが作曲家だと知って、
「へぇ、作曲家の人も歌うんだ」
と思った。

当時のわしの認識としては、
シンガーソングライターは
自分で曲を作って自分で歌うが、
作詞家・作曲家は
他人に曲を提供する人だったので。





3位:ピンク・レディー
「ウォンテッド(指名手配)」

発売:1977年9月5日
作詞:阿久 悠
作曲:都倉俊一



「渚のシンドバッド」に続いて
2作連続でミリオンセラーを記録。

この2作だけでなく、以後、
「UFO(ユーフォー)」
「サウスポー」「モンスター」
と5作連続でミリオン・セラーを
記録している。
(オリコン調べ)

この年の第28回NHK紅白歌合戦には
「ウォンテッド」で
初出場を果たした。





4位:沢田研二
「勝手にしやがれ」

発売:1977年5月21日
作詞:阿久 悠
作曲:大野克夫(おおの かつお)



第19回日本レコード大賞・大賞
をはじめ、
第8回日本歌謡大賞・大賞、
第10回日本有線大賞・大賞、
'77あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭
ゴールデングランプリ、
第6回東京音楽祭国内大会
ゴールデンカナリー賞など、
数々の賞を獲得。

ちなみに、1位から4位まで
作詞を手がけているのが、
阿久 悠さん。

「勝手にしやがれ」で
この年の日本作詩大賞・大賞を
受賞されている。


余談じゃが…。

1位の「渚のシンドバッド」と
4位の「勝手にしやがれ」の
曲名を掛け合わせたのが、
サザンオールスターズのデビュー曲
「勝手にシンドバッド」(1978年)
であるのは有名な話。





5位:小林 旭(こばやし あきら)
「昔の名前で出ています」

発売:1975年1月25日
作詞:星野哲郎(ほしの てつろう)
作曲:叶 弦大(かのう げんだい)



2位の「青春時代」は
1年前の1976年8月発売だったが、
5位「昔の名前で出ています」は
2年前の75年1月発売。

大スターだった小林さんは当時、
事業に失敗して
巨額の借金を抱えることに。

その借金返済のために、
キャバレーなどで歌う
ドサ回りを全国で行った。

「ドサ回り」とは、
売れない芸人や歌手が地方で行う
営業活動のこと。

大スターだった小林さんにとっては
辛いことだったと思われる。

が、そのかいあって、
「昔の名前で出ています」は
2年かけて大ヒットした。





6位:さだまさし
「雨やどり」

発売:1977年3月10日
作詞・作曲:さだまさし


「さだから、おかしな曲ができちゃった、といわれて、聴かされたのが最初です。
(略)
コミック・ソング的ではあったんですが、オチがしっかりしていて印象的だった」

(富沢一誠『フォークが聴きたい』徳間文庫 1999年)


と語るのは、川又ディレクター。

この歌をコンサートでやってみると、
お客の反応がとてもよい。

シングルで出そうと会議にかけると、
大反対にあってしまった。

「さだの魅力は、
「精霊流し(しょうろうながし)」
「無縁坂(むえんざか)」などの
叙情派(じょじょうは)フォーク。
コミック・ソングを出したら
イメージが壊れてしまう」

しかし、コンサートでの反応は
ますますよくなっていく。

さだの意向を確認した
川又ディレクターは、
この歌を再度、会議にかける。

「ライブ・レコーディングで」
という条件をつけて。

が、「ライブ・シングルは
これまで売れたためしがない」
と、これまた反対にあう。

それでもあきらめきれず、
お客の反応をモニターした
テープをもって会議にかけ、
ようやくゴーサインが出た。

「雨やどり」は
こうして世に出たのであった。





7位:ピンク・レディー
「カルメン'77」

発売:1977年3月10日
作詞:阿久 悠
作曲:都倉俊一





8位:ピンク・レディー
「S・O・S」

発売:1976年11月25日
作詞:阿久 悠
作曲:都倉俊一



ベスト10の中に、
「渚のシンドバッド」
「ウォンテッド」「カルメン'77」
「S・O・S」と、4曲がランクイン。

ピンク・レディーは
大ヒットを連発し、
この人気は79年ころまで続いた。





9位:清水 健太郎
「失恋レストラン」

発売:1976年11月21日
作詞・作曲:つのだひろ



清水さんのデビューシングル。

第19回日本レコード大賞
最優秀新人賞をはじめ、
第8回日本歌謡大賞、
第10回日本有線大賞
など数々の新人賞を獲得。





10位:Hi-fi-set(ハイ・ファイ・セット)
「フィーリング」

発売:1976年12月1日
作詞:なかにし礼
作曲:モーリス・アルバート



1975年、「卒業写真」でデビューした
ハイ・ファイ・セット。

翌76年の「冷たい雨」が
10万枚のスマッシュ・ヒット
となったことで評価を高める。

ここで一気に勝負を賭けようと、
ちまたで流行りつつあった
「フィーリング」を
カバーすることに。

これが吉と出て、
「フィーリング」を収録したアルバム
『ラブ・コレクション』は、
この年のアルバムベスト1を飾る。
(オリコン調べ)

3位 小椋佳「遠ざかる風景」、
9位 因幡晃「暮色」、
13位 さだまさし「帰去来」、
17位 風「ウィンドレス・ブルー」
などを抑えてのトップは
当時、「事件」だった。

あくまでもじっと静かに聴くニューミュージックが主流のミュージック・シーンにあって、彼らのような”歌って踊れるショー・グループ”の出現は衝撃的な出来事だったからだ。

(富沢一誠『フォークが聴きたい』徳間文庫 1999年)






11位:都はるみ
「北の宿から」

発売:1975年12月1日
作詞:阿久 悠
作曲:小林亜星(こばやし あせい)



1975年12月発売で、
1976年に大ヒット。

同年の第18回日本レコード大賞・大賞
をはじめ、
第7回日本歌謡大賞、
第9回日本有線大賞、
第9回全日本有線放送大賞、
第9回日本作詩大賞など
数々の賞を獲得。

ちなみに、
日本レコード大賞と
日本有線大賞のダブル受賞は、
史上初の快挙だったという。





12位:清水 健太郎
「帰らない/恋人よ」

発売:1977年4月1日
作詞・作曲:つのだひろ



デビュー曲から
2作続けての首位獲得は、
オリコン史上初。





13位:小柳(こやなぎ)ルミ子
「星の砂」

発売:1977年4月25日
作詞:関口 宏(せきぐち ひろし)
作曲:出門 英(でもん ひで)



第10回日本作詩大賞・作品賞。

作詞の関口さんといえば、
日曜日の朝の
『サンデーモーニング』の司会者。

へぇ~。
作詞もされていたんですね。

出門さんは、
「ヒデとロザンナ」のヒデさん。





14位:ピンク・レディー
「ペッパー警部」

発売:1976年8月25日
作詞:阿久 悠
作曲:都倉俊一



ピンク・レディーの
デビュー・シングル。

作詞した阿久悠は、ピンク・レディーは8月25日にデビューするようなあまり期待されていない新人であったために、作曲の都倉俊一と共に自由に創作できて幸運だったと述べている。

(「ペッパー警部」ウィキペディア)






15位:狩人(かりゅうど)
「あずさ2号」

発売:1977年3月25日
作詞:竜 真知子(りゅう まちこ)
作曲:都倉俊一



このころは、別れの舞台として
列車や船がよく使われていた。

「あずさ2号」は、新宿駅から
信州方面へ運行される特急列車。

16位の「津軽海峡・冬景色」には、
上野駅発青森行きの夜行列車、
北海道に向かう青函連絡船
などが出てくる。




16位:石川(いしかわ)さゆり
「津軽海峡・冬景色(つがるかいきょう・ふゆげしき)」

発売:1977年1月1日
作詞:阿久 悠
作曲:三木たかし



第19回日本レコード大賞・歌唱賞、
第6回FNS歌謡祭・グランプリ、
最優秀歌唱賞、
第10回日本作詩大賞・大衆賞
を獲得。

石川さんは、第28回紅白歌合戦に
「津軽海峡・冬景色」で初出場。

以来、第34回(1983年)を除いて、
44回目の最多出場を誇る。

第58回(2007年)から、
「津軽海峡・冬景色」と
「天城越え」を
毎年交互に歌っている。

「津軽海峡・冬景色」を歌うのは、
今年で12回目。





17位:ジグソー
「スカイ・ハイ」

発売:1975年10月25日
作詞・作曲:Clive Scott, Des Dyer



イギリスのグループ・ジグソーの曲。

覆面レスラーのミル・マスカラスが
入場テーマ曲として使ったことで
大ヒット。

「鳥人間コンテスト選手権大会」
(讀賣テレビ)のメインテーマ
としても使われた。

壮大なイントロに
盛り上がるサビ、
ラストの分厚いブラスサウンド。

英語の歌詞は理解できなかったが、
「スカイ・ハイ」という
タイトルからして、
「オレはこんな空高くまで
駆けることができるんだ!」
というカッコいい歌詞を
勝手に想像していた。

が、実は
女に捨てられた惨めな男の歌
であることが分かって
ガッカリした記憶がある。





18位:松崎(まつざき)しげる
「愛のメモリー」

発売:1977年8月10日
作詞:たか たかし
作曲:馬飼野 康二(まかいの こうじ)



松崎さんが歌いあげる
スケールの大きな楽曲。

三浦友和(みうら ともかず)さんと
山口百恵(やまぐち ももえ)さんが
共演していた
江崎グリコ・アーモンドチョコの
コマーシャルソングに採用される。

また、翌78年春の
第50回選抜高校野球大会
の行進曲として使われた。





19位:山口百恵
「赤い衝撃」

発売:1976年11月21日
作詞:千家和也(せんけ かずや)
作曲:佐瀬寿一(させ じゅいち)



「赤いシリーズ」4作目にして、
山口百恵さん初主演作
『赤い衝撃』(TBS)の主題歌。





20位:山口百恵
「イミテイション・ゴールド」

発売:1977年7月1日
作詞:阿木燿子(あき ようこ)
作曲:宇崎竜童(うざき りゅうどう)



1976年6月、百恵さんは
「横須賀ストーリー」を発表。

この歌は、前年
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」
をヒットさせた
作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童の
コンビを、百恵さん自ら指名して
生まれたもの。

この曲で
百恵さんは脱・アイドル化に成功し、
阿木・宇崎コンビは
百恵さんの全盛期を支えた。

以後もこのコンビで、
「イミテイション・ゴールド」
「プレイバックPart2」(1978年)
「しなやかに歌って」(1979年)
などの曲が発表されている。





21位:山口百恵
「夢先案内人」

発売:1977年4月1日
作詞:阿木燿子
作曲:宇崎竜童



第6回東京音楽祭国内大会・ゴールデンカナリー賞
第6回東京音楽祭世界大会・銅賞

歌詞に
「ちょっぴり眠い夜明け前です」
というのがある。

当時は聞き飛ばしていたが、
なかなかに意味深な歌詞である。





22位:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
「サクセス/愛しのティナ」

発売:1977年3月20日
作詞:阿木燿子
作曲:宇崎竜童



この曲は、資生堂化粧品
夏のキャンペーン・ソング。

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
といえば、
「スモーキン・ブギ」(1974年)
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」
(1975年)とヒットを連発していた。

しかし、
ツナギ姿にサングラスという格好、
男臭い・不良というイメージは、
スポンサーから猛反対をくらった
と容易に想像される。

ちなみに、この年の
春のキャンペーン・ソングは、
「ポスト・ユーミン」といわれた
尾崎亜美(おざき あみ)さんの
「マイ・ピュア・レディ」である。

プロデューサーが
反対するスポンサーを
どう説き伏せたのか、
そのあたりの経緯は知らない。

あと、結果がどう出たかも
分からない。

が、資生堂は翌78年、
矢沢永吉(やざわ えいきち)さんの
「時間よ止まれ」、
堀内孝雄(ほりうち たかお)さんの
「君のひとみは10000ボルト」、
南(みなみ)こうせつさんの
「夢一夜(ゆめひとよ)」を。

また、79年には
世良公則(せら まさのり)さんの
「燃えろいい女」を
キャンペーン・ソングとして
採用している。

おぉ!
広島県出身の歌手が
ふたり(矢沢・世良)もおるが。





23位:ジョー山中(やまなか)
「人間の証明のテーマ」

発売:1977年8月10日
原詩:西條八十(さいじょう やそ)
英訳:角川春樹(かどかわ はるき)
英詞:ジョー山中
作曲:大野雄二(おおの ゆうじ)



映画公開前、
テレビやラジオ、書籍を通じて
大量に広告を打つ角川映画の第2弾。

「母さん、僕のあの帽子、
どうしたでしょうね?」
は流行語に。

映画は、この年の邦画配給収入で
2位となった。
(22億5000万円)





24位:沢田研二
「憎みきれないろくでなし」

発売:1977年9月5日
作詞:阿久 悠
作曲:大野克夫



曲ごとにイメージを変え、
衣装を変えて歌うジュリー。

どれもサマになっている。

この曲では
アメリカンポリスがかぶる帽子に
白いシャツ、
サスペンダーで吊った黒い革パンツ
という格好。

タバコを吸いながら
出てくることもあって
驚いたものである。





25位:研(けん)ナオコ
「あばよ」

発売:1976年9月25日
作詞・作曲:中島(なかじま)みゆき



第18回日本レコード大賞歌唱賞受賞
第7回日本歌謡大賞放送音楽賞
第5回FNS歌謡祭最優秀歌謡音楽賞
などを獲得。

前曲の「LA-LA-LA」から
中島みゆきを起用。

「LA-LA-LA」は、
中島みゆきが初めて他者へ提供した
楽曲である。





以下、余談。



このころ
大みそかの12月31日といえば、
昼間に大掃除を済ませた後、
午後7時からRCC(TBS系列)で
『日本レコード大賞』を見たあと、
午後9時からNHKにチャンネルを変え、
『紅白歌合戦』『ゆく年くる年』
を見た後に寝ていたと記憶する。





1977年のレコード大賞は、
以下のとおり。


大賞
沢田研二
「勝手にしやがれ」


最優秀歌唱賞
八代亜紀(やしろ あき)
「愛の終着駅」


最優秀新人賞
清水 健太郎
「帰らない」ほか


歌唱賞
山口百恵
「秋桜(コスモス)」

岩崎宏美(いわさき ひろみ)
「思秋期」

石川さゆり
「津軽海峡冬景色」


大衆賞
ピンク・レディー
「ウォンテッド」ほか






↓1977年の日本レコード大賞については、こちら↓

「第19回 日本レコード大賞」公益社団法人 日本作曲家協会





今日は、
1977年のシングル1位から25位まで
についての話を
させてもろうたでがんす。

明日(大みそか)は、
26位から50位までの
予定でがんすけぇの。



ほいじゃあ、またの。
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