通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

萩往還

2014年03月24日 | 見て歩き
「先週の土日(3月15日・16日)は、家族旅行で山口県にある長門湯本温泉(ながとゆもとおんせん)に行ってきた」

「昨日は、山口市にあるKDDI山口衛星通信センターについて話をしたんじゃけど…」

「今日は萩往還(はぎおうかん)について話をしようと思う」





「山口IC(インターチェンジ)で中国道を降りて、山口市内で昼食をとる。国道262号線を北上して、萩(はぎ)へ向かう」







「休憩をしようと思うて、道の駅あさひに寄ったら、こんな看板があった」





「萩往還って?」

「豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の時代、毛利元就(もうり もとなり)の孫にあたる毛利輝元(てるもと)は、中国地方の8カ国120万石を安堵され、五大老も務めとった。ほいじゃが、西軍・豊臣方の総大将になった関ヶ原の戦いで負けて、周防・長門(すおう・ながと)の2カ国(=長州藩)36万石に減封(げんぽう)されたんじゃ」

「長州藩は、幕末には討幕運動の中心になったんよ」

「広島から移ってきた毛利氏は、慶長9年(1604年)に萩城を築いた。そして、日本海側の萩(長門)と、瀬戸内側の三田尻(みたじり。周防)を結ぶ街道として、道幅2間(約4メートル)に整備したのが、萩往還」

「日本海と瀬戸内海、山陽と山陰を結ぶ道でもあるんじゃね」

「江戸時代、参勤交代にも使われて、御成道(おなりみち)、お殿様が通る道ともいわれたそうじゃ」

「うちらは国道262号線を走ってきたけど、山の中を通っとるし、起伏がけっこうある道じゃったよ」

「毛利氏は、城を築くにあたって、防府(ほうふ)・山口・萩の3か所を候補地として幕府にお伺いをたてたんじゃの」

「…で?」

「これに対して幕府は、防府・山口は分限(ぶんげん)にあらず、つまり、幕府に反抗した外様(とざま)大名として身の程をわきまえなさい、ということで、三方を山に囲まれ、日本海に面した萩に城を築くことになったというわけじゃ」

「そういうことか。防府や山口は瀬戸内海側にあって、交通の便もええじゃろうしね」

「防府は、西国街道(さいごくかいどう)、江戸時代の山陽道(さんようどう)沿いにあるしの」





↓道の駅あさひについては、こちら↓

「道の駅「あさひ」」萩市観光ポータルサイト





↓萩往還については、こちら↓

歴史を感じ 自然を感じる 萩往還を歩こう ー歴史の道「萩往還」ー





「おぉ、肝心なことをひとつ忘れとった!」

「何?」

「道の駅あさひのトイレの案内板のことじゃ」







「男岳に女岳?」

「この近くに山があって、萩市の最高峰、一番高いところが男岳(おんたけ)の789メートルになるそうじゃ」





↓男岳については、こちら↓

「萩市の最高峰は? 【萩市】」やまぐち地ブログ





訪問日:2014年3月15日





「今日は、萩往還について話をさせてもらいました」

「明日は、道の駅萩往還について話をする予定じゃ。ほいじゃあ、またの」

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