「先週の土日(3月15日・16日)は、家族旅行で山口県にある長門湯本温泉(ながとゆもとおんせん)に行ってきた」
「昨日は、山口市にあるKDDI山口衛星通信センターについて話をしたんじゃけど…」
「今日は萩往還(はぎおうかん)について話をしようと思う」
「山口IC(インターチェンジ)で中国道を降りて、山口市内で昼食をとる。国道262号線を北上して、萩(はぎ)へ向かう」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/80/9dd3527312d78faab42ed3035b0d903f.jpg)
「休憩をしようと思うて、道の駅あさひに寄ったら、こんな看板があった」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/7e/554d7c45e04205ce21b8b81793e9e7d9.jpg)
「萩往還って?」
「豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の時代、毛利元就(もうり もとなり)の孫にあたる毛利輝元(てるもと)は、中国地方の8カ国120万石を安堵され、五大老も務めとった。ほいじゃが、西軍・豊臣方の総大将になった関ヶ原の戦いで負けて、周防・長門(すおう・ながと)の2カ国(=長州藩)36万石に減封(げんぽう)されたんじゃ」
「長州藩は、幕末には討幕運動の中心になったんよ」
「広島から移ってきた毛利氏は、慶長9年(1604年)に萩城を築いた。そして、日本海側の萩(長門)と、瀬戸内側の三田尻(みたじり。周防)を結ぶ街道として、道幅2間(約4メートル)に整備したのが、萩往還」
「日本海と瀬戸内海、山陽と山陰を結ぶ道でもあるんじゃね」
「江戸時代、参勤交代にも使われて、御成道(おなりみち)、お殿様が通る道ともいわれたそうじゃ」
「うちらは国道262号線を走ってきたけど、山の中を通っとるし、起伏がけっこうある道じゃったよ」
「毛利氏は、城を築くにあたって、防府(ほうふ)・山口・萩の3か所を候補地として幕府にお伺いをたてたんじゃの」
「…で?」
「これに対して幕府は、防府・山口は分限(ぶんげん)にあらず、つまり、幕府に反抗した外様(とざま)大名として身の程をわきまえなさい、ということで、三方を山に囲まれ、日本海に面した萩に城を築くことになったというわけじゃ」
「そういうことか。防府や山口は瀬戸内海側にあって、交通の便もええじゃろうしね」
「防府は、西国街道(さいごくかいどう)、江戸時代の山陽道(さんようどう)沿いにあるしの」
↓道の駅あさひについては、こちら↓
「道の駅「あさひ」」萩市観光ポータルサイト
↓萩往還については、こちら↓
歴史を感じ 自然を感じる 萩往還を歩こう ー歴史の道「萩往還」ー
「おぉ、肝心なことをひとつ忘れとった!」
「何?」
「道の駅あさひのトイレの案内板のことじゃ」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/1c/a728ee1f9175443e3548a3b375cfe95a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/49/16219f3f6c41b13c181f4d11753db717.jpg)
「男岳に女岳?」
「この近くに山があって、萩市の最高峰、一番高いところが男岳(おんたけ)の789メートルになるそうじゃ」
↓男岳については、こちら↓
「萩市の最高峰は? 【萩市】」やまぐち地ブログ
訪問日:2014年3月15日
「今日は、萩往還について話をさせてもらいました」
「明日は、道の駅萩往還について話をする予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
「昨日は、山口市にあるKDDI山口衛星通信センターについて話をしたんじゃけど…」
「今日は萩往還(はぎおうかん)について話をしようと思う」
「山口IC(インターチェンジ)で中国道を降りて、山口市内で昼食をとる。国道262号線を北上して、萩(はぎ)へ向かう」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/80/9dd3527312d78faab42ed3035b0d903f.jpg)
「休憩をしようと思うて、道の駅あさひに寄ったら、こんな看板があった」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/7e/554d7c45e04205ce21b8b81793e9e7d9.jpg)
「萩往還って?」
「豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の時代、毛利元就(もうり もとなり)の孫にあたる毛利輝元(てるもと)は、中国地方の8カ国120万石を安堵され、五大老も務めとった。ほいじゃが、西軍・豊臣方の総大将になった関ヶ原の戦いで負けて、周防・長門(すおう・ながと)の2カ国(=長州藩)36万石に減封(げんぽう)されたんじゃ」
「長州藩は、幕末には討幕運動の中心になったんよ」
「広島から移ってきた毛利氏は、慶長9年(1604年)に萩城を築いた。そして、日本海側の萩(長門)と、瀬戸内側の三田尻(みたじり。周防)を結ぶ街道として、道幅2間(約4メートル)に整備したのが、萩往還」
「日本海と瀬戸内海、山陽と山陰を結ぶ道でもあるんじゃね」
「江戸時代、参勤交代にも使われて、御成道(おなりみち)、お殿様が通る道ともいわれたそうじゃ」
「うちらは国道262号線を走ってきたけど、山の中を通っとるし、起伏がけっこうある道じゃったよ」
「毛利氏は、城を築くにあたって、防府(ほうふ)・山口・萩の3か所を候補地として幕府にお伺いをたてたんじゃの」
「…で?」
「これに対して幕府は、防府・山口は分限(ぶんげん)にあらず、つまり、幕府に反抗した外様(とざま)大名として身の程をわきまえなさい、ということで、三方を山に囲まれ、日本海に面した萩に城を築くことになったというわけじゃ」
「そういうことか。防府や山口は瀬戸内海側にあって、交通の便もええじゃろうしね」
「防府は、西国街道(さいごくかいどう)、江戸時代の山陽道(さんようどう)沿いにあるしの」
↓道の駅あさひについては、こちら↓
「道の駅「あさひ」」萩市観光ポータルサイト
↓萩往還については、こちら↓
歴史を感じ 自然を感じる 萩往還を歩こう ー歴史の道「萩往還」ー
「おぉ、肝心なことをひとつ忘れとった!」
「何?」
「道の駅あさひのトイレの案内板のことじゃ」
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「男岳に女岳?」
「この近くに山があって、萩市の最高峰、一番高いところが男岳(おんたけ)の789メートルになるそうじゃ」
↓男岳については、こちら↓
「萩市の最高峰は? 【萩市】」やまぐち地ブログ
訪問日:2014年3月15日
「今日は、萩往還について話をさせてもらいました」
「明日は、道の駅萩往還について話をする予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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